「若いうちに遊んどけよ」
「なあ。今日合コンいこうぜ」
「あいつ結婚したか。俺もそろそろ結婚しなきゃな」
まず断言しておくが、あなたの周りにはろくな人間がいない。
そしてそれに流されれば、あなたもろくでもない人間になる。
オルテガは大衆の愚かさを嘆いた。
「大衆とは、良い意味でも悪い意味でも、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じ、そのことに苦痛を覚えるどころか、他の人々と同一であると感ずることに喜びを見出しているすべての人のことである。」
『大衆の反逆』
合コンにいかなきゃ人生楽しんでいないんじゃないか?
SNSで友達を増やさなきゃ人生寂しいんじゃないか?
とりあえず、30までに結婚しなきゃマズイんじゃないか?
こういった一つ一つの「凡庸への誘い」が「手遅れの人間」を大量生産する。
ナイチンゲールは「大衆は常に間違える」というとんでもなく正論を述べた。
20代のうちにこの「大衆への誘い」から抜け出せなければ、「手遅れの人間」になる。
20代は人生のお試し期間じゃない。一番大切な期間だということを今日は述べたい。
1.20代は人生のお試し期間と言うバカ
私は、「20代のうちに遊んどけよ。」という言葉を発する大人を瞬時に軽蔑する人間である。
ひとえに「20代をあそんだらお前のようになるんだろ。んなもん嫌に決まってんじゃん」という論理から来ている。
20代のうちに合コンをしたり、「人脈作り」「コミュニティ」が口癖の人間が総理大臣、会社の社長などになれるだろうか?
その例があれば聞きたい。
人間の思考は30歳になった途端人生に対して真摯に向き合うようなプログラムが組み込まれてはいない。
凡庸な選択をしたものには、凡庸な人生が待っている。
「20代遊んどけよ」人間の30〜40代というのは
プロ野球観戦が生きがい
Facebookで趣味のくだらない投稿
激安居酒屋で飲み歩く
子どもをマクドナルドに連れて行く
といった人生を歩む。
人生を変えるには、「今」この若いうちから戦略が必要だ。
私は、自分が勝ったとすでに今思っている理由は、この当たり前のことにいち早く気づけたからである。
別に今1億円もっているわけではないから成功者とは言えないだろうが、「週末をゴルフで費やしそのあと1杯」という「手遅れの人間」でないことが決まっただけで勝ったと思っている。
2.戦略が必要
3年後どうしたいとか5年後どうしたいといった戦略がない人間というのは、基本的に退行的かつ退廃的になる。
ジョン・アーヴィングというアメリカの作家が面白い言葉を残している。
「私はいつも最後の一行から書き始める。そして物語を始めるべき地点まで逆にプロットをたどっていく。」
日本人というのは戦略を立てるのが苦手である。
『失敗の本質』という日本が第二次世界大戦に敗れた原因を研究した本にも記載されているが、日本人は場当たり的に(帰納的に)戦いを続けたためアメリカに対してなすすべもなく完敗したとのことだ。
詳細は読んでみるといいが、第二次大戦において日本軍はなぜ場当たり的だったかというと意見の対立を恐れなあなあで集団の調和を崩さないことを至上の価値としてしまったからだという。
本質からすると考慮にも値しないことをなぜか重視している日本人の民族性がでているのではないか?
第二次世界大戦は、
どうでもいい場当たり的な「現状維持」が「戦略」の必要性を上回っていることで破滅につながったことを教えてくれるいい例なのである。
話を戻すと、私の周りには見回すとなんら戦略を持ち合わせていない人間で溢れている。そして、場当たり的にいくつかの集団での自分の位置を確保することに必死だ。
冒頭に述べた「30だし結婚しなきゃな」は典型的な例で元々30で結婚するという戦略があったわけではなく、気付いたら30になっていたためそろそろ結婚しなきゃなと場当たり的に考えているだけである。
結婚だけではなく、こういう「思考回路」はあらゆる行動の決定打となる。
20代のうちにこの思考の修正をかけるために一度自分自身を破壊しなければ手遅れになる。まともな戦略は現在の自分を一度破壊することで得られるはずだ。
20代のうちから自分を一度崩し、思考を磨いてきた人間と30まで和民で合コンしていた人間の人生が大きく異なるのは至極アタリマエのことである。
自らの考えを一度清算し、戦略を立てる必要性に気づけるかどうかは1つの大きな分岐点だ。
3.人間関係を一掃せよ
最後におきまりのパターンだ。
「友達はいらない」
ただ、もう之は私だけが言ってるのではないので、そろそろあなたも受け入れてほしい。
実は、多くの社会学がこれを証明してしまっている。
1つ紹介すると、ローズコザ−という社会学者が「強い靭帯のもろさ」という形で、親密な友人が如何に人の進歩を阻むかを述べた。
彼の意見では、たしかに、似ていることがつながりを育む。だが、そこからできた強いつながりは、刹那的な快適さはもたらすもののそれ以外には何も提供しないとのこと。
そして、その快適さは、人の探究心や冒険をしたいと思う心を後退させるのだと彼は言う。
「手遅れの人間」になってしまうということだ。
私は、ある本に卒業前に出会ったおかげで、学生時代の人間との関係は学生時代までと決めていた。
3月に多くの人と個人的に言葉にはしていないがしっかりと別れを告げた。
そうすることで当初は寂しいものだったが、新たな人物との出会いや世界観を獲得した。
私が出会った「人脈」を挙げると
ハンナ・アレント
ルソー
ギュスターヴ・ル・ボン
キケロー
である。すべて実際にあうことは出来ない人たちだが、彼らが私にもたらしたものはFacebookで必死に作る人脈の20000倍あると断言できる。
とんでもない人脈を岩波文庫なら800円で手に入れられるのである。
こういう人脈なら私は大いに賛同する。
「 誰と誰がやっちまった」
「誰と誰が結婚した」
「誰々が家を買った」
あまりにどうでもいい。
友達と群れてた時間を偉人との対話に切り替えなくてはならない。
どうでもいいゴシップは「どうでもいい」と一蹴し目の前で『死に至る病』 を読み始めるくらいでなくてはいけない。
20代はとにかく古典を読まなくてはならない。
この大事さに早く気づかなくてはいけないと私も最近になってようやく気付いたのである。
最後にキルケゴールの言葉を紹介したい。
「人生は振り返った時、初めて理解できる。しかし、前を向いて生きなければならない。 」
気付いた時には手遅れが一番怖い。
古代の賢者に学ぶべし。
おもしろきことなき世を面白く