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あれこれやそれこれ

雑記系ブログのさらなる高みを目指すブログ

ポケモンGOついでに京都で任天堂に思いを馳せる

☆お気に入り☆ ☆お気に入り☆-場所

京都には巨大企業が数々あれど・・・

アメリカのポケモンGOのおかげで任天堂の株価が高騰、ついに3万円を超えたんだとか。7月6日のアメリカ配信前の倍を超えてますよ。くーっ買っときゃよかった。

news.yahoo.co.jp

今日は仕事で京都をウロウロしてたのですが、とある交差点で威風堂々とした建物がそびえ立っているところで信号待ち。

任天堂ですのよ

そう、任天堂の新社屋、本社開発棟。任天堂じゃなくてNintendo。きっとあれやこれやそれやこれもここで作られてるんじゃないか・・・。いやいやもしかしてポケストップやジムになったりするのだろうか・・・。とりあえずポケモンGOはよ。

ほんまの本社は久世橋通り新町にでっかいのがあるんだけど、そっちは用事がないのでいかない。任天堂って花札屋さんやったのに「ファミコン」からえらい景気よぅならはってなぁ。

プレステができた時も「大人がSONYプレステ、子供は任天堂ファミコン、DS」みたいなところがあったけど、アメリカの巨大なおじさんがニヤニヤしながら公園をきゃっきゃと歩き回ってるのを見ると、任天堂も完全に世界に仁王立ちした感があります。

そもそも任天堂。

任天堂は初代山内房治郎(1859-1940)が親元の石灰問屋の「灰岩」を1885年に受け継いで灰孝本店と社名変更し、セメントを売り始めたあたりから始まります。灰孝本店は現存しています。元社長は房次郎の高祖父にあたるそうな。

www.haiko.co.jp

 実業家でもあり工芸家でもあった房次郎は灰孝本店のセメント事業と平行して山内房治郎商店(任天堂骨牌)を1889年に作り花札の製造販売を始めたのが任天堂の始まり。

その建物が今も残ってるんですよ。仕事がちょっと早く終わったのでカメラ片手にブラブラしてきました。

昭和になってから建て替えられたらしいのですが、なんともモダンな建物。前の道路が狭すぎて建物がすべて収まらない^^入り口には二つの看板が出ています。

トランプ・かるたの製造元、山内任天堂とあります。
丸に福というのは1947年に社名を丸福株式会社に変えた時の名残です。

いつかは世界へ飛び立つことを夢見ていたんでしょうか、英語のプレートもカッコイイ。しかし蜘蛛の巣・・・イクナイ!

裏に工場があったと聞いたことがありますが入ったことはありません。横の道から写真撮りに行けたな、また行ってみます。隙間からちょっと撮った写真でご勘弁。

ここは京都の正面通。しょうめんばし、と読むのでしょう。これは高瀬川にかかる橋。なぜ正面橋というかというと太閤秀吉が作った仏像のちょうど正面にできた道だから。大和大路通の方広寺を正面に西に伸びていきます。

この橋を越えた左側に先ほどの灰孝本店さんがあります。そんな由緒だったとは(さっき知った)

正面橋から南を向いてパチリ。この高瀬川沿い東側はかるた屋さんを始め紙に関するお仕事の会社がたくさん並んでいます。かるたの松井天狗堂さんは2010年に閉店しはったそうですね。手摺りでかるたを刷るところはもう残ってないんじゃないかなぁ。と思って調べてみたら伏見の大石天狗堂さんに技術伝承はされたみたい!さすが!

大石天狗堂さんといえば全日本かるた協会公認の札を作っているところとして有名。ちはやふるで一気に名前が売れたような気がします。といいつつウチのお客さんなのでしばしばお邪魔しますが重苦しくなく「古きを大事にし今を生きる」会社さんです。

正面通を東に抜けると鴨川。今日もゆるりと川がながれています。

Nintendo、でもやっぱり任天堂でもあってほしい

www.nintendo.co.jp

任天堂のホームページを見るともうゲームそのもの。マリオだポケモンだスプラトゥーンだとそりゃもう派手で明るくて楽しい。でもちゃんと任天堂だった名残を残してあるのもちょっと嬉しいよ。

花札・株札

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これ、昔おじいちゃんちにあって正月これで遊んだっけ(遊び方は書かない)。おじいちゃんが親になったときにまぁみんな見事な役をつくっておじいちゃんが泣いていたのを思い出します。

シッピン、クッピン、インケツ、にたこ、さんたろう。そんな言葉あったよね。

世界の任天堂だけどやはり身近にあった任天堂も捨てられないです。

ちなみに旧本社、ここです。