英国が国民投票で欧州連合(EU)離脱を決めてから、同国の経済や産業の見通しは悲観的になりがちだった。その点、英アーム・ホールディングスを240億ポンドで買収するというソフトバンクの決断はありがたい救いのように思える。
閣僚らはこの買収を、英国がビジネスの場として信頼を得ている印だとみなして称賛した。ハモンド新財務相の言葉を借りると、この買収は「英国が外国人投資家への魅力を何も失っていないことの表れ」だ。
だが、メイ政権は新たな産業政策の必要性について明確にしていない。この文脈において、テクノロジー分野の一流企業を獲得するこれだけの規模を持つ買収提案というのは、より幅広く議論するに値する意味合いがある。この買収は英国の企業文化や統治のあり方を問うている。アームはやや陳腐化した英国のテクノロジー部門でも比類なき資産だ。売却の決断が提起するのは、企業の取締役会全般が英国の数少ない世界クラス企業をより長い目で育むことよりも、依然として株主への目先の利益に目を向けすぎてはいないかという問題だ。
ソフトバンクがアームに魅力を感じていることは間違いない。アームはソフトバンクにスマートフォン(スマホ)や携帯機器用の高度な半導体の設計への入り口を提供する。魅力の1つは、この買収でソフトバンクが「IoT(モノのインターネット化)」という新たな成長市場で主役になれることだ。
最近の外国企業による英国企業の買収提案やその実施は、資産剥がしや(課税逃れのための)租税裁定行為、知的財産持ち出しの手段にすぎないと非難されてきた。アームの買収の結果、どうなるかは分からないが、ソフトバンクの買収目的は(上述したものより)はるかに善良なものに見える。同社は4000人強の従業員を持つアームのケンブリッジ本社にさらに1500人分の雇用を創出する予定で、実現すれば、新たな生産能力への投資としてはかなり大規模なものとなる。
今回の買収で規制に関する障害はほとんどないはずだ。競争の観点から出る可能性のあるハードルはすべてクリアできるだろう。ソフトバンクは携帯電話のネットワークを日本と米国に持つが、電話や機器の製造には関わっていない。同社とアームの事業に重なる部分はない。また、国の安全に関わる目立った懸念もない。
ソフトバンクは多額の負債を抱えている。買収後の純負債は1000億ドルを超えるだろう。そのため、同社の投資の能力や意欲は理論的には減退するとみられる。
■英国は長期的視点で産業育成を
結局懸念すべきは、買収する側のアイデンティティーについてよりも、世界最先端の英国企業がその独立性を自発的に差し出すに至った動機は何なのかということのほうだ。アームがソフトバンクに所有されることで受ける魅力的な商業や産業面の恩恵は何もない。既存株主が同社の事業拡大に出資したがらないそぶりを見せたのでもない。同社はこれ以前の(他社からの)アプローチは拒絶していたと伝えられている。
つまりもっと幅広い懸念に関わってくるのだ。英国では取締役が骨の折れる既存事業の拡大をやり通すよりも、買収に飛びつくことがあまりにも多いという懸念だ。短期的な株価上昇を過度に重視する株主優先のイデオロギーの反映が世間で広まっていることを反映している。企業幹部は自分たちの仕事が資産の売買だと思っている。理想的には、主に自社の提供する商品やサービスを通して企業の価値を高めるような経営のあり方だ。
英国政府にとってソフトバンクの決断は、対内投資先としての同国の地位がはっきりしない中、歓迎すべきカンフル剤だ。だが、EU離脱後はどんなお祝いも抑えて現実を見るべきだ。英国は栄光への道を売り渡してはならない。金融サービスと離れたところで経済のバランスを取り戻そうとするなら、英国はこの国で生まれた戦略的事業をもっとうまく育めるようにならなければならない。
(2016年7月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
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