こんにちは、arto総研のToshiroです。いつもお読みいただきありがとうございます。今回は「お金を使わない生き方」というテーマで書いてみようと思います。
お金の歴史
普段何気なく使っているお金ですが、「お金ってなに?」と聞かれるとその答えに躊躇する人は多いと思います。普段当たり前のように使っているお金とは一体何なのでしょう。
節約術なども重要な要素ではありますが、お金の本質についての理解はより重要です。そのために基礎となるお金の歴史について簡単に紹介します。
物々交換
今ではモノを交換するときはお金を使っています。例えばテレビが欲しい時は電気屋さんに行って、テレビを貰う代わりとしてお金を渡してテレビを手に入れます。
しかし昔の人々は物々交換をしていました。物々交換は非常に効率が悪いです。例えば野菜を持っている人が魚を食べたい時は、魚を持っていてかつ野菜を食べたい人を見つけなければなりません。
しかも野菜や魚といったものは時間が経つと腐ってしまうのですぐに見つけなければなりません。欲しいものを手に入れられる確率は非常に低いのです。
市場
そこで登場したのが市場です。欲しいものがある人は一か所に集まると、より交換が行いやすいと考えたのです。
今でいう結婚相談所や合コンのようなものをイメージするとわかりやすいと思います。恋人が欲しいといって街中でうろうろしていても簡単には見つけられません。そこで恋人が欲しいと考えている人達を集めて効率的に出会いを見つけようということです。
それと同じようにモノを交換したい人の集まりを作ったわけです。とは言ってもやはり自分にあった条件を持つ人を見つけるのは困難です。そこで、誰もが共通して欲しがるものを開発します。誰でも欲しがるものがあれば、野菜や魚や肉でもなんでも交換が可能だからです。
みんなが欲しがるモノの登場
日本の場合、みんなが欲しがるのはお米と布でした。今でいうとお米や布はいつでも手に入るものですが、当時はとても貴重なものであり、誰もが欲しがるものでした。何か欲しいものがある時は市場にいってお米や布で交換していたのです。
中国ではこの時貝が交換に使われていました。よく昔のお金は貝だった、と言いますが、こういうことだったのです。そしてこれがお金の起源なのです。
硬貨の発明
このように、米や布、貝がお金として使われていたわけですが、劣化したり形が違ったりと不便がありました。もっと便利なものがいいということで、金銀銅が使われます。
金銀銅は高価であり簡単には手に入りませんし、しかも持ち運びがしやすいような加工が非常に簡単なので世界的に使われました。これが硬貨の始まりです。
預り証
さらに時代が進むと、硬貨を大量に持ち運ぶのは危険だ、という不安が発生します。いっぱい持っていると盗まれるかもしれない。
そこで硬貨を持つ人は硬貨をたくさん持っている人に預けました。預けることで「確かに硬貨を預かりましたよ」という証明書を発行してもらいます。この証明書をその預けているところに持っていくことでいつでも硬貨と交換してもらえるのです。
紙幣の誕生
更に時間が経つとその証明書で交換を行うことができるようになりました。硬貨をたくさん持っているところの証明書だから安心だろう、とその証明書に信用が生まれます。
その信用によって証明書でモノを交換することが出来るようになりました。証明書自体がお金になったのです。
お金の本質
ここまでお金の歴史について紹介しました。今はお金の歴史の流れを簡単に把握する程度のことを目的にしているので、かなりはしょっており、この辺に詳しい人からしてみれば色々言いたいことがあると思いますが、ご理解下さい。
次は「お金とは何か」という本質的な疑問を考察してみましょう。
お金のいらない関係
先ほどのお金の歴史の中でも簡単に触れましたが、お金の本質は信用ということができます。お金に信用がなければ買物やサービスの対価としてお金を渡しても相手は受けとらないでしょう。お金に信用がなくなれば誰もそのお金を使わなくなりますし、貯蓄も拒むようになります。
しかし違う意味でお金を使わない関係があります。友人なんかがわかりやすいでしょう。例えば夜遅くまで遊んでいて帰宅するのが困難になった場合、「悪い、ちょっと今日泊めてくれない?」と言って、友達の家に泊めてもらうことが出来ます。
この時、泊めてもらうため、一般的に考えれば宿泊料というものが発生しますが、友達というような間柄では多くの場合お金は発生しません。
このような関係には信用が前提に存在しています。このような関係の間ではモノやサービスがお金のやりとりなしで自由、しかも頻繁に行われています。
一般社会では第三者(主に国家)の信用を前提としたお金を使ってモノやサービスのやり取りが行われています。これは裏を返せば、先ほど紹介した友人のような関係以外には信用が欠落していることを表します。
信用とは何らかの取り決めに対する保障の意味合いが強いです。あるモノやサービスを相手に提供した場合に、それと等価値を持つと予想されるモノやサービスを相手から受け取ることを約束する意味を含みます。それは取引です。
また信用をも超える概念があり、それが愛です。これは親子で考えると分かりやすいでしょう。子どもが家でご飯を食べる時、子どもは親にお金を払うでしょうか。決してそんなことはありません。
愛情は信用とは異なり、相手との等価交換を前提にしていません。ただ与えます。親は子どもを愛するので無条件で食べ物や衣服などを与えます。
お金は信用の欠如の表れ
家族や恋人、友人といった関係以外の関係ではお金を使わなければなりたちません。お金を使うことで初めて流通がなりたちます。そのようなお金の世界では愛情やお互いの信用が極めて希薄と言えます。
つまり、愛情の欠如によって信用が必要となり、信用の欠如によってお金が必要となります。愛情やお互いの信用が前提となる関係を多く築くことができればお金を使わない生き方が可能となります。
生活する上で絶対的に必要となるのが、衣食住の3つです。この3つがあれば基本的には生活が可能です。衣服と食べ物と住むところがあれば生活を送ることが出来ます。
私たちはお金がなければ生きていけないと考えがちですが、お金を着るわけではありませんし、お金を食べるわけでもありませんし、お金に住んでいるのでもありません。お金というのはそれを獲得するための手段に過ぎません。
そしてお金は信用の代替物なのですから、信用さえあればこれらは克服することが出来ます。信用があるのであれば、友達の家に住んだり、誰かのお古の服を貰ったり、隣のおばちゃんから野菜を貰ったり、ということが出来ます。つまりお金無しでも生活が出来るということです。
では、どうすれば信用が欠如している関係を信用がある関係にすることが出来るのでしょか。
信用を作る
信用の欠如によってお金が必要となることがわかりました。つまり信用の欠如を補えばお金は必要ないことになりますが、そのために信用を作っていきます。
出来るなら愛情があればいいのですが、愛情は作るものではありません。そのためここでは信用の作り方について考えてみます。
コネは作るもの
信用を作るというとちょっとわかりにくいと思いますので、言い換えると、要はコネクションを作るということです。つまりコネですね。コネと言うと悪いイメージがありますが、これは完全に実力です。
また日本においてはコネと言うとなぜか就職におけるものとして考えられるのですが、もっと大きく考えてください。友達というのも立派なコネ、信用です。友達がいることで家に泊めてもらうことが出来るのです。
最近では大学で友達の作り方とかいうレクチャーがあるそうなのですが、コネについても作り方があります。簡単に紹介すると、
- 頻繁に会う
- 教えてもらう
- お礼をする(価値の提供)
- 関係の維持、向上
ということになります。
人は会う回数を重ねるごとに好感を持つようになります(1)。そして、自分が得意なことを話すのが大好きです。好きなことを話すことで、話を聞いてくれた人に好感を持つようになります(2)。そして教えてもらったことへのお礼をします。「いつも教えてくれてありがとう、この前旅行行ったんだけど、良かったら食べてよ」という感じです(3)。後はこれを繰り返します(4)。
以上です。とても簡単です。これは友達を作るというような身近なものから、多くの人が想像するようなお偉いさんとのいわゆるコネというものにも応用することが出来ます。
(3)で、「価値の提供」とサラッと書いたんですけれども、これが非常に重要です。なぜなら、先ほどもちょこっと書きましたけれども、信用は価値を前提としているからです。信用とは何らかの取り決めに対する保障の意味合いが強く、つまりそれは取引を意味します。
要は大きな価値を得るには、それに見合う程の大きな価値を提供する必要があるということです。先ほどコネは実力と言いましたが、そういうことです。
「私」という信用と価値
ここまで信用について考えてきました。また信用には前提として価値があり、その価値が大きければ大きい程、より大きな価値を得ることが出来るわけです。ここではもう少し踏み込んで信用と価値について考えてみます。
石油王が豊かな生活を送れる理由
テレビをつけると稀に富豪たちの豊かで贅沢な生活の様子を見ることが出来ます。ここでは富豪の例として石油王で考えてみましょう。
石油王は言うまでもなくとてつもないお金を持っています。そして豊かな生活を送っています。ではなぜ石油王は豊かな生活を送ることが出来るのか?石油王が豊かな生活を送れる理由は、お金を持っているから。この回答は残念ながら正解ではありません。
石油王が豊かな生活を送れる理由は油田を持っているからです。お金を持っていることと油田を持っていることは同じだ、と言われるかもしれませんが全く違います。
ここまで読んでくださった方は理解出来ると思いますが、お金そのものに利用価値はありません。一般的にお金とは買物やサービスを受ける対価として使用するものです。お金のコレクターとなると話は違ってきますが、そのような用途は一般的ではありません。お金はあくまでもモノやサービスとの交換に用います。それゆえ、お金そのものに利用価値はないのです。
油田はどうでしょうか。油田からは石油がたくさん採れます。石油は重要なエネルギーです。石油はプラスチック、ゴムなどあらゆるものに姿を変えます。私たちの生活になくてはならないものです。みんなが必要とするものです。
最初でも触れましたが、もともと昔の人たちは物々交換をしていました。石油も物々交換すればいいのですが、効率が悪いのでお金に換えるわけです。つまり、石油王は油田を持っているから大量のお金を得ることができ、お金があるからいろいろなものに変えることができるのです。
「私」という価値
ここまで述べてきたように、お金は信用によってなりたっており、信用があれば、お金を使わなくても世の中の物やサービスを手に入れることが出来ます。
石油王には油田があるため「石油の提供」という価値と「これからも石油を提供することが出来る」という信用があるわけですが、同じように大きな価値とそれを保証する信用があれば、更に物やサービスを受け取ることができます。石油王の場合は油田というあまりに大きな信用と価値があるので、その対価として莫大なお金を獲得出来ています。
同じように自分自身が「油田」になれば、より大きなお金を得ることも出来るし、お金という中間をすっ飛ばしてサービスを受けることも出来るのです。
お金の本質は信用です。主に国家の信用を利用して3人称的関係を補完しているに過ぎません。要は人との信頼関係を築くことが出来れば、それはお金の役割と全く同じ役割を果たせているのです。
人間関係の基本的な構築については先ほど述べました。しかしもっと踏み込んで、自分自身の信用に加え価値を強固にしていけば、更なる人間関係の構築が可能であり、より良い物やサービスを得ることが出来るのです。
コネを持ちたいと思うのは、その人にそれだけの信用と価値があるからです。同じように自分自身にもそれだけの信用と価値があれば向こうから仲良くなりたいと希望してくれる人が現れてくることでしょう。
自己投資
そして自分自身に価値を与えるには、とにかく自己投資をするしかありません。本を読んだりセミナーに参加したりして一歩一歩少しずつ実力を付けていきましょう。そしてその実力で少しずつ成果を出して、実績を作っていきます。
大きな実績をいきなり作る必要はありません。小さなもので良いので少しずつ少しずつ実績を作るのです。それこそ3人の中で1番になった、というようなもので構いません。このような小さな実績が積み重なることでやがて大きな価値へと成長します。
このような価値を作ることで「私」は、油田のようないずれなくなってしまうようなものではなく、死ぬまでなくなることのない価値を獲得することになります。自分自身が不滅の「油田」になれば、もはやお金は全く必要ありません。
まとめ
かなり長くなってしまいました。最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。さて、最初から最後まで読まれた方はある矛盾に気付かれたのではないでしょうか。
お金を使わない生き方の出来る人とは、言い換えるならば、お金を稼ぐことの出来る人であるということです。しかも、会社からお給料としてお金を稼ぐというようなものではなく、完全に自立した人です。
価値を提供した際に、その価値の対価としてお金を得るか、別の価値で得るか、というそれだけの違いに過ぎません。
世の中のいわゆる成功者の中には「人のために」という考え方を持っている人が多いようなのですが、これはかなり重要なことなのかもしれません。
今回もお読みいただきありがとうございました。
Toshiroでした。それでは、また。