道を拓(ひら)く 盲ろう者と盲導犬
2016年7月9日(土)放送
日本初 盲導犬と暮らす盲ろう者
今年春から、盲導犬と暮らし始めた盲ろう者がいます。門川紳一郎さん、51歳。
生まれたときから強度の弱視だった門川さん。幼いときの病気で聴力を失い、盲ろう者となりました。
(門川さん)
「カム!」
不自由な生活を余儀なくされていた門川さんの元へやってきたのがベイス。
ラブラドールレトリバーの2歳の雄です。
ベイスと出会ったことで、行動範囲が大きく拡がり、門川さんは、歩く喜びを感じています。
(門川さん)
「なんか安心感がありますね。
幸せな時間だなと感じます。」
しかし、盲ろう者と盲導犬が共に暮らすことは、日本で初めての試みです。
生活を始めて三カ月、様々な課題が浮かび上がってきました。
盲ろう者と盲導犬、その新たな取り組みを追いました。
ベイスがくれる安心
大阪市内に暮らす門川さん。毎朝、バスと電車を乗り継いで、一人で出勤します。
(門川さん)
「ストレート、ゴー。」
二重の障害があり、ふらつきやすいのが悩みでした。しかし、ベイスの支えで、まっすぐ歩くことができるようになりました。
通勤の際、門川さんが頭を痛めてきたことがあります。
それは駅の改札などを出入りすること。狭い入り口をみつけられず、電車に乗るのも一苦労でした。
今ではベイスが導いてくれるため、人や物にぶつかることもなくなりました。
(門川さん)
「電車がホームに入って来て、ドアが開きますけど、僕にはドアがどこにあって、どこが開いているのか確認ができない。
その点、ベイスは『ドア、ゴー』と指示を出せば、ドアの方に案内してくれるので、電車に乗るときもスムーズになりました。
以前は神経を使いながら移動してたんですけどベイスでの歩行は、交通機関の利用も含めてですけど、とても楽しいなと感じています。」
生きることを楽しむ 門川紳一郎さんという人
門川さんの勤め先は、自ら運営するNPOです。
孤立しがちな盲ろう者が働き、交流できる場を提供しています。
20年程前に、友人たちとNPOを立ち上げた門川さん。
当時は、かすかにあった視力を活かし、外に出て、活動的な日々を送っていました。
失明から盲導犬までの長い道のり
しかし、40代に入ると、視力が落ち、完全に失明。精神的に追い詰められていきました。
(門川さん)
「もうつらかった。
もうほとんど引きこもってたかもしれないですね。もう嫌になっちゃって。歩けなくなっちゃいましたからね。」
そんなときに思い出したのが、一人の友人の存在でした。学生時代、アメリカへ留学していた門川さん。
そこで出会った親友のバピンさんは、盲ろう者でありながら、盲導犬と共にニューヨークの街を自由に歩いていました。
(門川さん)
「こいつはほんまにすごいやつだなと。
これは本当に今でもすごいインパクトとして残っています。
だから僕も泣き寝入りしててはいけないんだなと。」
アメリカでは、20年以上前から、盲ろう者への盲導犬の提供が行われてきました。
手話のできる訓練士が指導にあたります。
盲ろう者は、犬への指示を、手話や手の動きで行うことができます。
一方、日本では、アメリカのようなノウハウは確立されていません。
門川さんは盲導犬の利用を申し込んだものの、いくつもの団体から断られます。
ようやく手を挙げてくれた団体は、2年かけて、対応できる犬をみつけました。
それがベイス。今年2月、横浜で訓練が始まりました。
(田中さん)
「じゃあ門川さん。パートナーになる昨日話したベイスです。」
門川さんを担当した訓練士の田中真司さん。
耳が聞こえない人への指導は、初めての経験でした。
(田中さん)
「言葉が使えないっていう状況での訓練というのは予想していたんですけど、いざ始まってみると、思わず出てしまったり、ここでいつもだったらこういう説明がしたかったのにできないとか。
(思うように言葉が)使えないというところでもどかしい。」
試行錯誤の末、門川さんの体に触れたり、手のひらに字を書いたりして、訓練の内容を伝えることにしました。
一方、門川さんにも不安がありました。
(門川さん)
「指示を出す方法は視覚障害者の盲導犬使用と同じで音声で指示を出す方法がメインになる。
僕の場合は全く聞こえないし、指示語がちゃんと出せるのか、自分も自信がなかった。」
(門川さん)
「カム!カム!」
思いがけない結果でした。
(門川さん)
「カム!ヒール!グット、グット。」
(門川さん)
「『ベイス、カム』と一声かけたら、ものすごい勢いで飛んできたので、どっちかと言うと、僕の方が驚きましたね。ちゃんと通じるんだなと。聞こえてるんだなと。」
何て言うか、ホッとしたというか、うれしかったというか、僕の声でも役に立つんだなと。そう思いましたね。
ベイスと暮らして・・・見えてきた課題
ベイスがやって来てから3カ月。
実際に暮らしてみると、様々な課題が見えてきました。
ベイスと歩く門川さんを見て、気遣って声をかけてくれる人が増えました。
しかし、耳が聞こえない門川さんは、気づかないことも少なくありません。
(駅員)
「はい、こちらどうぞ。」
(門川さん)
「えっ、声かけてくれてたんですか。うーん。僕に直接合図をしてもらわない限り、人が話しかけてきてくれてることは、僕には全く分からないですから。
盲導犬と歩いているというと、単一の視覚障害者と思われがちですからね。」
生き物であるベイスの世話も、門川さんには難しいことです。
盲導犬の排せつの管理は、ユーザーがしなければなりません。
門川さんはまだ、ベイスの排せつのタイミングがつかめないことがあります。
(門川さん)
「おしっこだけちょっとしました。」
この日、通勤の途中、ベイスは階段で失敗をしてしまいました。
しかし、門川さんは気づきません。
起こったことを伝えることにしました。
(門川さん)
「それは大変なことやっちゃった。」
門川さんは、駅へ謝りに行くことにしました。
(門川さん)
「すみませんでした。今日は。」
ベイスの排せつの時間を管理するにはどうすればいいのか。適切なエサの時間や量を見極めていかなければなりません。
鍵は、関係性の構築
さらに最近、門川さんは、ベイスの行動に戸惑うことが増えています。
言うことを聞かず、その場に立ち止まってしまうことがあるのです。
(門川さん)
「カム!カム!」
この日、門川さんの依頼を受け、訓練士の田中さんが、職場に駆けつけました。
NPOのスタッフが、仕事の合間にベイスの遊び相手になっていると聞いた田中さん。普段の様子を見せてもらうことにしました。
スタッフと大喜びで遊ぶベイス。これが原因の一つではないかと、田中さんは考えました。
健聴者のスタッフと遊ぶ方が楽しいため、ベイスの中で門川さんの価値が下がっている、と指摘しました。
(門川さん)
「遊びのときに僕も入った方がいいっていうことですか?」
(田中さん)
「本当は入った方がいいです。で、一番門川さんが楽しい人になって欲しいです。」
田中さんは、ベイスがどうすれば喜ぶのか。門川さんにもできる遊び方を伝えることにしました。
門川さんがベイスと信頼関係を築いていくためには、人一倍の努力が必要です。
(門川さん)
「アウト!」
失敗をしなければ学ばない
人と盲導犬が過ごす時間は、平均8年。
門川さんは、ベイスと経験する様々なつまづきも、大切にしていきたいと考えています。
(門川さん)
「僕とか目が見えなくて、耳が聞こえない人間。失敗を繰り返して繰り返すんじゃなくて、失敗する中から、上手くいくことを見いだしていくこと。
逆に考えたら、失敗がないってことは、ほとんど新しい学びがないということにもなるから、失敗を繰り返すことが、いろんなことを吸収できて、いいんじゃないかなと、僕はこれまでの経験のなかから、そう思ってます。」
盲ろう者・門川紳一郎さんと盲導犬・ベイス。
誰も通ったことのない道を、共に切りひらいて行きます。
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