二宮: 阪南大高からドラフト2位入団。甲子園出場経験もないわけですから、将来性を高く買われての日本ハム入りでした。
岩本: 球団もかなりのギャンブルをしましたね(笑)。だって、僕がプロ入りした90年のドラフトは野茂英雄さん(近鉄)、潮崎哲也さん(西武)、与田剛さん(中日)、佐々岡真司さん(広島)、古田敦也さん(ヤクルト)……そうそうたるメンバーがいましたから。
二宮: 日本ハムの1位は大学ナンバーワン左腕の酒井光次郎さんですね。
岩本: さすが、よくご存知で。酒井さんはコントロールが抜群でした。僕の場合は「150キロを投げる」という触れ込みで何度か新聞には載っていましたけど、まさか2位指名とは思いもしませんでしたね。後から聞いた話によると、当時の常務だった大沢(啓二)親分が、「あの大阪のヤンチャ坊主を獲ってこい」と鶴の一声で指名してくれたそうです(笑)。
目線がブレない清原とイチロー二宮: 2年目の92年に1軍デビューして5試合に登板しますが、3年目、4年目は1軍で投げられませんでした。
岩本: 当時はコントロールが悪かったですからね。イップスになって全然狙ったところにボールが投げられない。そんな時、投手コーチだった高橋一三さんが、僕のフィールディングを見て、「サイドハンドのほうがいいボールを放っている。江本孟紀さんみたいに投げてみろ」と。それで一時期、サイドハンドにも挑戦したことがあります。
二宮: それから元のフォームに戻して、ようやく5年目に1軍で9試合を投げ、先発も経験します。
岩本: この年から監督が上田利治さんに代わり、投手コーチも大石清さんになりました。僕が遠投をしていると、「オマエの体にサイドスローはもったいない。5年やって、この成績なんだから180度意識を変えれば、オマエの野球人生もガラッと変わるかもしれない。変わらなくても、今までよりは良くなるはずだ」と話をされました。なんか、その言葉がストンと納得できたんです。それでオーバースローに戻しました。大石さんの練習はとても厳しかったのですが、かわいがっていただきました。
二宮: 現役時代に対戦して、印象に残っているバッターは?
岩本: ブーマー・ウェルズとオリックス戦で対戦できたのはうれしかったですね。2ボールとカウントが悪くなって、「もうこうなったら、どこまで飛ばされるかやってみよう」と、ど真ん中に投げました。次の瞬間、一、二塁間にものすごい当たり。目の覚めるようなライト前ヒットと思いきや、そのままボールが伸びてライトライナーでした。「これがホンモノのプロか」とビックリしましたよ。日本人では新井宏昌さん、大石大二郎さん、岡田彰布さんとの対戦も思い出深いです。テレビで見ていた選手と実際に勝負できたのが、ものすごくうれしかった。
二宮: 清原和博さんやイチロー選手とも数多く対戦しましたね。彼らをマウンドから見て何を感じましたか。
岩本: 2人とも打席で目線がブレなかったですね。だから、どんなボールでもとらえてくる。イチローも当時は振り子打法で、それまでの常識を覆したと言われましたが、どんなに足は動いても目線は地面と平行で変わらない。ただし、清原さんに関して言えば、僕は95年に11打席で9三振を奪っているんです。カーブでうまくタイミングを外せた。これはちょっとした自慢ですね。
二宮: 中継ぎもしていた経験から、「リリーフのイニングまたぎは良くない」というのが持論ですね。
岩本: リリーフのピッチャーは、まず目先の1アウト、1イニングを抑えるために、アドレナリン全開でマウンドに立ちます。それで見事、抑えられれば「ヨッシャー!」とベンチに返ってくる。それで次のイニングに向かおうとしても、ベンチにいる間に気持ちが落ち着いてしまうんです。またアドレナリンを出してバッターに向かっていくのは難しい。
二宮: プロである以上、お互い高い次元で戦っている。そういった繊細なメンタルの差が勝敗を分けることもあるでしょうね。
岩本: どんな状況でも強い気持ちを持ち続けられるかどうか。抑えの武田久がいいことを言っています。「たとえ抑えに失敗しても、勝ち星を逃したピッチャーには謝らない」と。
二宮: それだけクローザーの仕事に誇りを持っていると?
岩本: 「謝ったら、そのピッチャーにも悪い気がするんですよ。もう抑えられないんじゃないかと思われるのはイヤです。謝るくらいだったら、次にしっかり抑えて結果で返す」。その言葉を聞いた時に、だからこそ何年も抑えを続けられているんだなと感心しました。彼は素晴らしいハートの持ち主ですよ。
二宮: 岩本さんといえば、ピッチングのみならず、バッティングでもインパクトを残しています。05年の巨人との交流戦でパ・リーグの日本人投手としては、指名打者制が導入されて初めてのホームランを打っている。
岩本: その後、タフィ・ローズと小久保裕紀にホームランを打たれて、倍返しされましたけどね(笑)。高校時代は中軸を任されて、プロ入り後も2軍ではヒットを打っていましたけど、まさか1軍で打席に立てるとは思ってもみませんでした。しかもホームラン。もう当時はヒジが痛くて体は限界だったので、「これも野球の神様が最後に与えてくれたご褒美かな」と、その年限りでユニホームを脱ぐ決心をしました。
二宮: 今では同い年の現役選手もかなり少なくなってきているのではないでしょうか。元木大介さんや種田仁さんも同学年ですよね。当時の大阪といえば2人がいた上宮高が強かった。
岩本: もう現役で頑張っているのは前田智徳(広島)ひとりだけになりました。種田とはリトルリーグでチームメイトでした。プロ入り後、彼はガニ股打法で有名になりましたが、どんなにフォームが変わっても打ちに行く瞬間のトップの位置は小学校時代と一緒でしたね。
父と母の感動物語
二宮: おもしろい話を聞いたのですが、岩本さんは1つ違いの弟と同学年だとか。
岩本: そうなんです。僕が5月生まれで、弟は3月生まれ。双子じゃないので周りへの説明が大変でしたよ(笑)。小学校の時は弟と2人で「なんでオレたち、同じ学年なんやろ?」と母に聞いたことがあります。
二宮: お母さんの反応は?
岩本: 「え?」と洗濯中の手を止めて、「お父ちゃんが悪いんや!」と。「そっか……」と今度は父に聞いたら、「アホか、オカンが悪いんや!」と怒鳴られました(苦笑)。
二宮: アハハハ。漫才みたいな話ですね。それだけお父さんとお母さんの仲が良かった証でしょう。
岩本: ただ、父と母はよくケンカしていましたよ。父は典型的な昭和の人間。その存在は絶対でした。今でも逆らえません。でも、プロ野球選手になって、ある程度、自分で稼げるようになった時に1度、お酒を飲みながら父に意見をしました。「この家で一番苦労して、もっとリスペクトせなあかんのはオカンやろ」と。そんなことを言ったのは初めてだったんで、怒られるかもしれないと思いながら……。父は「そうや。それでええ」と認めてくれました。この一言で父のことが、もっと好きになりました。
二宮: お父さんとお酒を飲んだ思い出は?
岩本: お酒を覚えてから、2人でオフシーズンに実家で飲み明かしました。これが本当においしかった。
二宮: ぜひ今度は、この
「那由多(なゆた)の刻(とき)」もお父さんに勧めてみてください。
岩本: ありがとうございます。父も喜ぶと思います。このお酒はマイルドで本当に飲みやすい。アルコール度数が25度という感覚がしなくてスイスイ飲めます。そういえば今年の春、父に奇跡が起きたんです。
二宮: 奇跡! それは何でしょう?
岩本: 母と結婚して45年、僕が知る限り、父は1回も結婚記念日に何かをしたり、感謝の思いを口にしたことがなかったんです。でも、今年の3月14日の結婚記念日に「おい、何か買いに行くぞ」と母に言ったそうです。母は結婚記念日のことすら覚えていないと思っていたのでビックリしたみたいですね。ペアウォッチにピアスや指輪を買ってくれたとうれしそうに母は電話してきました。
二宮: それは心温まる話ですね。長年連れ添った夫婦の愛がうかがえる。
岩本: 母も父から若い頃にもらった手紙をずっと持っていました。それを出してきて、父に見せたそうです。数年前に父が病気で倒れた時にも母が、こんなメールを僕にくれました。「どんなことがあっても負けずに頑張ります。半世紀50年はともに生きたい。長生きしてもらうように頑張ります」って。このメールは消さずに、ずっと携帯電話に保存しています。今、父と母は新婚の頃と同じような感覚なのかもしれません。
日本ハムは今後の10年が勝負
二宮: 日本で生活する上で大変な思いをしたこともあったでしょうが、より家族の絆は深まったのかもしれませんね。
岩本: そうでしょうね。周囲は皆、理解のある友だちばかりでしたが、中には白い目で見ている人間もいたことは事実です。肩身の狭い思いをしたこともあります。ただ、そういう人たちに認めてもらうには、何かひとつ秀でたものを持つしかない。それが野球をやる上での原動力になった面もあります。
二宮: 実際、韓国に行ったことは?
岩本: 現役を引退してからテレビの仕事で行きました。正直、僕たちが韓国でどう思われているのか怖かったんです。でも、現地の人からは「昔はいろいろあったかもしれないけど、お互いがこうやって交流することはメリットになる」との言葉が返ってきました。もちろん、そうは思わない方もいるでしょうが、僕たちの存在を認めてくれる人たちが韓国にもいたことが、とてもうれしかった。涙が出るほど感動しました。心のつかえが、かなりとれましたね。
二宮: いずれ、韓国プロ野球に携わってみたいという考えは?
岩本: 現役の時も誘いはありましたし、やってみたい思いはありました。若手の時にアメリカのマイナーリーグに野球留学したことがあったので、韓国の野球も一度、体験したかったです。いつかコーチなどで携われる機会があればいいなと感じています。
二宮: 古巣の日本ハムで岩本さんのユニホーム姿を見たいというファンも多いはずです。いずれは指導者として戻りたいと?
岩本: 現役を引退する際、コーチとしての打診をいただきました。ただ、その時は一度、外で勉強したかったので、ありがたい話ですが、お断りしました。北海道に日本ハムが移転して今季で10年目。優勝争いできるチームになって、だいぶ球団が地域に根付いてきました。この取り組みを全国の皆さんに伝えていくことが、OBとしてのひとつの役割だと感じています。でも、まだ本当に根付いているとは言えない。これからの10年が勝負だと考えています。
二宮: 札幌ドームが満員になり、地元のテレビ中継の視聴率も好調です。それでも真の北海道の球団になるには、ここからが大切だと?
岩本: 今はチームも強くて結果を出しているので、たくさんの方に応援していただいています。とはいえ、チームはいい時もあれば悪い時もある。これから成績が出ないシーズンもあるでしょう。そんな厳しい時に、「オマエら、何やっとんじゃ!」と怒るファンがいてもいい。それでも球場には応援にきていただけるのであれば。巨人や阪神のように、どんな状況でもチームを見守り続けるファンがどれだけいるか。それが今後のカギを握るでしょう。僕はもっと日本ハムが北海道の皆さん、全国の皆さんに愛されるチームになるように一生懸命お手伝いをしたい。その気持ちは常に持ち続けたいと思っています。
二宮: ゆくゆくは監督という気持ちもどこかにはあるでしょう?
岩本: 野球人として夢はあります。その時には、もう一度、人生を賭けた勝負をしなくてはいけないでしょう。現役時代、僕は人生を賭けてマウンドに上がってきました。そういった時間をもう一度、グラウンドで過ごしたい。そのために今を大切にしたいと考えています。
二宮: いやぁ、お酒もお話もたっぷりいただきました。また
「那由多(なゆた)の刻(とき)」で野球の話をしましょう。
岩本: すごく、おいしくていい気分になりました。気づけば、1本まるごと空けてしまいましたね(笑)。今度は北海道で続きをやりましょうか。まいど! おおきに。
(おわり)
<岩本勉(いわもと・つとむ)プロフィール>
1971年5月11日、大阪府生まれ。阪南大高から90年にドラフト2位で日本ハムに入団。6年目の95年から1軍に定着し、翌96年には初の2ケタ勝利をマークする。98年と99年には2年連続、開幕投手で完封勝利(パ・リーグタイ記録)を収め、11勝と13勝をあげる。チームのエースとなり、「ガンちゃん」のニックネームで愛された。05年の交流戦ではパ・リーグでは指名打者制導入後、日本人投手としては初となるホームランを放つ。同年限りで現役を引退。現在は野球解説者、スポーツコメンテイターとしてTV、ラジオを中心に幅広く活動中。現役時代の通算成績は239試合、63勝79敗3セーブ、防御率4.44。オールスターゲーム3回出場(98〜00年)。
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◎クイズ◎ 今回、岩本勉さんと楽しんだお酒の名前は?
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飲酒運転は絶対にやめましょう。
妊娠中や授乳期の飲酒はお控えください。
(構成:石田洋之)
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