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小池百合子は「信念や理念はないが、機を見るに敏な才能の持ち主」 元小沢側近が語る

デイリー新潮 7月19日(火)5時54分配信

 これまでの勝利の方程式を覆し、“先出しジャンケン”で、小池百合子元防衛相(63)は都知事選への挑戦状を叩きつけた。一方、自民党は桜井前総務事務次官の擁立を断念した後も、“小池一本化”とはならず。あらたに、増田寛也元総務相(64)の名前が浮上してきたのだ。

「というのも、とりわけ都議会自民党が、小池さんの手順を踏まないやり方に反発したからです。加えて、小池さんが2009年の総選挙で、幸福実現党と選挙協力を行ったことを、都議会公明党と支持団体の創価学会が未だに根に持ち、都知事候補として推すことに難色を示しているのです」(自民党都連所属の国会議員)

 挙げ句、都議会自民党は、完全に増田擁立へと舵を切ったのである。

■カイロ大学への留学

 ともあれ、向う傷を怖れず、上昇志向を保ち続けられる、小池元防衛相のルーツはどこにあるのか。

 小池元防衛相と家族ぐるみの付き合いのある、親しい知人が打ち明ける。

「3年前、父親の勇二郎さんは90歳で亡くなりましたが、百合子とは“あの父にしてこの子あり”の関係でした。2人が似ているのは、努力、工夫、忍耐を怠らないところ。それと、勇二郎さんも三度の飯より政治が好きでした」

 勇二郎氏は、戦時中は海軍に身を置き、終戦後、闇市で手に入れたペニシリンを売り捌いて、大儲け。それを元手に貿易会社を立ち上げ、アラブ諸国を相手に石油輸入関連の仕事を始めた。

「たまたま、勇二郎さんは青年海外協力隊創設のためのアフリカ視察に同行し、エジプト・カイロの大都市ぶりに感動して、すぐに商売を始めることにしました。深い考えがあるわけではなく、思い立ったらすぐに行動に移してしまう。“カイロが世界の中心になる”が口癖で、百合子もカイロ大学へ留学させたのです」(同)

 47歳のときには、政治好きが高じ、自ら衆院選に立候補している。

「周囲は皆、“絶対に受かるわけがない”と反対したのですが、“一遍だけ、出させてくれ”と、頑だった。結局、選挙には惨敗し、その後、会社も倒産してしまった。それでも、めげずにカイロに渡って、日本食レストランをオープンさせたりと、決断力と行動力は並大抵ではありませんでした」(同)

 小池元防衛相の決断力と行動力は、父親譲りなのだという。

「百合子は、舛添さんが最後の登庁日となった6月20日の時点で、すでに出馬に向けたシミュレーションを始めていたみたいです。親しい周囲の者は皆、父親のときのように、百合子の都知事選出馬には反対だった。“国の外交、安保を手掛けるのが、政治家としての目標だったのではないか”と意見しても、“首都外交に挑戦したい。そのためのアイデアはある”と聞く耳は持たなかったのです」(同)

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最終更新:7月19日(火)5時54分

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