日本人が知らないアラブの掟
週刊ポスト2003.4.18号
週刊ポスト2003.4.18号
米英軍のイラク開戦と時を同じくして、小池百合子代議士(自民党)はエジプト、アラブ首長国連邦など周辺国を訪れた。数ある国会議員の中で、アラビア語を駆使して中東各国首脳と自由自在に話すのは小池氏以外に見当たらない。カイロ大学文学部を卒業し、年間何度も中東や西アジア、中央アジアのイスラム諸国を往復。独自の視点によるイラク戦争分析を聞いた。 小池氏はまず、アラブ各国が一様にフセイン大統領を嫌い、あるいは敵視しているにもかかわらず、なおかつ、米英両国に反発を強めているその根本は何かという最も肝心な点について、アメリカ自身があまりに無頓着すぎると厳しい警告をする。 小池 アメリカは『中東の民主化』を戦争の大義名分に掲げています。ブッシュ政権内のネオ・コンサバティブ(新保守主義=ネオコン)の人たちは、“イスラムは政治、法律、社会が一体となっているから危険だ”と否定していますが、イスラム国家(ウンマ)とは、そもそも人間生活のすべてをイスラムで包括するもの。アメリカはまずイスラムを否定するところから始まっている。そのことが戦争を難しくしている側面があると思う。 私も当初は日本との文化や考え方の違いに驚きの連続でした。カイロでタクシーに乗った時、運転手との会話が弾みました。車の中はコーランや数珠で飾りつけられており、熱心な教徒だとすぐにわかりましたが、『神様なんていない』と私が口にした途端、スピードがガクンと落ちて険悪なムードになったのです。私は危険を感じてすぐに降りました。 -それほど宗教心が強い。ブッシュ大統領の誤算もそこから始まった。 小池 ユダヤ教も、キリスト教も唯一神ですから、イスラム教とはなかなか接点がない。それぞれが自らの神の優越性を唱えるわけです。フセインのバース党はむしろ宗教色が薄く、世俗的な政権でアラブの人々は本音ではフセインの唱える聖戦(ジハード)に胡散臭さを感じていても、いざイスラムを否定するアメリカが土足で踏み込んでくることには嫌悪を抱くわけです。 -だから周辺国からイラクに義勇兵が集まる? 小池 そう単純ではないでしょう。現実には、誰かがバスを用意したり、武器をアレンジしたりするチャンネルがなければイラクまでは簡単に行けません。周辺国では反米思想の強いイスラム原理主義のイマーム(導師)たちがモスクで人々に呼びかけたり、お金を出すなりしているのでしょう。各国のイスラム過激派のネットワークが、バース党やアルカイダとも複雑につながり合っています。 -義勇兵の実態は傭兵か。 小池 報奨金目当てだけではありません。イスラムでは生死はアラーの神が決めることで、自殺は許されないが、殉教、つまり神に身を捧げるのは一番尊いこととされています。最後の審判を受けずに天国行きも約束されます。義勇兵たちは導師に扇動されて反米感情が燃え上がり、宗教的高揚感にかられている。お金は本人ではなく、家族に渡されます。フセインは自爆テロ攻撃を行った兵士に1億ディナール(約400万円)を与えたといわれていますが、それだけあれば残された家族は何年間も生活できるし、それ以上に義勇兵として自爆テロで死ねば、子々孫々まで“誰々は神に身を捧げた”と、家族の誇りとして語り継がれていく。そうしたイスラム社会の宗教的土壌をフセインは巧妙に利用し、扇動している。 「アラブ民主化」に根本的誤り。 -砂嵐も自爆テロも米英軍の誤算だった。 小池 アラブ諸国は何千年も前から互いに権諜術数を尽くして戦いを繰り返してきた歴史を持つ。ハイテク兵器を無力化する市街戦ともなれば、イラク軍はありとあらゆる策略を講じるでしょう。日本からも戦争を止めるという目的で“人間の盾”に加わっている人たちがいますが、そんなことをしなくても、もともとフセインはバグダッドの市街地の真ん中に軍の施設を持ってきたり、病院の中を兵器庫にしたり、小学校の地下に軍事基地を造ったりしている。平気で国民を盾にしているわけです。どんな手段でも使う。投降兵が少ないとか、市民が蜂起しないといわれますが、市民にすれば“まだまだサダムが生きているかもしれない”という恐怖がそうさせるのでしょう。 戦術も歴史的に培われたもので、地形や気候の特性に合っている。米英軍を苦しめている砂嵐は、私も何度も経験しました。窓を締め切っても、隙間から入るパウダーのような砂が風紋を作るんです。車を運転している時に砂嵐に襲われた際は3メートル前も見えなくなった。ワイパーを使ったら、フロントガラスがサンドペーパーでこすったようになりました。最先端のIT兵器も形無しでしょうね。ただし、米英軍も予想していたから季候がより悪くなる前に開戦を急いだわけです。空爆だけで勝利した湾岸戦争と違って、今回の地上戦が困難を極めることは頭ではわかっていても、あまりにもアラブの伝統的戦術を軽視してしまったことは否めませんね。 -日本が米英を支持したのは間違っていた? 小池 結論からいえば、今回の戦争はアメリカが勝つでしょうし、そうでなければ世界は一層混乱し、日本も困る。問題は勝ち方です。フセインの独裁政権は倒さなければならない。しかし、アメリカは『中東の民主化』を名分に、その先にエジプトやサウジアラビアの政権交代を視野に入れている。中東諸国にイスラム過激派やテロリスト・グループが多いのは、王政や独裁政権が多く、民主化が進んでいないために貧富の差が激しいからです。過激派のルーツである『ムスリム同胞団』は小学校の先生が始めた運動で、反植民地、反王制から反イスラエルへと発展しました。そうした構図は今も底流にあって、国民の反米感情が、米軍に手を貸す王族支配の批判や、“ムバラク王朝”と陰口が聞かれるエジプトの親米政権などへの非難につながる。アラブ諸国の国民は、宗教的反発からそもそもアメリカを敵対視していますが、支配層は、もし、イラクが解放されて民主化と復興が進み、国民が喜べば自分たちの立場も危うくなると恐れている。同じ反米でも立脚点が違う。 -一口に「アラブの民主化」といっても、一筋縄ではない。 小池 民主化が逆効果を生む場合もある。好例がトルコです。トルコは1920年代以降、ケマル・アタチュルク(トルコ共和国初代大統領)によって政教分離を進め、西欧化を目指してきましたが、冷戦構造崩壊後、先祖帰りの様相を呈しています。昨年11月にはイスラム色の強い正義進歩党(AKP)が一党単独政権を樹立し、結果として米軍への基地提供などが見送られた。アメリカにとっては、自らが標榜する『中東の民主化』によって大幅な戦略変更を強いられたのですから、最大の誤算といえるでしょう。イスラムを理解しないまま性急に民主化を進めたらどうなるかを示しています。石油の約9割を中東に依存している日本にとって、アラブ諸国で反米運動が強まり、アメリカが排除される結果になってはまさに板挟みで、決して国益にかなうとはいえない。 日本外交はタマちゃん並み -ブッシュ政権はやはり開戦を急ぎすぎた。 小池 アメリカは大量破壊兵器の撤廃、拡散防止を大義に掲げていますが、イラクのミサイルはワシントンには届かない。直接の脅威を受けるのはイスラエルとクウェートです。フセインの独裁政権が続けば、イスラエルの安全保障が脅かされる。世界を巻き込んで、イスラエルの安全保障を確立してあげるというのが、この戦争の隠された部分ではないでしょうか。PLO(パレスチナ解放機構)のアラファト議長に会った時、彼は『イスラエルはホワイトハウスをも動かす。アメリカがスーパースターなら、イスラエルは“スーパー・スーパーパワーだ”』と断言していました。アラブ諸国もそのあたりを嗅ぎ取っているから、一層反米思想を強める。ブッシュ政権は開戦前、言い訳をするようにパレスチナの独立についてのロードマップを発表しましたが、それを本当に実行してパレスチナ和平を仲介しなければ、アラブの人々からは信用されないでしょう。 -小泉政権は米英に追随するだけで、国益のために独自の外交努力をしなかった。 小池 日本の直接の国益は、世界の安定と石油の供給の確保です。対イラク攻撃をめぐる国連安保理の協議が決裂した舞台裏では、米英とフランス、ロシア、中国がイラクの石油利権をめぐって駆け引きを続けていました。すでに国際社会は戦争復興の枠組みや対イラク債権の処理で熾烈な戦いを繰り広げている。 -日本はそこに加われていない。 小池 日本も湾岸戦争前にイラクに投資した巨額の債権が焦げついたままです。先日の国連交渉で米英が行き詰まった時にこそ、債権の確保に代えた石油の確保や国連の敵国条項の廃止など、山積する問題への具体的な要求もすべきでした。お公家さん集団の外務省には『そんな下品なことはできない』と一蹴されるかもしれませんが、何の確約もなく、米英の肩代わりで安保理の中間派説得のために接待に尽くした日本外交の姿は、まるでハイエナの中の“タマちゃん”みたいなものです。 平和回帰を求めるのは当然としても、戦争を起こす政治の裏側では国益の肉弾戦が演じられている。そこに無力すぎる日本の立ち回り方を見ると、遅くはない。小池氏を外相にして働かせてはどうか。 |