高校の男女共学化を振り返る 京都市学校歴博で企画展
京都における高校の男女共学化を振り返る企画展「男女共学化の時代-戦後京都の公立高・女子高・男子高」が、京都市下京区の市学校歴史博物館で開かれている。第2次世界大戦後から1975年ごろまでの写真や学校新聞などから、共学が定着していった過程を考える。
高校の共学化は教育改革の一環として、戦後にGHQ(連合国軍総司令部)の主導で進められた。同博物館によると、京都は他地域より徹底された。反対は根強かったが、始まってみると多くの生徒はすんなりと受け入れたという。
女子高の光華高(現・京都光華高)で1954年に撮影された仮装行列の写真には、一部の生徒が男装で写っている。掲げるプラカードには「我等に自由を」の訴えと共に12項目が記載され、その中に「共学」の言葉があった。
鴨沂高の卒業アルバムからは、「仰げば尊し」と題して3年の男女が協力して、担任をみこしに担ぐ運動会の催しの写真を紹介している。先生の姓が「出店」なのでみこしが出店だったり、酒好きだったので一升瓶だったりと、趣向を凝らした5枚のパネルが並んでいる。
48年に新制高校となった府立京都第一中(現洛北高)生徒が作製した「京一中新聞」の号外では、トップ記事の見出しが「さあ共学への第一歩 成るか自由の学園」とある。同志社女子高の63年の学校新聞では「高校生に於(お)ける男女交際」を特集している。
共学が定着した後も長い期間にわたり実質上、女子のみの教科だった家庭科の変遷を追うコーナーもある。和崎光太郎学芸員は「大人の都合で実施された共学だが、生徒は自由に青春を謳歌(おうか)していた様子が分かる」と話している。
9月25日まで。水曜休館。大人200円、子ども100円。市学校歴史博物館TEL075(344)1305。
【 2016年07月19日 09時22分 】