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shi3zの長文日記 RSSフィード Twitter

2016-07-19

嘘とAI 08:04

 今年の大人向けプログラミング教室はおかげ様でなんとキャンセル待ちまで出る盛況ぶりだとか。

 あとは単純にNHKの教室のキャパの問題なので、できればもっと広い教室があればいいのだけど、もはやNHK文化センター的にはこれが限界っぽい。



 先週の講義では、「ゲーム」を扱った。

 「ゲーム」とは何か


 僕は色々な本の中で繰り返し「ゲームとはなにか」を述べているのだけど、ゲームとは「ルールと、それを守ろうとする力」であるという主張は10年来変わっていない。


 逆に言えばこの2つが定義できるものは全て観念的にはゲームであると言える。


 AIは「あらゆるゲーム」で人間に打ち勝つ可能性があるが、「ゲーム」が単なるお遊びではなく、「ルールと、それを守ろうとする力」によって成立するものであれば究極的にAIはどの分野であっても人間に打ち勝つ可能性がある。


 さて、先週の講義で個人的に面白かったのは、最後の場面だった。


 僕が「万能ゲーム」と呼ぶいつものプログラムをみんなに組んでもらって、「隣の人にわからないようにランダムな数字を出して、その数字を言う」というゲームをした。


 一見してゲームとは思えないように、このゲームは、ちーとも楽しくない。

 ランダムな数字を表示させて、それを言うだけ。


 ところが、これにもうひとつルールを付け加える。

 「但し、0と4と、前の人が言った数字を言ってはいけない」


 こうすると、3/11の確率で、必ず嘘を言わなくてはならなくなる。

 するとどうなるか、教室のあちこちで笑い声が聞こえるようになったのだ。

 

 一般に、人は嘘をつくのがストレスである。

 反対に、嘘を見破るのは快感だ。

 だから世の中には無数の推理小説があり、探偵ドラマがあるのだろう。


 嘘を見破れば思わずニヤリとしてしまうし、嘘を突き通せたら、やはり思わず笑ってしまう。

 嘘を見破られた時も、やっぱり笑ってしまう。ここで付く嘘は、システムから強要された罪のない嘘だ。


 こんな単純な仕組みで、人は笑うのである。



 この「ゲーム」にも元ネタはちゃんとある。

 ドイツのボードゲームだ。


 ドイツのボードゲームは、プレイヤーに「嘘をつかせる」仕掛け作りが非常に上手い。

 中でも、サイコロを振って1/3くらいの確率でどうしても嘘をつかなければならない状況を作るのが上手い。


 よく考えてみると、将棋や囲碁といった完全情報ゲームを除けば、人間が夢中になるゲームは嘘をついたり見破ったりするゲームが多い。ポーカーは言うまでもなく、麻雀も大富豪も、もちろんババ抜きだって最終局面では嘘の応酬になる。


 将棋や囲碁の場合、負けた時の悔しさというのは純粋に思考力が及ばなかったこと、訓練が足りなかったことの悔しさだが、ポーカーや麻雀の場合、「運が悪かっただけではないか」と思えるところが、これらのゲームがいつまでも人を引きつけて止まないポイントかもしれない。


 将棋と囲碁でさえ少し違って、僕は両方やるが、両方ともそんなに強くない。

 けれども、将棋をやると、疲れる。将棋の場合、やろうと思えば何手先でも読めてしまうので、どこかで打ち切らなければならない。持ち時間の問題もある。するとものすごくカロリーを消費する気がする。逆に言えば、コンピュータの計算資源が充分あれば、将棋の名人にAIが勝つのは容易い。だからこそ、電王戦はハンデ戦なのだ。


 囲碁の場合、そもそも先読みするにも限界がある。

 将棋に比べてべらぼうに選択肢の幅が広いのだ。せいぜい、自分が打った石の周辺と、大局的に見た時の動きしか予想できない。故に囲碁はAIが解くのが難しいと信じられていた。


 それでも達人と呼ばれる人は先を読む。けれども石が少ないうちはイメージで打つしかない。

 AlphaGoが異次元の強さに見えるのは、人間には不可能なほど、ハッキリと「盤面が見えてる」からだろう。


 嘘をつかないゲームは攻略法があるだけに難しい。

 ところが嘘を付くゲームでは、まだAIは勝ち目が薄いかもしれない。


 それでも、いつかAIは嘘を付くゲームをマスターするだろうし、その時は人間よりもずっとうまく嘘をつくようになっているかもしれない。もしそうなってしまったら・・・うーん、我々はずっとAIに嘘をつかれる人生を謳歌するしかないのかもしれない。



 一瞬悲観的な気持ちにもなったが、よく考えたら、我々は、どうせいろいろな人の色々な嘘を受け入れて生きるしかないのである。女は男に嘘をつくし、男も女に嘘をつく。親は子供に嘘をつき、子供は親に嘘をつく。嘘は人間社会の非公式だが欠かせない道具であり、時には敢えて嘘を信じるふりをするという嘘をつくこともある。思えば女性にどれだけ嘘をつかれたか数えてみると・・・・死にたくなってきた。


 まあこの状況にAIが増えたところで、大きな違いはあるまい。