「そりゃあ死ぬしかない!」
と言う事らしい。
雨模様とも成りますと、釣り師は囚われた達磨さんのようなものでして、手足が出ぬ上何処にもいけぬと、水気は有っても釣り師の干物が出来上がると言う事で御座います。
上がったりの釣り師と申しますと、三々五々群れる事で、一回り輪をかけた手柄話によからぬ相談、下衆で下世話な悪口と相場は決まるところで御座います。
一回り話が詰まったところで・・・
「どうだい、浪士様のブログもかれこれ200話辺りまで繋いだところだ、どじな釣り師のおかげで書くネタには困らない、返す返すありがたいことだ」
「この上はみなの衆には益々どじに励んでもらって、ブログのネタを絶やさぬよう励め」などと申しますと、一斉にああだこうだとさえずるところで御座います。
「大体自分のどじは棚に上げて、他人のどじの五割り増し、余りに慈悲の無さむごい仕打ちのなさりよう、世間じゃあ人でなしと呼ぶところです」などと言いますので「そりゃあまったく気の毒なこった、だがな宿命運命避けがたし、書かれるあんたらの運命と思ってあきらめるこった」などと適当な戯言で人生の無駄な時間は消費されていくのであります。
「ところで、ブログの文章も油の乗ったところで、そろそろ文豪と呼ばせてやろうか」等と言いますと言うわほざくわ、
「冗談じゃあねえ!一時は雑文の露天販売とかいいよりましたがね、今じゃあ位が上がって夜店の金魚でさあ。えぇ、そんときゃ良くてもすぐ死ぬるってね」
「わしは浪士様の事を文豪と呼ぶくれえなら、隣の水気の抜けた婆といっしょになるなんざあ、屁でもねえ」
どれもこれも気の効いた返しをするところで御座います。
まあ今に見ておれ、どいつもこいつもブログの餌食にされるとも知らず、知らぬが仏今のうちが華よ。ま、せいぜい枕を高くして寝るこった。
「浪士様、文豪と言やあ、ほんとの文豪と評価される人は死んでから評価されるのが本筋で、生きてる間の評価は生臭くっていけません、やはりここは王道ということで綺麗さっぱり逝っちまったらどうです?」と、とうとう止めを刺そうなどと企てる奴が出てきます。
この男ご丁寧にもふぐ中毒の死にぞこないと来た者ですから、随分と嘲られる事です。
「良し分かった!よ~く理解した!ここは一番本筋の文豪を目指す事としたから、手順としてまずあの世に行く! いますぐ気の利いたフグの二~三匹釣ってきてくれ!」
これは今朝ほどの事だ、早速ブログネタになりよって。
それにしても降り止まぬ事だ、こうなったらあいつのあの事でも書こうか・・・。