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佐高 信の「一人一話」

たくましい花 小池百合子

佐高 信 [評論家]
【第49回】 2016年7月18日
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 「今日はどうぞいじめないでくださいね」

 『サンサーラ』という雑誌の1993年3月号で対談した時、国会議員になってまもない小池はこう言った。しおらしくして見せるのである。彼女にとって、そうしたしぐさはお手のもの。もちろん、演技は自然で、テクニックであるというような風情は微塵も見せない。

細川護煕と出会い日本新党から出馬

 小池は最初、細川護煕がつくった日本新党から出馬したが、彼女を政治の世界に引き寄せたのは『朝日新聞』のアフリカ記者として鳴らし、『朝日ジャーナル』の編集長もした伊藤正孝だった。小池はカイロ大学を出ている。そんな縁で伊藤と知り合ったが、伊藤は『朝日』の鹿児島支局で細川と一緒だった。伊藤の方が先輩である。

 「細川と会ってくれないか」

 トルコ風呂改称運動やエチオピア旅行、それに日本アラブ協会の再生などで、ずいぶんと世話になった伊藤に頼まれ、細川と会った小池は、そのまま、参議院議員への道を走り出すことになる。

 考えあぐねて、ついに決意したことを夜更けの電話で伝えると、伊藤は、「ホッホー、そうか。やってくれるかあ。アッハーハーッ」と笑ったという。

 その伊藤に小池は「製造物責任はとってくれますね」と念を押し、それから、迷った時には何度も夜中に電話をしてアドバイスを求めた。

 伊藤は1995年に58歳で亡くなった。

 多分、伊藤は細川と小池の“蜜月時代”しか知らずに逝ったはずである。亀裂後に相談したら、伊藤は何と言っただろうか。

 「損失補填を受けた局に取材に行きました」

 私は小池がテレビ東京の「ワールド・ビジネス・サテライト」のキャスターをしていた時、何度か会った。なかなかにスルドイことを言う。

 証券スキャンダル発覚の渦中に、一晩でテレビ朝日、テレビ東京、そしてTBSをまわる羽目になったことがあった。彼女の番組を中座してTBSに行った。

 あとでVTRを見たら、彼女は、「サタカさんは損失補填を受けた局に取材に行きました」などと言っていた。

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佐高 信 [評論家]

さたか・まこと 1945年山形県酒田市生まれ。評論家、『週刊金曜日』編集委員。高校教師、経済雑誌の編集者を経て評論家に。「社畜」という言葉で日本の企業社会の病理を露わにし、会社・経営者批評で一つの分野を築く。経済評論にとどまらず、憲法、教育など現代日本のについて辛口の評論活動を続ける。著書に『保守の知恵』(岸井成格さんとの共著、毎日新聞社)、『飲水思源 メディアの仕掛人、徳間康快』(金曜日)など。


佐高 信の「一人一話」

歴史は人によってつくられる。ときに説明しがたい人間模様、ふとした人の心の機微が歴史を変える。経済、政治、法律、教育、文化と幅広い分野にわたって、評論活動を続けてきた佐高 信氏が、その交遊録から、歴史を彩った人々の知られざる一面に光をあてる。

「佐高 信の「一人一話」」

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