「布袋の大仏」を何度かネタに使わせてもらった。休日なんで、気晴らしにどこか近場へ出かけようと思って、この際お礼につか失礼をお詫びにつか、大仏様に参詣に行こうと思い立った。
ネタにしたというのは、これと…
これです。
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あと、弊ブログとしては久しぶりの300を超えるブックマークをいただいた3日前のエントリーも(ありがとうございますm(_ _)m)、関係あると言えば言える。布袋の大仏様は薬師如来だが、薬師如来の由緒もまさに同日のエントリー中で言及した書籍中に出てくるのだ。
上掲書巻頭の「解題」中の、“三『薬師経』の概要” より引用する。
釈尊は、広厳城の楽音樹の下に居られた。対告衆は曼殊室利(文殊菩薩)である。
文殊が諸仏の名号と本の大願と殊勝の功徳とを尋ねたのに対して、仏は文殊に次のように説かれた。ここより東 に十恒河沙等の仏国を過ぎると、浄琉璃という名の世界があり、そこに住する仏を薬師琉璃光如来という。かつて菩薩として修行していた時に、「私が来世に悟りを得る時には……となるように」という十二の大願を発した。
第一の大願。身体の光が世界を照らし、衆生が自分と同じく三十二相・八十随好でその身を荘厳するように。
第二の大願。身は琉璃のごとく清く透き通り、日月にまさる光明によって幽冥の衆生が心の闇を開くように。
第三の大願。智慧と方便によって、衆生の手に入れたいものが不足しないように。
第四の大願。邪道にあるものは菩提道に、声聞・独覚乗は大乗に赴くように。
第五の大願。梵行を修行する時には戒を失わず、仮に破っても私の名を聞くことで清浄を得て、悪趣に赴くことがないように。
第六の大願。身体の機能に障害のあるものは、私の名を聞けば回復するように。
第七の大願。様々な病気に苦しむ人が、私の名を聞けば回復するように。
第八の大願。女性が女身を捨てたいと願い、私の名を聞けば男性になるように。
第九の大願。魔や外道の束縛を脱し、悪見を正見に変え、菩薩行を修して無上正等菩提を証するように。
第十の大願。国の法律によって牢に繋がれ刑罰に苦しむものが、私の名を聞けば苦難から逃れるように。
第十一の大願。飢えや渇きに苦しみ、そのために悪事を働くものも、私の名を聞けば最高の飲食を得、続いて法味に安らぐように。
第十二の大願衣服がなくて蚊虻寒熱に悩まされるものでも私の名を聞いて専念受持すれば、最高の衣服や荘厳具が得られるように。
この薬師如来の大願と仏土の功徳荘厳は一劫以上の間説いても説き尽くすことはできない。その仏土は西方極楽世界のごとく功徳荘厳され、日光遍照と月光遍照の二菩薩を上首としている。善男子・善女人は彼の仏の世界に生まれるよう願うべきである。
続いて、仏名を聞き、あるいは憶念して至心に受持することの功徳が説かれる。すなわち、布施・持戒・忍辱などの益が増進し、呪詛などの難から逃れることができ、西方極楽世界の無量寿仏所に生まれたいと願うものは命終後に往生でき、後世で女身を捨てることができると説く。文殊は、像法転時に、衆生に薬師如来の名号を聞かしめるようにすることを誓う。
仏は薬師如来を供養することを勧め、如来の形像を造り、荘厳し、七日七夜、八分斎戒を受持せよと説く。仏が阿難に薬師如来の功徳を信ずるかどうかを尋ねたのに対して、阿難は如来の諸説は疑わないと答える。
次に、救脱菩薩が、死期の迫った人に対する寿命の延長の方法を説く。この経典の特徴的箇所の一つである。『出三蔵記集』第五の『灌頂経』所収の『薬師経』を挙げた箇所(大正五五、三九上)には、「この経の後に続命法あり。ゆえに遍く世に行われる」とある。病人の親族・知友などが薬師如来に帰依し、諸僧にこの経典を読誦させ、七層の燈火を灯し、五色の続命神幡を掲げることが勧められ、さらにその燈・幡の造り方が説かれる。また、国の統治者が遭遇する可能性のある災難について、人衆疾疫難(人々が病気にかかる災難)などの七難を説き、また衆生に九種の不慮の死があることを説き、やはり神幡・燈火がそれらに効果があると勧めている。
次に、十二人の薬叉大将が、薬師如来の名号を聞いたからには、悪趣に落ちる恐れはないので、力を合わせて一切の衆生を利益し安楽にすることを誓う。
(上掲書P30~31、改行位置変更しました)
引用の真ん中あたりに、「日光遍照と月光遍照の二菩薩」というのが出てくる。奈良市西ノ京町の薬師寺の本尊は薬師三尊像であるが、これは左右の脇侍に日光菩薩と月光菩薩を配した薬師如来像のことである。
下から三行目の「十二人の薬叉大将(夜叉大将)」というのは、玄奘訳『薬師本願功徳経』によると
宮毘羅〔くびら〕大将 伐折羅〔ばさら〕大将
迷企羅〔めいきら〕大将 安底羅〔あんちら〕大将
頞儞羅〔あんにら〕大将 珊底羅〔さんちら〕大将
因達羅〔いんだら〕大将 波夷羅〔はいら〕大将
摩虎羅〔まこら〕大将 真達羅〔しんだら〕大将
招杜羅〔しょうとら〕大将 毘羯羅〔びから〕大将
(上掲書P184)
のことで、音訳なので充当される漢字は訳ごとに異同がある。奈良市高畑町の新薬師寺の本尊、薬師如来坐像を囲繞する十二神将は、まさにこれに当たる。
これらの古寺名刹も、交通費さえ工面がつけば現住所からは決して遠くないから訪れてみたいが、なに国宝重文ばかりが仏像ではない。教義論を述べるなら、仏名を口称すれば、すなわち「南無阿弥陀仏」と唱えれば、いつどこでもそこが仏前なのである。
ええい、いつもながら前置きが長いな。調べてみれば、最寄駅の布袋駅は名鉄の急行停車駅で、名鉄名古屋駅から20分足らずという近場なのだ。しかも名古屋駅からこの方面への急行・準急は、1時間に4本も出ているではないか! 特急から普通に乗り換えも含めれば、時間6本だ。いつものスマホカメラで、雑に写真を撮りまくったので貼ってみる。
あっという間に布袋駅着。近場で利便性が良くても一度も降りたことのない駅というのを、いくつ残していることだろう? コンプリートなんて、できるものだろうか?
高架工事をやっていた。「平成30年完成予定」だそうだ。
布袋駅全景。真新しい機能的な印象を与える駅だった。
駅前ロータリー。向かいのビルの1階は書店&文具店だった。
こんな看板がかかっていた。
事前にネット情報を調べておいた。線路沿いに北に向かって徒歩15分とのことだった。
線路の東側に沿った細い道を歩いていて、家並みが途切れると、途端にこの光景に出くわした。
上の写真手前の砂利を敷いた土地は駐車場である。失礼して線路ぎりぎりまで接近し、電車が通過するタイミングを狙ってみた。
通り過ぎる電車を見守るかのような仏頭。
駐車場に侵入しなくても、上の写真の右よりに写っている踏切には、たっぷりと歩道がとってあった。そこからの方が接近して撮ることができたのだった。そういうことは、だいたい後から気づくものである。
踏切を渡ったところにある看板。ウィキペによると、大仏の後ろには治療院が併設営業し、大仏と建物は完全に一体となり人が住んでいるとのこと。
正式名称を「御嶽薬師尊」と言うそうだ。御嶽信仰と習合しているのだろう。御嶽信仰についてはよく知らないので、今後の調査テーマである。
ウィキメディアの写真よりも、枝が繁っている。
合掌、礼拝しつつ、接写。
容貌魁偉ということがよく突っ込まれるが、慣れると親しみがわいてくる。巡回しているブログに生後一ヶ月の赤ちゃんの写真を毎日アップしているところがあって、ついそこを想起してしまうのだ。もし計算して造形したのだとしたら、たいしたもんだと思う。
しかし、突っ込みどころは容貌だけではないのだ。おいおい、大仏様の頭にアンテナが乗ってないか? あとでもっとはっきり写っている写真が出て来ます。
案内書。
道路を隔てた向かいに立っていたコンクリート製の灯篭(?)。2階建ての民家ほどの高さがあった。選挙ポスターが表裏に貼ってあった。いいのか?
大仏背後の建物。
治療院入口。休日なので休診だったが、電光掲示板はずっとまばゆく動いていた。
治療院入口から大仏背面を見上げる。確かに建物と一体化している。それと、くまモンみたいに意外と薄い(なんちゅう比喩だ?
鐘楼もある。
鐘楼の後ろから撮ったところ。左側の黒く見えるものは「秀覺藥信靈神(秀覚薬信霊神)」という神号を刻した碑である。
建物背面の小道に侵入して、反対側から。あれ? 窓の中にブルーシートが見えないか?
拡大すると、ちょっと傾いているが、頭には確かにアンテナが立っている。アマチュア無線のVHF波やUHF波で使われるグランドプレーンアンテナと呼ばれるのもののはず。さらに斜めに何本もかかっているケーブル状のものは、アマチュア無線のHF波で用いられるダイポールアンテナである。
布袋大仏はあくまで民家なのだから、どう使おうと所有者の勝手ということなのだろう。
しかし、それにしては一方で…
元の通りに戻って、掲示板に貼ってあった地域のパンフレットや新聞記事。
ガラス越しで写りがよくないけど、建立当初の周囲になんにもない頃の写真がインパクト大きい。
観光案内板。同じ形のものを市内のあちこちで見かけたので、市で作ったものだろう。
こんな略地図も、やはり他の場所でも見かけた。
「観光資源としては、しっかり活用しよう」という意図を感じた。
そうやってケチをつけている私だって、一般民家の周辺を歩き回って写真を撮っている不法侵入者ということで、通報されても文句は言えないのだが。
もし不審尋問されたら「ポケモンGOをプレイしていたんです」と言い訳をしよう。
この項続きます。後編は「町内散策編」の予定です。