日銀 10年前に望ましい物価上昇率の表現で激論

日銀 10年前に望ましい物価上昇率の表現で激論
日銀が公表した10年前の金融政策決定会合の議事録で、当時、デフレ脱却に向けて実施していた異例の量的緩和政策を解除するにあたって、市場の安定を図るため、日銀として望ましい物価の上昇率をどう表現するかを巡って、激しい議論が交わされていたことが分かりました。
日銀は、10年前、平成18年の3月にデフレ脱却を目指して5年間続けてきた異例の量的緩和政策を解除しました。日銀が公表した当時の金融政策決定会合の議事録によりますと、その前の2月の会合では、政策を解除したあとの経済や市場の安定を図るため、日銀として望ましい物価上昇率をどう表現するかで激しい議論が交わされています。

この中で、当時の中原眞審議委員は「望ましい物価上昇率の下限を示す程度のことは最低限必要で、デフレに戻るリスクを制限することにつながる」と述べ、中央銀行が一定の物価上昇率を設定して金融政策を行う「物価目標」の導入に前向きな考えを示しています。これに対し、須田美矢子審議委員は「数字を出せば、何が何でも実現しなくてはならないと目的化してしまう。そのことがもたらす混乱を懸念している」と述べ、物価目標の導入に慎重な姿勢を示しています。また、当時の福井俊彦総裁は「数字がひとり歩きしやすい性質をもっているとしても、数字を打ち出すことを考えないと責任回避になるリスクもある」と述べました。

結局、日銀は量的緩和政策を解除した3月の会合で、望ましい物価上昇率を「0%から2%程度」と、幅は持たせながらも具体的な数値を盛り込んで公表しました。10年たった今、日銀は2%という明確な物価目標を掲げて、大規模な金融緩和を続けています。