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インタビュー

『真田丸』での秀次は、意外な動機で死を選びます。
演じた新納慎也さんに秀次の心境を語っていただきました!

 

マイペースに生きてきた秀次

舞台俳優として、今年で25周年を迎えます。大河ドラマへの出演は、日本で役者として生きる者にとって大きな目標のひとつであり、名誉なことです。収録が終わった今でも信じられない思いです。

三谷さんからは「ただただ、飄々(ひょうひょう)と、繊細に演じてください」と言われ、脚本でも初登場から屈託がありませんでした。史実では、このころ家康との小牧・長久手の戦いで敗北しているのですが、『真田丸』の秀次は基本的に戦には興味がありません。幼くしていろいろなところに養子に出され、叔父が秀吉という権力者ですが、マイペースに生きています。“飄々と”をベースに、“人の心の黒い部分を知らずに生きてきた秀次”を表現しようと思いました。

秀次の人物像は、資料として読んだ本それぞれに違っていましたが、僕は実直で穏やかな人だったのではと思っています。撮影に入る前、秀次とその家族を弔った京都の瑞泉寺を個人的に訪問して、住職からたくさんお話をうかがいました。秀次は一部で言われている「殺生関白」というようなエキセントリックな人ではなく、穏やかな人だとおっしゃっていて、見せていただいた肖像画も、憂いのある穏やかな表情でした。本当はこういう人だったのかな、と僕も思いました。

三谷さんからは「ただただ、飄々(ひょうひょう)と、繊細に演じてください」と言われ、脚本でも初登場から屈託がありませんでした。史実では、このころ家康との小牧・長久手の戦いで敗北しているのですが、『真田丸』の秀次は基本的に戦には興味がありません。幼くしていろいろなところに養子に出され、叔父が秀吉という権力者ですが、マイペースに生きています。“飄々と”をベースに、“人の心の黒い部分を知らずに生きてきた秀次”を表現しようと思いました。

きり(長澤まさみ)が、何度か秀次にお願いをしにきましたが、その度に秀次は気軽に引き受けます。関白という地位にある人物にしては、とてもフランク。秀吉にもフランクなところがありますが、目は笑っていません。秀吉の強い部分がないのが秀次です。もし秀次が関白として長く生きていたら、頼りない部分もあるかもしれませんが、人の話をよく聞き、うまく治めることができていたかもしれません。そんなふうに思います。

小さなストレスが積み重なり

秀次は養子に出された先々で、相手の顔色をうかがう人生を送ってきた人。だから、どこにあるかわからない秀吉の地雷を踏まないように暮らしていくことが、くせになっていたのだと思います。秀吉の姉の息子である秀次は、秀吉とは叔父と甥(おい)の関係ですが、『真田丸』では秀吉と寧に対して、父と母という感覚で演じることにしました。厳しさやむちゃな部分もあるけれど、そこに愛情を感じて返す、親子独特の空気感を感じてもらえた方がわかりやすいかな、と。親子だからこそ、「わかっているだろう」と思ってちゃんと話さないし、口に出さない。現代でもありそうなことですよね。

最終的に秀次が選んだ道が切腹となるわけですが、強い自分の意思を持って選んだ道ではなく、ここしか歩けなくなった果ての死であったと思います。養子や関白というレールに乗せられ、気づいたらそのレールの先には死しかなくて、「それでは死ぬしかないかな」と、すっと受け入れたのではないでしょうか。

話が進んでいくと、あんなに笑っていた秀次が笑わなくなります。秀頼が生まれたから、というよりも、きっと彼は自分でもわからないうちに、プレッシャーを感じ続けていて、ストレスが蓄積していったのでしょう。重圧を何十年も感じ続け、ある一定量に達したら、感情があふれ出して止まらなくなった。そこからは、誰が何を言おうと聞こえない、見えない状態に。信幸(大泉洋)とは、もう少し前に出会っていれば親友となっていたかもしれません。ただ、あの段階では秀次は差しのべられた手にも気づけない精神状態でした。

ちょっとずつ坂を転がり落ちるように死へと向かっていく秀次が、どこで死を意識したのか、ということは、監督ともずいぶん話し合いました。悟りの境地のような感じも表現したくて、試行錯誤しましたが、最終的には僕自身「ここ」とは決めずに演じることにしました。秀次が死を意識した瞬間がいつであったかは、見ている方の想像にお任せする、という余白のある在り方でいいのかなと思っています。

1回きりの奇跡を映像に残せた喜び

初めは関白というプレッシャーから逃げ出したいと、突発的に聚楽第(じゅらくてい)を飛び出したのでしょう。しかし、関白という立場にあるために事態がどんどん大きくなって、プレッシャーがさらなるプレッシャーを招く状況になった。そして信繁(堺雅人)が秀吉に呼ばれたということを聞いて、「いよいよ……」という心境に陥ったのだと思います。

高野山・青厳寺で信繁と向かい合うシーンでは、最後の最後に秀次が信繁にウソをつきました。このシーンは監督、三谷さん、そして堺さんとよく話し合って、だまされているのは信繁だけで、視聴者の方には秀次の心情が分かる、というシーンに作り上げました。ウソをつけない秀次が、信繁を信じさせるためについた渾身のウソ。難しかったですけれども、本番がうまくいってよかったです。

切腹までの5つのシーンは、その世界に入り込むことができるようにとスタッフの皆さんが配慮してくださり、順番に撮影しました。途中、休憩もなく一気に。そこで、舞台ではできない体験をさせていただきました。切腹直前の高鳴る心臓の音を、音声さんが拾ってくださっていたのです。秀次の「これから死ぬ」という感情を制御できませんでした。舞台では稽古を1か月ほど行うのですが、稽古中にこういうことが起こっても、何十回もある本番の舞台上で毎回再現することはなかなか難しいものです。けれども映像は、1回きりの奇跡を残すことができます。あのシーンは、自分でもわからないものが生まれた瞬間でした。極限まで集中した最終日の本番に、映像の仕事のすばらしさ、楽しさを体験できたように思います。

切腹の直前、秀次は笑おうとしました。けれどもうまく笑えない。この芝居は自分の希望で入れてもらいました。運命に翻弄された人でしたが、秀次らしい最後になったと思っています。

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