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*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成


そうですね

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月18日(月)15時00分36秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/52246
御本尊売込み計画   投稿者:虹と創価家族   投稿日:2016年 7月18日(月)14時50分56秒
について

犀角独歩さんが、社会的抹殺状態を回避し、今後の人生のためにもそれが最善でしょうね。
FBIさんの二の舞になる前に。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

御本尊売込み計画

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月18日(月)14時50分56秒
  マスコミ関連が、この情報をスルーするとは思えない。

人物・場所・日時・内容が、あまりにも具体的だからだ。
ましてや、教学部レポート・遠藤文書と掛け合わせたら大変な話題となりそうだ。

既に、頭の切れる報道関係者なら、情報の裏を取りに行っているのではないだろうか。
ましてや、犀角氏のコメント(証言)をとったら、大変なスクープになるのでは。


【御本尊売込み計画】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51234
 

ありがとうございます!

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月18日(月)14時35分8秒
編集済
  ひかりさんありがとう!m(_ _)m

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

先日来の本尊を巡る議論を拝して

 投稿者:小作人@地上の発心  投稿日:2016年 7月18日(月)14時11分53秒
  願主・弥四郎国重とは誰なのか?(具体的な人物特定の問題ではなくて)

熱原郷の農民たちは人としての尊厳をかけて一体何と戦ったのたか?

>>>>>>>>>>>>>>>>>>

「一閻浮堤総与の大御本尊」が認められ、戒壇本尊に位置づけられた経緯を辿り直す試みをなす中で、
東国武士政権という新たな統治機構が形成された鎌倉期という時代に大聖人がご出現なされた意義、
そして21世紀の今、連立与党を使嗾する信濃町の硬直した官僚機構の下で本尊の意義が大きく歪曲
されていく現下の事態に対して、独自の考察を披瀝する機会を得たいのですが、、、

すみません、まだ論考として明瞭に定まったものではないので、もう少し思索を深め総論を練り直したいと思います。
長らく活字の世界で祿を喰んできた者としては、むしろ紙の上で所見を開陳するに相応しい論題かも知れません。
 

太ちゃんさま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月18日(月)14時06分4秒
  どうぞ、どうぞ。
お役に立つようなら、必要な方に話してあげてください。
こちらこそよろしくお願いします。
 

本尊が蒲鉾上に湾曲する理由は?

 投稿者:感性  投稿日:2016年 7月18日(月)13時55分34秒
編集済
  >御本尊様、そして体感と記憶。   投稿者:蘭夢   投稿日:2016年 7月17日(日)18時08分17秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52155

貴重で崇高な御体験を書いてくださった謝意やいくつかのことについて書いていたところ誤操作で投降予定文が全部消えてしまいました。だからとりいそぎ以下の部分についてのみ言及させて
いただくことをお許しください。

②日達上人書写の御本尊様
のところで

>幹部は語った。
>秘密だけれど・・・口外しないようにと、口止めした上で語った。

>お題目がたくさんあがっている御本尊様というのは、このように厚みのあるような姿に変わると
>のこと。

と書かれています。

私も第二次宗門問題が起こる前の80年代前半に当時、多くの家庭に安置されていた日顕書写本尊で
この現象はあからさまに見ています。
近所に住むブロック長相当の方が自然な形で同じことを述べられていて、、ちょうどその頃、題目をよくあげる一人暮らしの先輩の同様の本尊が中央の南無妙法蓮華経を中心として蒲鉾上に湾曲していたのをまざまざと見ていたので現実感を持って受け入れることができました。
(ちなみに当時、登山会を引率した会館職員の方から大石寺境内を歩きながらの例の大聖人の「御肉牙」について聞かされたことがありますが、到底、受け入れることは出来ませんでした。)

そしておっしゃるよう題目をあげているとは思えない家庭の本尊では蒲鉾上に湾曲しているものは
見た記憶はありません。私は当時、「特別」の付かない日達写しの普通のお形木本尊を安置していましたが、それ以後、先輩の日顕特別お形木本尊のような蒲鉾上に湾曲を目指して唱題に励んだこともあります。(これは適いませんでした。)

誰の書写の写しであるにも関わらず、この現象はあるのでしょうか?

例えば死後の相の良し悪しについては宗教上以外の理由はありえると思います。
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48889
しかし、唱題の量(質も?)と本尊が蒲鉾上に湾曲をするのは宗教上以外の理由はありえる
のでしょうか。そうだとするとやはり、水分(湿気)や乾燥の問題なのでしょうか?

蘭夢様に限らずどなたか御所見等をお願いしたいところです。
 

竹岡男子部長へ

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月18日(月)13時42分15秒
編集済
  父親が金属製の御本尊を、学会本部に売り込もうとした。

息子として黙っていて良いのか?

それとも、「犀角氏のブログは全てウソ」と言うのか?

男子部だけでなく、学会全体、そしてマスコミ関係にも情報は拡散し続けている。

【御本尊売込み計画】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51234
 

yさん様

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月18日(月)13時18分33秒
  貴殿の投稿が当掲示板の主旨に全く反しているとは考えておりません。
しかし、議論を深めようとするのか、真実を求めているのか、眼を覆い隠そうとしているのか、
長らく議論され積み重ねてきているにも関わらず、表層的なことに囚われているように見えます。

法が顛倒すれば道理は通じなくなります。
常識や当たり前だと思っていることを、もう一度見つめ直すことも重要ではないか。

投稿を自粛するかしないかはお任せしますが、有意義な議論を望みます。
 

管理人様

 投稿者:yさん  投稿日:2016年 7月18日(月)12時58分57秒
   管理人様の意向は了解致しました。コメントは今後しないことをお約束いたします。この板の主旨に反するコメントを長らく許可いただいたことは、感謝しております。ありがとうございました。  

yさん様へご提案です

 投稿者:管理人  投稿日:2016年 7月18日(月)12時47分58秒
  > 師敵対との批判の根拠となっている教学レポート、遠藤文書の作者がもう割れているのですから、少なくともその方が実名で、執行部の過ちを糾弾してもらわなければ、一般会員には何の説得力を持たないばかりか、

貴殿はそれが容易もしくは可能であるという考えなのでしょう。
ここに投稿されている方の多くは、それぞれの組織の実体験や社会経験上、
そう容易にできるものではないと判断をしているではないでしょうか。

貴殿が可能であると考えることは自由ですが、それならばそれよりも簡単な
本人たちへの確認を貴殿が行うことを提案します。

貴殿の投稿を見てきましたが、当掲示板で長らく議論されていることを
全て無視しての投稿が目立ちます。

一見さんであればまだわかりますが、貴殿はずーと見てきていることが伺える。

貴殿は以前より本物であれば自分が立ち上がると仰っていたかと記憶しております。
それであるならばぜひ貴殿が確認を取られてみてはいかがでしょうか。

それをされないのでしたら、当掲示板を「社交サロン」と仰るぐらいなのですから、
今後、議論の妨げになるような『投稿は』ご遠慮いただきたいと思います。

以上
 

(無題)

 投稿者:yさん  投稿日:2016年 7月18日(月)12時42分44秒
   ジョーカーさんとのやり取りをした後、しばらく見るだけにしていましたが、やはり現執行部を師敵対と断言してしまう方々の言動には賛同できませんでした。

 ジョーカーさんには申し訳なく思いますが、半年ほど思索したうえで今の思いを正直に述べております。桃太郎さんのコメントには、大変共感しています。この掲示板の拡散を先生が期待しているとは私もとても思えません。

 いろいろな長の下で経験させていただきましたが、どんな器量の狭い幹部だからといって批判、追及したからと組織が歓喜あふれるように変わるでしょうか、、、。その幹部の足りない所を補いながら支え、自身の真剣な行動で組織に波動を起こしていくのが、先輩方から教わった学会精神だと私は思います。









 
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月18日(月)12時37分37秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2007-2-8 【新時代祭4回本部幹部会 新時代第1回全国青年幹部会】

■ 一、新時代第一回の青年部幹部会おめでとう!(大拍手)
青年の時代だ。
私も青年時代、やり切った。
 戸田先生の弟子として、世界的な偉業を成し遂げてきた。
 青年部の君たちも、若いのだから、なんだってできる。
 この「時」を逃して、身勝手に生きたり、臆病になっては、自分が損をするだけだ。  今こそ、永遠性の価値ある青春を、偉大なる広宣流布の歴史を、師子王のごとく堂々と築いていっていただきたい。
 それが創価の青年の生き方である。
 男子部も強くなった。
 女子部も光っている。
 学生部も頼もしい限りだ。
 特に若い、新しい人材が躍り出始めた。私は、うれしい。
「未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ(御書231㌻)」と経文には仰せである。
 今、これほど真剣な青年が、希望に燃えて、躍動している世界は、ほかにどこにもない。創価学会しかない。本当に明るくなった。
 ゆえに、経文に照らせば、広宣流布の未来は限りなく明るい。学会には素晴らしい前途が洋々と開けている。(大拍手)

●人間性光る幹部 法に則った組織
 一、後世の為めに申し上げておくが、幹部が威張ったり、堕落して、その為に会員が犠牲になるような組織だけはつくってはいけない。
 どこまでも、人間性あふれる幹部であり、組織であり、普遍の法に則った学会であらねばならない。
 もしも、仏法に違背するような幹部が出ればきっぱりと正しい意見を言いきっていくべきである。その人が本当に学会を守る人である。

■ 一、尊き海外の同志の皆さま方、遠いところ、寒い中、本当にようこそ、お越しくださいました!(大拍手)
 カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、フランス、ブラジルの皆さま、有意義な研修会、まことにご苦労さまです。
 私たちは、法華経の通りに、広宣流布の指導者の皆さま方を、「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如く」最敬礼をしてお迎え申し上げたい。
 全員で起立して、もう一度、大拍手歓迎しましょう。本当にご苦労さまです!(大拍手)

● 「恩師に捧げる」
このほど、ブラジル政府の教育省から、公式文書が届いた。
 それは――名門・マットグロッソ連邦大学から私への「名誉博士号」の決定通知であった。
 これで名誉学術称号は決定通知を含めると「226」となった。(大拍手)
 一、すべては、恩師・戸田先生に捧げる栄誉である
 ――この一念で私は生きてきた。
 どんな世界でも、師匠の事を忘れず、師匠に何かで応えていく。それが弟子の務めである。師弟とはそういうものである。
 いわんや、「師恩」を最も大切にするのが仏法である。それを知るか知らないか。深く実行するかしないか。それで一切は決まってしまう。断じて増上慢にいなってはいけない。
 そしてまた。福運は全て我が同志に通ずるものであり、お子さんやお孫さん、必ず立派に育ち、海外に雄飛したり、優秀な博士になっていく証なのである。
 さらに、私が代表でお受けする事で、わが同志が、我が弟子が、その国、その地で、未来永劫にっ絶対に護られ、勝ち進んでいける「信頼の道」を開いていることを知っていただきたい。
 ここに師弟一致の深き意義がある。
 ともあれ、全世界の心ある知性も、指導者も、創価学会の「人間主義」の哲学を求め、その「前進・勝利」を喜び始めた。
 時代は大きく変わっているのである。(大拍手)

●人間賛歌を高らかに!
 一、『永遠の都』の主な舞台は、西暦一九〇〇年のローマである。
 若き革命家たちが、民衆が、時の暴政に立ち上がる。宗教の権威や政治の権力と敢然と、敢然と戦う。
 その先頭に立つ一人がロッシィ。
学会でいえば青年部のリーダーである。
 革命児たちは、人間共和の理想を掲げる。
 本来、人間に、上も下もない。皆、平等だ。我らの「人間主義」の心情とも共鳴する。
 『永遠の都』を目指す若人は、絶対の同志愛で、厳冬のごとき幾多の試練を乗り越え、歓喜が躍動する「勝利の春」を勝ち開く。そういう物語である。
 この本を通して戸田先生は、学会の真髄の精神を教えてくださった。
本当に偉大な先生であられた。
 広宣流布とは、平和と文化と教育の「永遠の都」作る大事業である。

●師弟で築け永遠の都を
 一、再びロッシィの信念を紹介したい。男子青年部の諸君の為めに。
 「今後どんな事態が発生しようと、そんなことは少しも意に介さないで、民衆の為めに一身をささげよう。自分と、人の世のために尽くすという仕事のあいだには ―― たとえどんなことであれ割り込んでくる余地はないのだ」
 そしてロッシィはこうも綴っている。
 「我が身に課した使命を貫くにあたって、いつかふりかかってくるやもしれぬ艱難(かんなん)を受け止める覚悟ができていなくてはなりません」
 またある登場人物は語っている。
 「山は動かない。しかし人間は動くようになっている」印象深い言葉である。

●学会ほど素晴らしい集いは、世界にない。
 一、広宣流布は、戦いだ。抽象論でもなければ、遊びでもない。
 その戦いに臨む心構え、覚悟を大聖人はこう仰せである。
 『「釈迦・多宝・十方の仏よ! 来り集まって、我が身に入り、我を助けたまえ!」と祈念しなさい』(御書1451㌻通解)
 「弥三郎殿御返事」で、大聖人が激励しておられる。
 祈りがあれば、すべての仏菩薩が動く。
 我々とともに、何千万、何億万という仏菩薩がいる。
 それは、目に見えないけれども、仏の眼からご覧になれば、厳然と見えているのである。
 毎日、皆さんが唱題する時にも、無数の仏天が、一緒に御本尊に向かっている。
 日々の勤行、唱題とは、そういう儀式であり、「全宇宙が舞台」なのである。

●一番強い「大願」それは広宣流布
 一、さらに御書を拝したい。
 大聖人は、法華経授記品から、「魔および魔民があったとしても、皆、仏法を守護する」という一節を引かれている(同1242㌻ 通解)。
 本当に信心が強ければ、魔物も、魔民も、全部、その人を守る働きとなる。敵であっても、味方に変えることができる。
 これが妙法の力だ。

● 来るべき春に備え力を蓄えよ
 一、戸田先生の哲学に学びたい。
 「冬は沈思の時ではあるが、引っ込み思案に安閑に過ごす時ではない」
―ー 戸田先生は、冬になるとその話をされた。
夏になると夏の話を、海に行くと海の話を、山に行くと山の話をされた。
 いつも、絶妙な、見事な話をされる先生であられた。皆が、先生から聞いたことを忘れてしまっても、私は全部、覚えている。
 「(冬は)きりっとした身のしまるような気候の中に、来るべき春に備えて、営々と活力を蓄える時である。
 雪の下にも生命の芽生えは、たゆみなく春の準備に忙しいのである」
 いい言葉である。戸田先生らしい、詩人の言葉であると思う。
 「青年は」―ーよく先生は話された。
 「青年は、北風に向かって、堂々と進め!」
 「苦難の道に向かって、悠々と走り抜け!」と
 また「青年の強みは燃ゆるが如き熱情にあり」と
 私も情熱を満々と発揮しながら戦ってきた。
 学会のリーダーは、特に最高幹部は、皆の幸福を考え、生命を尽くして、学会の将来の歴史を刻んでいかねばならない。

● わが生命が宝塔
 戸田先生は言われた。
 「誰もが等しく仏子であり、また宝塔であるというのが、日蓮大聖人の精神だ。だからこそ、万人を救い得る真の世界宗教といえるのだ。」
 妙法を唱えゆく、我が胸中の肉体に、御本尊がある。
誰もが、わが生命を、妙法蓮華経の宝塔として輝かせていくことができるのである。
 だからこそ、大聖人の仏法は、万人を救う世界宗教だと云えるのである。
 戸田先生は、厳しかった。そしてやさしかった。
 戦時中、学会は軍部の弾圧を受け、多くの最高幹部が投獄された。牧口先生、戸田先生は、最後まで信念を貫き通された。
 しかし、こうした迫害に恐れをなした幹部は、次々と退転してしまったのである。
 先生は言われた。
 「信心で越えられぬ難など、断じてない。全同志が、誰一人として、負けずに信心をまっとうしてもらいたい。」
 これが遺言ともいうべき、先生の指導であった。
 また、先生は「必ずできる! できないと止めてしまえば、何でもダメだよ」とよく話された。
 まず自分が立つのだ。人任せではいけない。
 すぐに「できない」と決めて、あきらめていまう ―― そんな人間なってはならない。「必ずできる!」。この精神で進もう!
(会場から「ハイ」元気なと返事が)

■ 一、戸田先生は言われた。
 「信心は形式ではない。命を打ち込んで、御本尊に祈りぬくのだ。その根本を忘れてはいけない」
 そうでなければ、自分が損をする。
 牧口先生は、訴えておられた。
 ―― 近年ほど、指導者階級が指導力を失った時代はない。後輩に対する権威が失墜することは、皆を善導する力の源泉が枯渇することである。―― 指導者に哲学がない。確固たる目的が無い。だから、皆を導いていくことができないのだ。
 また、戸田先生は言われた。
 「広宣流布の長い旅路には、いろいろな事が起きる。だが結局は心配ないものだ。妙法の偉大な力というものは、何ものも遮ることができないからだ」
 この確信を忘れるな!

●大いなる喜び
 闘いの中に、喜びがある ―― 学会活動にも通じる言葉だ。
 何もしないで、ただ遊んで、ダラダラと過ごしている。それでは心からの喜びはない。ずる賢い、怠惰な、動物的な生き方になってしまう。
 我らは、人のため、法のため、そして社会のために動き、働く。これほど尊い事はない。これが真の人間としての生き方である。
 アメリカの民衆詩人であるホイットマン。
 私は桂冠詩人であり、若き日から、ホイットマンの詩を愛誦してきた。
 ホイットマンは謳う。
 「健康に金はかからぬ、気高くあることにも金はかからぬ。/節制がいちばん、ごまかしは禁物、大食や淫欲も禁物」
 これまで、学会の同志のおかげで社会的に偉くなりながら、堕落し、嘘をつき、ついには裏切っていった人間がいた。
 そうした輩にだまされてはならない。断固として、戦っていかねばならない。

■ 一、最後に世界の英知の言葉を贈りたい。
ドイツの詩人ヘルダーリン。
 「安堵は、私を幸福にせぬ」 「悩みは若者の胸を高める」
 そしてロシアの大文豪ドストエフスキーは青年をこう励ました。。
 「粘り強さを持った人は、かならず、いつかは物になるのです」
 「失敗をしない人間などいるものですか? 第一ずっと波風の立たない人生などに何の値打ちがあるでしょう。 もっと勇気を出して自覚を高めること ―― これがあなたに必要なことです」
 勇気 ―― これが人間として、青年にとって。最も大切なのだと申し上げ、スピーチを終わりたい。 長時間ご苦労様!
とくに海外の皆さま、ありがとう。皆どうか風邪を引かれませんように。
またお会いしましょう(大拍手)

 

ご本尊売り込み!

 投稿者:一言児  投稿日:2016年 7月18日(月)12時20分4秒
  へーぇ!。寺の弘安2年のから離れ、本来執行部でやることを先取り、使命感に溢れている。T岡父さんらゲリラの失敗状態で残念、肉筆ご真筆で立ち上げる案には賛成します。模刻で板状とかサインペンで左右調整したなどビックリ情報、気を早ってたのね。学会も大誓堂建て、大石寺系の本尊を掲げ、動員かけて聖堂参り、こっちもダメ。ご本尊の展望なき執行部、この「宿坊」でも意見が分かれている。かって「大日蓮」展で、ウェブでも「大曼荼羅一覧」ご真筆観た。そのコピー曼荼羅でいけないの?、まさかこの時代「魂を墨に染め流して」など云わないでしょうね、貴方んち手書き本尊ですか。iPadでくっきり映ります、モニター本尊もありか、ひとり学会になって行くー。  

【えっ??竹岡男子部長の父ちゃんが~本尊造って売り込み計画】竹岡男子部長は父ちゃんに至急確認して~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)12時15分21秒
  【御本尊売込み計画とな? 】
?投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編

http://6027.teacup.com/situation/bbs/51785

 

イケディアンさん うんうん 納得!

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)12時10分28秒
編集済
  >自分が直にやっている行為をそのまま当てはめている(-_-)<

>真面目に現場で活動している会員を小馬鹿にして楽しんでいるんじゃないですか?孤独な老人の独善的発病の場?が他に無い(-_-)<

>だから、この板に徘徊して来るのでしようかね?何度言い聞かせても『俺はそんなこと、覚えてねぇ!』何て言いながら、何度も同じ事を繰り返す(-_-)財務ジャブジャブで飯喰らってるとボケが早まるんです(-_-)<
 

必死だね

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)12時09分16秒
  奴等必死ww  超笑えるww  

愚癡であるが正直の者

 投稿者:桃太郎  投稿日:2016年 7月18日(月)11時59分39秒
  衆生心御書 (随自意御書)

人のつかひに三人あり、一人はきわめてこざかしき、一人ははかなくもなし・又こざかしからず、一人はきわめて・はかなくたしかなる、此の三人に第一はあやまちなし、第二は第一ほどこそ・なけれども・すこしこざかしきゆへに主の御ことばに私の言をそうるゆへに・第一のわるきつかいとなる、第三はきわめて・ はかなくあるゆへに・私の言をまじへず・きわめて正直なるゆへに主の言ばを・たがへず、第二よりもよき事にて候・あやまつて第一にも・すぐれて候なり、

<通解>
たとえば人の使いにも三種の人がいる。一人は非常に賢しく、一人は愚かでもないがまた賢くもなく、一人は極めて愚かであるが確かである。この三種の使いのうち、第一の使いは過ちがない。第二の使いは第一の使いほどではないが少し賢しいので、主人の言葉に自分の言葉を添えるから最も悪い使いとなる。第三の使いは極めて愚かであるゆえに、自分の言葉を交えず、極めて正直であるから主人の言葉を違えず、第二の使いよりもよい使いとなり、どうかすると第一の使いよりも勝れた使いとなるのである。

会長や組織を批判する人は、どうやら、「第二の使い」のような感じかな?
第三の使いを末代の凡夫のなかでも、愚癡であるが正直の者という事ですが、やっぱコレでしょ。

池田先生ほどの人が幹部批判されるのなら分かるけど、私たちが批判していたら収拾がつかなくなるでしょ。
愚癡程度にしておくべきです。中心となるべき会長を批判して、ネットで拡散することは、破和合僧の所作ですよ。そんな事を池田先生は期待していない。と思う。
 

(無題)

 投稿者:うらら  投稿日:2016年 7月18日(月)11時57分23秒
  どちらが正しい信心か。正しい行き方か。
法と三代の指導に基づいて、創っていくものだとおもいます。
出来上がった道のうえを歩いていくことが正しいとは限らない。
先生が「道を切り拓け」と指導されていらしたこと。
この信心はひとりひとりが主体者であるという事。
但し、法に基づいて。
 

排除の論理

 投稿者:ジョーカー  投稿日:2016年 7月18日(月)11時45分31秒
  パソコン不調により、しばらくの間、書き込みできませんでした。閲覧は全体の5割ほど目を通した程度です。若干、浦島太郎状態ですが、パソコン復活したので、下半期もバリバリ書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。

さて、先日、ある知人が支援活動しない旨を伝えたら、組織から排除されたことを書きました。その後、その知人はどうなったのか。支援期間も終わったので、てっきり元に戻る(拠点を知人宅に戻す)と思っていたが、そうではなく、変更なしとのこと。それはまだいいとして、どうやら引き続き、活動には参加しないでほしい(空気を読め)とのこと。

知人は幹部に、「私の存在自体が嫌だってことですか?」と尋ねると、「そうだ」との返事。存在そのものを否定されたことは驚愕の至りであり、さすがにそれはなく、行き過ぎだ。知人は、支援活動をしないことを認めてほしかっただけなのに、話がどんどんこじれ、厄介者にされてしまった。知人は、「あなたは威圧的で話がしにくい」と言われ、組織から敬遠され、村八分状態。もう会合にでないほうがいいのかなと悩んでいる。これは現場で実際に起きている事実である。

結論ありきの組織では、対話にならない。そして、組織が官僚化すればするほど、排除の論理がまかり通る。組織の意に沿わない者を認めず、必要以上に処分し、排除する。実に恐ろしいことであるが、権力を握っている側が陥りやすいポイントでもある。気に入らない者を敬遠するのが人間の性ではあるが、それが人間主義を掲げる創価学会の組織内においても厳然と行われている。しかも、当事者は、この狂いに気づかないところに、問題の根深さがある。

この手の話は、現場のリーダーの器量によって、結果は違ってくる。しかし、それ以上に、組織が長年培ってきた、「体質」というものが、強い影響を及ぼす。54年も、優れた感性の職員(おかしいと思えた人)もいたでしょうが、組織の大きな流れには逆らえなかったのではないか。宿坊の掲示板は、54年を生んだ、創価学会の体質そのものにメスを入れ、どのようにそれを転換していくのかを論じる場である。

創価学会の一現場ですら、このような排除の事件が起きている。それによって、心ある会員が傷つき、悩まされている。こういうことは、組織内にはゴマンとある話であり、ただ、知らない、見えないだけです。

存在自体を否定してしまったら、広宣流布の大義そのものを失ってしまう。その先に学会の未来はない。しかし、現実にそれがまかり通っている組織があるのだ。敵は内部(組織主義)であり、54年の総括は、いかに学会を人間主義化するかということ。今は末法であり、濁悪の世。ありえないことなどあり得ないのである。
 

Re.二枚舌

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月18日(月)11時39分59秒
編集済
  私が観察するに、y さんは、認知徘徊の類いだと思いマス(-_-)

錦の御旗だの酒飲み話だのガス抜きなどと言う、自分が直にやっている行為をそのまま当てはめている(-_-)

真面目に現場で活動している会員を小馬鹿にして楽しんでいるんじゃないですか?孤独な老人の独善的発病の場?が他に無い(-_-)

だから、この板に徘徊して来るのでしようかね?何度言い聞かせても『俺はそんなこと、覚えてねぇ!』何て言いながら、何度も同じ事を繰り返す(-_-)財務ジャブジャブで飯喰らってるとボケが早まるんです(-_-)

何か不安ですね、まったく(-_-)
 

【本尊造って売り込み計画 竹岡男子部長の父ちゃんが】掲示板を荒らしたい 輩がいるんだね~ なんで? それは執行部に都合悪いからね~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)11時35分21秒
  虹と創価家族さん 掲示板を荒らしたい「御本尊つくって売り込み計画」  投稿者:八尋みのる
投稿日:2016年 7月13日(水)20時05分19秒   通報 編集済
奴ら必死ですww
笑えるww  何しろ竹岡男子部長の父ちゃんだもーん
不破優さんの北林くんだもーん
~~~~~~~~~~~~~~
>読み解く補助として、
A=○くぼ、 O=○木、 M=○本、
H=○野、 T=○岡<

掲示板が荒れるのはコレ?
実名がバレルとヤバい???

>こうしてT岡やH野らの計画は失敗に終わったかにみえた。しかし、執行部の大御本尊計画が、当時の教学部の抵抗によって一時頓挫したとみるや、にわかに再燃する。<

大御本尊計画とは教学部レポートにあったよね!
教学部レポートや遠藤文書の証明につながるのでは???
ここも痛いのかな(笑)

~~~~~~~~~~~~

太ちゃん、関連リンクをまとめて頂きまして、ありがとうございました。

>御本尊売込み計画とな?  投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51785

 

虹と創価家族様 同意いたします

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)11時32分4秒
  【原田執行部の過ち 】投稿者:虹と創価家族

>明らかに原田執行部は過ちを犯しています。
ゆえに、会員が最高幹部を戒めているのです。

「おかしいと声を上げて何が悪い!(怒)」

民衆は大地、会員が大地なのです。
それを忘れた原田執行部を許すわけにはいきません。<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/52195

~~~~~~~~~
いるのではない。
いかなる組織も、大きくなり、根幹の精神を忘れると、いつしか、冷たい官僚主義、事なかれ主義がはびこっていく。要領よく、戦っている格好だけ見せる。派閥をつくって気に入らない人間をいじめる。陰でこそこそ悪事を働く ―― そういう人間が、のさばりだすものである。
少しでもこうした兆候があれば、それは、広布を破壊する魔の働きであると、鋭く見破っていかなければならない。幹部になるほど、十分に戒めていくべきである。

(スピーチ全文)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/29864

 

なんか不安だね。

 投稿者:桃太郎  投稿日:2016年 7月18日(月)11時28分4秒
  将来の学会を想像すると、ちょっと不安になりますな。
同じ広布を目指す同志なのに、①会長を中心として異体同心で広宣流布を進める方々と②会長や組織を批判していかれる方々と二つに別れて、本当に大丈夫かいな?と思います。

会長を中心にしなかったら、誰を中心に団結して戦うんですか?

ここの掲示板は、すごく流れが速いので過去レスを全て読んだわけではありませんが、なんか嫌な予感がします。

私は以前、「創価学会応援隊」という掲示板で常連のように書き込んでいましたが、タイトルとは正反対の掲示板で、幹部批判、組織批判、公明党批判、なんでもありで、たまりかねて「いや、それちょっと違うんじゃねぇ?」とか言おうものなら、大人気ない低劣な人格批判をされました。

そのくせ、池田先生は偉大だ!みたいな事を言うんですよ。
「アラーアクバル」とか言って、意見の合わない同じイスラムの同志を攻撃するのと一緒です。

ここは、あの掲示板ほどでは無いにしろ、なんとなく似ています。
 

二枚舌

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)11時26分45秒
  完膚なきまでけちょんけちょんにされて
忘れた頃に舌をペロンと出すバカタレが~
 

再掲ね~ www

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)11時25分7秒
  ジョーカーさんへ  投稿者:yさん
投稿日:2016年 3月16日(水)23時14分49秒   通報
 さっそくのご返答ありがとうございます。おっしゃるとおりです。何の反論もございません。眠っていた魂を揺さぶられる想いでコメント読ませていただきました。

 細かい相違点が吹き飛んでしまうくらい共通の想いを感じております。再度じっくり考え、今の自分に何ができるか問い直してみたいと思います。ありがとうございました。
 

再掲ね~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)11時23分49秒
  偉くさせない戦い  投稿者:ジョーカー
投稿日:2016年 3月16日(水)19時23分58秒   通報
yさん

>果たしてジョーカーさんは、人間主義を標榜する現場から引っ張りだこの担当幹部に収まらずに、現場での現執行部の追求をも視野に入れたバージョンアップを望んでいるのでしょうか?<

まず、創価学会という組織は世間一般の組織とは根本的に異なります。世間では社長は偉い存在ですが、創価学会では、会長は全く偉くないのです。ですので、会長=社長ではありません。むしろ会長は一番の下っ端として考えるのが本来の創価学会です。この前提を間違えると、すべてが狂ってしまいます。

宗門が邪教化したのは、「僧侶が上、信徒が下」とはき違えたからです。同じく創価学会が邪教になるとしたら、「会長が上、会員が下」とはき違えた時です。会長並びに執行部を偉くさせてはならないのです。池田先生が本幹で、壇上幹部を叱り飛ばしたのは、それをわからせるためでしょう。本来、皆の前で叱るということは、やるべきことではありません。なぜなら、恥をかかせることになるからです。だけどあえてそれをやるところに、甚深無量の意味があるわけです。

日本は官僚主義国家ですので、創価学会も官僚主義になりやすいですし、それのほうが馴染みがあります。人間主義といっても、知らない間に官僚主義思考に陥ってしまうのです。これは日本人特有の、「主人のために犠牲になること厭わず」という精神が根深くありますから、どうしても個よりも組織を重んじる傾向になりやすい。組織が良識的であれば問題はないですが、そうでない場合は、利用されてしまいます。

ちっとも偉くない会長ですが、組織の決定権(権力)は有しています。そういう意味では上なのです。ただ役割として上をいいことに増上慢となり、自分が偉い存在と錯覚するところに権力の魔性の恐ろしさがあります。権力の魔性を断ち切れるのは信心だけです。学会が権力の魔性に染まってしまったら、ミイラ取りがミイラになったも同様ですから、絶対に会長を偉くさせてはならないのです。今までは師である先生が、増上慢を断ち切ってくれていましたが、これからは、一体誰が断ち切っていくというのでしょうか。

下っ端の会長並びに執行部が理不尽で調子こいたこと(先生の指導と違う)をしていたのならば、「おかしい」と追及するのは普通のことでしょう。それに対して、誠意ある対応をしていくことが、権限を有している人間の責務です。それが出来ないこと自体が傲慢(自分たちが上)になっている証拠であり、組織の権限を有している分、危ないのです。人間主義の戦いとは幹部を偉くさせない戦いでもあるのです。

宗門は広宣流布の道から逸れてしまったので、残るは創価学会だけが、日蓮の魂を継ぐ団体です。学会が、信仰を深める手段として、正常に機能させることが学会を守ることになります。そのためには先生の指導を根本にしなければなりません。その道から逸れて、権限ある幹部が好き勝手するようなことになれば、諌めなければなりません。それは見る人によっては、批判にしか映らないかもしれません。

最後に戸田先生の指導を紹介しておきます。
「自分で威張るつもりはなくても、自然に威張るようにさせてしまうのが、怖いのだ。学会も、幹部になれば、周囲が、自分を何か偉い存在のように作ってしまう。それに乗ったら恐ろしいぞ。くれぐれも気をつけよ!」
 

この掲示板から退却するのは君

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)11時21分55秒
  冷却ではなく退却ね
 

(無題)

 投稿者:yさん  投稿日:2016年 7月18日(月)11時13分47秒
   本門の戒壇の解釈の違いを巡り、今の顕彰会が宗門と分裂したように、古今東西を問わず宗派の方向性による違いによる分裂騒動などは、数多くあるのは御存知と思います。

 酒場のガス抜き論を否定するなら、この板の主張を先鋭化していけば近い内に分裂寸前という局面になることは、想像できますよね、、、。

 同じ信仰を保った同志だからこそ、そうならないよう次善の策として一定期間、距離をおいて冷却期間をもうけたらどうですかと家出、別居論を薦めているのが私の思いですし、目障りな板をつぶす目的でコメントしているわけではないことを、ご理解いただければと思います。
 

仏教会について

 投稿者:源蔵  投稿日:2016年 7月18日(月)10時54分3秒
    海外のSGI組織が各国の仏教会に加入することは、日蓮仏法の教義の上では必ずしも誤りではなく、容認されると考えています。
 大聖人は「教機時国抄」で「仏教は必ず国に依って之を弘むべし」(御書439㌻)と仰せられ、「開目抄」では「末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし」(同235㌻)、「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし」(同㌻)と述べられています。
 仏法について無智の人々が充満している国土では摂受を基本とし、仏法を知っていながら正法を迫害する邪智・謗法の人々が多い国土では折伏が基本になると仰せです。日蓮大聖人の仏法を知りながら、それを迫害している日本は邪智・謗法の国に当たり、日蓮仏法を知らなかった海外の国々は無智・悪人の国土といえるでしょう。従って、日本においては他宗の誤謬を破折していく折伏が基本になりますが、海外において日本と同じように折伏を前面に出すことは国土の相違を無視している故にむしろ誤りになり、海外では「たとえ人々が低い教えを信じていたとしても、そのことを咎めず、仮に受け入れたうえで次第に人々を導いていく方法」(『教学の基礎』264㌻)である摂受による弘教が正しい在り方となるでしょう。
 仏教会に加入することは他宗の教義を宗教的に受け入れることではなく、教団同士の交際という社会的行為であり、他宗寺院での会合の際に他宗の本尊に対して礼をしたとしても、信仰としてその本尊を信じて行うものではないので、他教団に対する社会的な礼儀を示すものとして問題ないと思われます。この点は、日本においても学会員が他宗・他宗の葬儀に参列して祭壇に礼をしても(宗教的行為ではなく社会交際上の行為なので)差し支えないのと同様でしょう。仏教会に加入するかどうかは、もちろん各国組織の主体的な判断によるものですが、仏教会に加入していることは、その組織が特異なカルト集団と見なされる恐れを低減する意義はあるかと思われます。
  また、学会員が他宗の僧侶と「談笑」することも許されないとすることは余りにも偏狭で硬直的な態度であり、むしろ不適切です。他宗教の聖職者であれ、誰であれ、人間として対話していくことは一切衆生に仏性を認める仏法の精神から当然の在り方ではないでしょうか。この点については、池田名誉会長がキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の指導者とも対話されてきたことが明確な模範となると思います。
 

yさんの話

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月18日(月)10時42分40秒
編集済
  グリーでのFBIさんの言葉を借りれば、こういう状態を段違い平行棒ならぬ『勘違い平行棒』と揶揄してたな~とf^^;

宗教やってるのに「心」の存在を無視して表面上の「形」でしか物事を捉えてないですよ。
まるで昨日今日入会した人の話を聞いてるみたいです。
こんなことでは十界論すらまるで理解されておられない様子ですね。
話がかみ合うわけもないんです。基礎も体験もまるで伴ってないから。
なぜ「池田先生」なのかまるでわからない状態でしょ。

そんなyさんの姿へと仕向けてるのは執行部や最高幹部たち、そう見られるだけですよ?
執行部擁護どころか逆に執行部と最高幹部らを「ただ貶めてるだけ」ですよ。
結果的にね。

追伸:
「先生の意向を確認」できるような池田先生の容態ではないから「4人組」はやりたい放題をロコツにカミングアウトしたのでしょうね。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

(無題)

 投稿者:yさん  投稿日:2016年 7月18日(月)10時28分48秒
   身内の方でもなかんずく、奥様が先生の思いを一番理解されていると思っていますので、奥様の新聞紙上の姿をみれば、活動家なら錦の御旗がどちらにあるか確認しなくてもわかるのではありませんか、、、。  

ありがとうございます!

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月18日(月)10時22分16秒
  ●うららさんありがとう!
そうなんです。
実は、今の組織事情が頭をよぎってあまりにも不憫に感じたのもあったんです。
僕の動揺はそこだったんです。
少しずつ覚えていけばいい、というそんな悠長なことをしてる場合でもなくなったんだなって。
加えていえば、これまでの「学会活動をがんばって!」というのが適切でなくなってるのが明らかな地元のようですから。
どうやってちゃんと功徳のある信仰を伝えようか思案してるところです。
ここで「決着」をつける時期なんでしょうね。
激励のそのお話を相手にさせて頂きます(^^)
温かいお言葉ありがとうございますm(_ _)m

●ひかりさんありがとう!
はい、症状は「尿道結石みたいな感じ」と言っております。
僕のほうで要点を話すよりも、この文面をそのまま伝えてよろしいでしょうか?(^^)
迫力とリアリティーがある体験談に感じます。
僕が要点を話すような「第三者を入れる」よりも、文面そのものを伝えたほうがいいと感じたんです。
最近はあまり見なくなった非常に貴重な体験談に感じます。
内部コミュニティーで話してるので、他の人にもぜひ知って欲しい素晴らしい体験談です(^^)
よろしいでしょうか?m(_ _)m

●石嵜さん改めてありがとう!
真っ先のお話をありがとうございましたm(_ _)m

みなさまありがとうございます! m(_ _)m

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

yさんの勇断に期待

 投稿者:-Q-  投稿日:2016年 7月18日(月)10時17分37秒
  ここに集う諸氏は、今は道に迷っているとはいえ、もともとは信仰を同じくする同志のはず。
悩乱しつつある哀れな同志を救うためにも、yさん自身が「勅命」を発することのできるお方にアポを取り、首尾よく証言を得られたなら、この場に写真と音声入りの取材結果を公開してくれませんか?
さすれば、yさんにとっても目障りこの上ない本掲示板など、あっという間に粉砕できると思うのですが…。

(でも、それが成功するのであれば、文春あたりに持ち込んだほうがはるかに高く売れるかな? 失礼)

 

願い

 投稿者:蘭夢  投稿日:2016年 7月18日(月)10時15分12秒
  僕の願い。
それは、みんなの胸中に御本尊を抱かせること。

生きている時、人は死を考えようとしない。
けれど、死は必ず誰にも訪れる。

生きている時、人は健康になりたい、豊かな生活を送りたいと願う。
その為に、働く。その為にお金というものを欲っする。

御本尊にお願いする時、誰もが願うことは、生きる為の障害の克服を願う。

でも、御本尊が、その願いを叶えても、人は救われない。

なぜなら、最後の死というものは、どんなに祈っても回避はできない。

死に向かう時のことを、考えてみよう。
愛する人との離別。必死に働き作り上げてきた、栄光も富も、何も持っていけないのだ。

そして、僕は、付け加えて言おう。

御本尊様を物体と思っているならば、御本尊様もまた、死の瞬間、持っていけない。
物体という認識に執着すれば、その先の世界では見失ってあえなくなるということだ。

先生も同じだ。師弟不二となり、胸中に先生を師匠を抱かねば、
先生を求めても姿は見えず、求めても得られずとなってしまう。
今、先生がそのことを教えてくれている。

死とは、一人で迎える最後の試練。それも、全てをはぎ取られた、本当に自身の生命のみを問われる試練。

だから、大聖人は言うのだ
P1404
「かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」

釈迦は、生老病死の難題に挑み、悟りを得た。

本来は、生のみならず、死の為にも、この仏法はある。

どうか、今、この生きている時に、胸中に、御本尊を見る、先生を抱ける境涯になっていただきたい。

ただ、そんな境涯は、とうてい無理だと思う人もいるだろう。

大聖人は言われている。
P0411
「 此の道に入ぬる人にも上中下の三根はあれども同じく一生の内に顕はすなり、上根の人は聞く所にて覚を極めて顕はす、中根の人は若は一日若は一月若は一年に顕はすなり、下根の人はのびゆく所なくてつまりぬれば一生の内に限りたる事なれば臨終の時に至りて諸のみえつる夢も覚てうつつになりぬるが如く只今までみつる所の生死妄想の邪思ひがめの理はあと形もなくなりて本覚のうつつの覚にかへりて法界をみれば皆寂光の極楽にて日来賎と思ひし我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべきなり、秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり。」

一度でも、御本尊に出会い、一篇なりとも南無妙法蓮華経と唱えるならば、必ずわからなくても、その臨終の時には、胸中に御本尊があること、常に仏が一体不二として見護ってくれていたことがわかるようになります。

ただただ、生涯、信心を離れず、退転せず、生きていただきたい。
 

(無題)

 投稿者:yさん  投稿日:2016年 7月18日(月)10時14分34秒
   勅命、錦の御旗はわかりやすい例えとして用いましたが、少なくても先生が現執行部を師敵対と断定できる証拠を出さなければ、何言っても空論になりませんか?

 先生の意向とは関係なく、改正、安保などの執行部に対しての批判、反論をこの板で述べることには、私は別に反対しているわけではないですよ、、、。

 先生のこの件のお考えを確認することなく、虎の威を借る狐のごとく師敵対と責める姿勢は、卑怯なやり方に見えないでしょうか、、、。

 「先生の意向ははっきりわかりませんんが、過去の指導から考えるに私は今の執行部の方向性はずれているのではないかと懸念しています。」

 この程度の主張なら耳を傾ける会員もいると思いますよ。憶測、伝聞類の資料から師敵対と断言できる方々を信用できるでしょうか、、、。

 また先生の意向が執行部擁護のお考えの時には、怒りの矛をおさめ謝罪するお気持ちはあるのでしょうか?

 それとも邪教化してしまったと判断され脱会の道にすすむのでしょうか?

 
 

「会長は偉い人なんです!分かりますか!?」と宣うキミへ

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月18日(月)09時41分13秒
  元創価学会職員の滝川氏のお母様に対して、総神奈川長の杉山氏(元全国男子部長)は、
「いいですか、会長は偉い人なんです!分かりますか!?」
と宣ったそうだが、下記の指導を彼はどう考えるのだろうか。


〔2006/11/22 全国合同協議会スピーチより〕

『たとえ、会長であっても、特別な存在ではないのだ。』

『民衆の真っただ中で広布に戦う人が一番偉い。』

『広布のため、同志のため、だれよりも真剣に祈り、戦う人が会長なのである。その意味で、全員が会長の自覚で進んでいけばいい。』

『私は、青年時代、全員が戸田城聖たれ!と叫んだ。
この深き使命の自覚の中にこそ、本当の勇猛精進があり、未曾有の広宣流布の歴史が築かれるのである。』
 

勅命に錦の御旗ときた!

 投稿者:JACK  投稿日:2016年 7月18日(月)09時26分49秒
  根本にすべきは御書と、初代から三代までの会長指導だ。
側近の勅命を元にするという指導が、一度でもあったか!
勅命だの、錦の御旗だの、創価学会にあるまじき権威主義だ!

博正氏に対話を求めた結果がどうなったかは、元創価学会職員のブログに顛末がある。
原田会長に対話を求めた結果がどうなったかも、記載されている。


『恩師に尽くし、広布に尽くし抜く、不惜身命の戦いこそ、初代の牧口先生から、第2代の戸田先生へ、そして第3代の私へと受け継がれた、本当の学会精神である。この三代の師弟の魂が根本である。もしも将来、原理原則を踏み外すような幹部が現れたならば、断じて許してはいけない。異体同心の革命児の弟子たちが、猛然と戦い抜いて、三代の正しい軌道へと戻していくのだ。』(2006/11/22 全国合同協議会スピーチより)
 

【信濃町の権力闘争】再掲 ! 天鼓(十二号)②

 投稿者:タケモト  投稿日:2016年 7月18日(月)09時22分2秒
  投稿者:谷川ひろし   投稿日:2015年 5月25日(月)09時10分52秒     通報

それでは、この小宴を催したスイートルームの費用はいったい、どこから捻出されたのだろうか。

答えは簡単。
京王プラザホテルの支配人が中野区区長の佐藤文考で、これも浅見の子飼いの一人。

この八日夜、地方から翌日、
朝に行われる総県長会議のため予め上京してきて県長クラス多数が同ホテルに泊まっていた。

当然その費用は、創価学会本部に請求される。
副会長・浅見の使ったスイートルームの使用代、小宴会の金は創価学会本部請求分にもぐり込ませているのである。

浅ましい責任役員が誕生したものである。

この浅見が次々と本部の人事、各方面の人事に介入し、
自分の一派を引き上げ、創価学会を私しようとしている。

副会長・浅見そして岡松憲史(元・中野、現・新潟)広布基金一000万円を
山分けした片われの金沢敏雄(杉並)は、同じく六月八日、目出たく副会長に任命された。

それで驚いていたところ、七月三日付けで全国の壮年部書記長になった。
広布基金を横領しても、ほとぼりが冷めれば、浅見と共犯ならば副会長になれば、
異例の抜てき人事で学会の中枢幹部にアッというまになれるのである。

このような浅見一派のやり方を見逃していたら、創価学会が腐ってしまう。
真面目に戦っている創価学会員が可哀想だ。

絶対に浅見一派のような獅子身中の虫は、創価学会より追放されるべきである。

「随筆・人間革命」(六月十八日付け)に、次のように書かれている。

「御書に『仏と堤婆とは身と影とのごとし先生にはなれず』と仰せである。
仏意仏勅の創価学会であるがゆえに、学会を狙う、堤婆達多のごとき大悪人、退転者が出現することは必然である。

戸田先生は、退転者の本質的な傾向性について、それはそれは厳しく指摘されてた。
『彼らは、ともかく臆病である。慢心である。ずる賢き、策略家であり、嘘つき、虚栄家である。
しかも、信頼する幹部から増上慢になって出てくる場合が多いものだ。
偉くしてもらいながら、傲慢になり、信心がわからなくなって、最後には、暗き心と化して反逆者となって狂い始める。

大聖人の御入滅後も、当時の最高幹部であった五老僧は、(我賢し)と思って日興上人の正法正義に従わず、退転していった』と。
さらにまた、『学会は獅子である。外からは倒されない。怖いのは、内から腐らせる『獅子身中の虫』だ。
もしも、そう言う邪悪な輩が現れたら、断固、戦え!叩き出せ!』とは、牧口会長の叫びであった。戸田会長の厳しき叱咤であった。」

副会長・浅見は師の危機にあって、二千万円の火事場ドロボウを働いた獅子身中の虫である。

断固として創価学会から叩き出さなければならない。

師弟不二アーカイブ
http://sgi-shiteifuni.com/?p=5670
 

違和感寿司新メニュー

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)08時53分56秒
  違和感寿司新メニュー、「錦の御旗セット」いかがですか~
えー、アルファベットのイニシャルを入れることもできます~
『y.y 』(八尋よりお)なんてのも大丈夫です~
「錦の御旗セット」いかがですか~ww
 

太ちゃんさま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月18日(月)08時19分57秒
  92歳で無くなられた大先輩婦人部Aさんのもとに、10年くらい前ですが、
学会員ではない甥っ子が苦しそうな声で電話して来ました。


甥「おばちゃん、題目あげてくれ」

Aさん「どうした?」

甥「尿道結石で死ぬほど痛い。明日手術かもしれない」

Aさん「信心をバカにしてきたくせに、なんてザマだ」

甥「ごめん。あやまる。この前、しーちゃんが子宮癌を、おばちゃんの題目で治したろ?」

Aさん「んだ。聞いたのか」

甥「おばちゃん、頼むからその題目あげてくれ」

Aさん「あげてやっから、お前もあげろ。そして題目で、バカにしてごめんなさいと謝れ」

甥「わかった。俺を直してくれよ」

Aさんは、甥っ子を情けねーと思いましたが、不憫になり、猛然と唱題。
草創期の大先輩の、「百発百中の祈り」です。

結果、翌日、トイレで「カチン」という音とともに、結石が出てきました。

これを偶然という人もいるでしょう。

しかし、甥っ子さんは題目を信じるようになったそうです。



Aさんの姪の子供、しーちゃんは、やはり学会員ではありませんでしたが、子宮癌でした。

まだ結婚もしていない若い姪の子供、しーちゃんが不憫で不憫で、
「おばちゃんが題目で直してやる」と。

Aさんに言われた通り、しーちゃんも、病床で題目をあげました。

手術の前に、トイレにいくと、真っ黒な塊が出て(これ、よく聞く体験ですよね)、
医者に「なんかすっきりしました」と伝え。
医者が調べたら、「不思議だが消えた」

Aさん「ほれみろ。題目の力だ」


以来、何かあると「題目あげてくれ」と頼まれるように。

Aさん「しょうがねーなー。自分も普段から題目あげてろっての」


こういう方が、たくさんおられ、ひかりも教えていただけてます。
「いかなる病障りをなすべきや」
必ず治ります。


 

いいもの見つけw 竹岡男子部長の父ちゃんが~

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)08時12分36秒
  【竹岡男子部長の父ちゃんが御本尊つくって売り込み計画】珠玉のリンク集  投稿者:通行します
投稿日:2016年 7月16日(土)17時52分49秒   通報 編集済
教義改訂の裏で ?投稿者:ヨッシー
http://6027.teacup.com/situation/bbs/50951

板本尊作って本部に売り込み? 投稿者:正義の走者
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51089

正義さん、ありがとうございます。 投稿者:ヨッシー
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51090

竹岡男子部長も怒りますね 投稿者:信濃町の人びと
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51114

虹と創価家族様 投稿者:秋晴れ
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51168

クワバラクワバラ 投稿者:ヨッシー
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51236

自然鳴 投稿者:ヨッシー
http://6027.teacup.com/situation/bbs/51239
 

今週のことば 2016年7月18日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 7月18日(月)08時12分23秒
  未来部の躍進こそ
地域と世界の希望なり。
創価家族の励ましを
宝の一人ひとりへ!
成長と充実の夏を共々に
 

アンポンタン

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)08時11分12秒
  成長しない人
 

(無題)

 投稿者:yさん  投稿日:2016年 7月18日(月)07時58分10秒
   ご高齢で判断を求めることが、むずかしいなら尚更のこと奥様、博正さんからの勅命のような錦の御旗がなければ逆賊と誤解されてしまいませんか、、、。

 師敵対との批判の根拠となっている教学レポート、遠藤文書の作者がもう割れているのですから、少なくともその方が実名で、執行部の過ちを糾弾してもらわなければ、一般会員には何の説得力を持たないばかりか、単に執行部批判に利用している私怨と誤解を受ける行為と思われますが、いかがでしょうか、、、。

 
 

師匠を裏切る幹部を徹底的に追及せよ! ー 正しい師匠 池田先生のご指導に学ぶ

 投稿者:平和の弾丸  投稿日:2016年 7月18日(月)07時54分22秒
  広宣流布も、大聖人を裏切り、同志を裏切った悪人を、徹底的に追及しなければならない。

日本的な〝水に流す〟とか〝みそぎ〟という慣習は、一見、寛容のようであって、じつは、「悪への怒りがなく、けじめがない」だけである。「もう、この辺でいいだろう」は、精神の敗北である。

日蓮大聖人も、日興上人も、どんな小さな悪も許されなかった。仏法は〝人情論〟ではない。〝正義の闘争〟である。

戸田先生も笑って言われていたが、大聖人の「口の悪さ」には、だれもかなわない。世間で尊敬されている極楽寺良観に対しても、「蚊のような、虻のような、蝦蟆のような法師である」と、おおやけに言っておられた。

〝釈尊も、同じように厳しく経文で言っておられるのだから、それでよいのだ〟とも書いておられる。

すなわち「頼基陳状」に「頼基が良観房を蚊蛃蝦蟆の法師なりと申すとも経文分明に候はば御とがめあるべからず」(御書1162ページ)と、あるとおりである。

日興上人も、「五老僧」とその一味を最後まで許しておられない。「五人所破抄」を弟子に書かせたのは、身延離山から数えて、なんと四十年目である。

御入滅の直前の「日興遺誡置文」でも、厳しく、「五人の立義一一に先師の御弘通に違する事」(御書1617ページ)  ー  五老僧たちの立てた宗義は、一つ一つ、すべて師匠である日蓮大聖人の御化導と違っている  ー  と破折しておられる。

最後の最後まで、追撃の手をゆるめておられない。正義の勝利のためには、〝徹底する〟以外にない。中途半端は、敵を喜ばせるだけである。

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「正義」を勝たせよ!執念の闘争で
大誠実の振る舞いが学会の生命
全国県長会議、平成11年2月3日、池田大作全集90巻より一部紹介
 

再掲ね~w 杉山フクカイチョー

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)07時37分53秒
  続・偉い人! えっ~ のげぞるよw  投稿者:八尋みのる
投稿日:2016年 6月30日(木)18時33分39秒   通報
元職員お三方の母上さま 滝川光子さんの体験より引用

(JACKさんがまとめてくれたレポートから)
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48600

〔総神奈川幹部との面談〕
会長達からの返事は来なかったが、それでも諦めず、今度は神奈川県の幹部との対話を求めた。
平成23年6月に、杉山総神奈川長(※元全国男子部長)、山崎総県長と話す機会を得た。
この対話で、杉山総神奈川長は、
「いいですか、会長は偉い人なんです!分かりますか!?」と言った。
咄嗟に、「分かりません!」と言ったら、杉山総神奈川長は「エエーッ!!」とのけぞった。
会長は偉い人だから、従えと言わんばかりだった。
池田先生なら、こんなこと絶対言われないと思った。
私は生きて生きて、戦って、青年たちの大勝利を見るまでは死ねない!と誓った。


杉山さん
それはないでしょう
今日の新人革からもあなたは間違っている
http://6027.teacup.com/situation/bbs/50687

罰としてあなた様のご尊顔を
皆さんでめでたいとおもいまーすww


 

師匠が言い置かれたことをやり抜く

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月18日(月)07時37分48秒
  弟子でありたいですね。

おはようございます!

四人組その他を糾弾するのは弟子として当然ですよ。

法華経の行者の組織を破壊・利用
自分らの都合のいい組織にリフォーム中じゃありませんか。

血迷ってとんでもない事をしているのを、ほっておいていいわけがない。

池田先生が何もできない状態なのが想像できない?

ご高齢の方が身近にいて、お世話をされたことがある方なら分かるはずなんです。

また、そういう高齢の方と日常会話をしている方ならわかるはずなんです。

ご高齢の方が、ご病気で失われた機能で生きて行かれることが、
どれほどの強さと勇気を毎日毎日必要とされるのかが。

これ以上ご高齢で病気療養中の師匠に頼ってはいけないんです。

いらっしゃるだけで、本当にありがたいことなんです。

今は大聖人御在世当時の熱原の法難のように、弟子が戦うのを師匠に見て頂いているんですよ!
見ていただいているんです!

 

太ちゃんへ追記

 投稿者:うらら  投稿日:2016年 7月18日(月)07時35分20秒
  池田先生と心合わせ、人間精神の魔性を「悪を悪」と責める精神とともにある信心には、素晴らしい功徳があると思います。
大聖人の仏法は現実変革の仏法であると先生も繰り返し指導されてきました。
師匠が何も言わないから、と先生の心をないがしろにし、お茶を濁し師匠をおとしめ、無明へと向かわしめていくようなマヤカシの信仰でせっかくの発心が闇に覆われてしまわないよう、よろしくお伝えください。
 

また来たね

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月18日(月)07時28分42秒
  アンポンタンがww
 

桃太郎さん

 投稿者:yさん  投稿日:2016年 7月18日(月)07時16分28秒
   本当によくわかりませんよね、、、。師敵対の原田執行部、悪の4人組を糾弾するための掲示板のようですが、その方たちを擁護されている池田先生、奥様、博正さん方には怒りの矛先が向かないようです。(擁護されているというのは、あくまで聖教紙面等、公式な情報からだけの判断ですが、、、。)

 池田先生は現執行部を師敵対、悪と思ってないからでしょうという、子供でもわかるこの道理には、正面からお答えする気持ちは今のところないようでです。

 そこを先生や奥様、博正さんにアポをとって確認しようとする方もいないのも不思議でしょうがありません。先生側近のかたからの勅命のようなものでもあれば、信用性は飛躍的に増すのになぜ本丸に行かないのでしょうか?

 先生の意向が、聖教紙面と同じ結論になることが怖いのでしょうか?

 その本気の行動が見えないので、現執行部に批判的な考えを持つ同調者のネット上の社交サロンのように私なんかには見えてしまいます。

 
 

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