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話を竹熊さんに戻そう。 僕が、竹熊さんと「ハマって帰ってくる」ことをテーマに、よく話をしたのは、氏が「私とハルマゲドン」を発表した後のことだ。 僕は、この「私とハルマゲドン」を読んで、この中に書かれている「旅人の論理」にものすごく感動した。その中に、僕はオタクの生き方、究極の美学を感じたからだ。 旅人としてその街へ行き、その街の価値観を受け入れる。受け入れるけれども、その一員になりきれず、結局は街を去る。価値観は、最終的には完全に一致せずに、また街を出ていくのは宿命なのだ。これは、オタクと作品とのかかわり合いを、見事に表現している。いや、現代社会での知の在り方、生き方指南を言い尽くしている。少なくとも僕には、そう読めた。 僕は、今まで自分をそこまで客観的に見てなかった。だから、ものすごく感動して、感動の余り、読み終わったその場で、竹熊さんに電話した。 お気づきと思うが、この時僕は「旅人の論理」と、それを生み出した竹熊さんにハマったのだ。 それから、僕は竹熊さんとたくさん話した。 その頃の竹熊さんは「アレを書いてしまった今、もう生涯なにかにハマる、ということはないかも知れない」と寂しそうに話していたのを、はっきり憶えている。 僕の竹熊ブームは、他の熱と同様、3ヶ月ほどで醒めた。醒めたと言っても、別に飽きたとか嫌気がさしたというのではない。僕は竹熊さんになれないこと。竹熊さんと自分との差、竹熊さんと他の人との差が、冷静に観察、判断できるようになったのだ。 当たり前のことだが、僕が「すごい」と感じる、竹熊的考え方や行動は、僕にはどうしても共有できない経験、嗜好や価値観から発生している。上辺だけ真似ても、どうしようもない。僕の中に、僕なりの「竹熊的世界観」を大切にとりこんで、納得するしかないのだ。 その後、ロフト・プラス・ワンのトークショーで、竹熊さんと会った。その時も、氏はいつものクールな竹熊氏だった。折しも、エヴァの放映が終了した直後で、会場のオタク達は、エヴァにハマっている人間ばかり、といった印象だった。まだ、エヴァを見ていなかった竹熊さんは、当時、最も中心的な論点だった最終回に関して、会場の興奮するオタクたちに説明を求めた。そこで竹熊さんは「まだ見てないので批判は出来ないけれど」と言いながらも、「ラストは何か自主映画っぽいんだね」などと批判的な感想を言ったりしていた。 僕が「竹熊さんはエヴァにハマった」と感じたのは、昨年の夏のことだった。「BSマンガ夜話」の生出演で一緒になった時も、竹熊さんは、楽屋でもすぐ、エヴァの話にもっていこうとしていた。僕は、「竹熊さん、エヴァにハマっていますね」と声をかけた。すると「ハマってるつもりはないよ。いや、でもハマっているかも知れない」という返事が返ってきた。竹熊さんが出演しない日の楽屋でも「竹熊さんのハマり方、すごいねぇ」などという話題がいしかわじゅん氏や大月隆寛氏から出た程、その場の者の目には明らかだった。酔えば酔うほど、酔っていないと主張するようなものかも知れない。そう思って聞き流し「早く、帰ってきて下さいね」と言ったのを憶えている。 僕は、竹熊さんが、もう何にもハマれない、といったことを憶えていたので、エヴァにハマれたことは喜ばしいことだと思った。早く帰ってきて、ヴァージョンアップした竹熊さんと話してみたいと思った。同時に、ちゃんと帰ってきてくれるだろうか、という一抹の不安があったのも本当だった。 当時、竹熊さんは作家として明らかに岐路に立っていた。 ヤングサンデーに連載中の「チャイルドプラネット」が、もともと竹熊さんの原作・監督で始まったのに、編集方針が変更され、竹熊さんの名前が「原案」に変えられるという事件が起きた。 もともと、この連載を始める時、氏は「自分がネームまで切りたい。原作者とマンガ家、という関係を変えて、新しい形態のマンガを作るのだ」と、熱く話してくれた。連載開始前には僕も担当編集者を紹介され、色々と相談された。お節介な僕は、「それなら、『漂流教室』というより、『少年の町ZF』がイメージに近いですよ」と、その場で自宅からマンガを持ってきて貸したりした。そういういきさつもあって、単に知り合いが原作をやっている連載という以上の気持ちで連載を楽しみにしていた。 それが、残念ながら「原案」になってしまった。 竹熊さんはあんなに張り切っていたのだから、そこに至るまでには、様々な努力と怒りとかけひきと絶望があったに違いなかった。 竹熊さんは疲れ切っているのではないだろうか。 だからこそ、どんなプレッシャーにも自分を曲げず、クリエーターのわがままを貫き通す庵野監督に引かれたのではないか。 これは、僕の邪推でしかない。が、こんな心理的メカニズムで、「もう何にもハマれない」と言っていた竹熊さんは、エヴァにハマったのではないだろうか。 そんなことを同時に思いながら、僕は竹熊さんに「早く帰ってきて下さいね」と言ったのだ。これは少し、長引くかもしれない。心配は、そんなところから発生していた。 |