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●反論と抗議(緊急版) とり急ぎの結論を述べる。『竹熊1,2』に描かれた竹熊健太郎の意見(と読めるもの)は、現実の竹熊のそれとは完全に異なる「デマ」にすぎない。私は庵野秀明監督の『新世紀エヴァンゲリオン』(以下『エヴァ』と略す)を「新興宗教」とは考えていないし、「現実から拒絶されて」それに逃避しただの、ましてや「生還した」とも考えていない。そもそも私は『エヴァ』について、最初に見た当初から現在に至るまで(細かい点はさておき)、基本的な意見を少しも変えていないのだ。 ところが岡田氏の『竹熊1,2』では、『エヴァ』肯定論者だった私が、あたかも『エヴァ』に対する意見を撤回し、今では岡田氏とともに否定しているかのような記述がなされている。しかも意図的にか無意識的にか、私の発言の文脈を巧妙に変更して、岡田氏の「主観」に過ぎないものを私のそれとすり替えるという、悪質な「情報操作」を行っているのである。二,三の例を挙げるなら、 【エヴァ体験のなかった竹熊氏は、見てもいないエヴァに対して好印象は抱かなかったようだ。】(竹熊1) これは単に岡田氏の主観にすぎない。私はこの時点で『エヴァ』に対して好印象も悪印象も抱いていなかった。だいたい「見てもいない」ものに対して、どんな印象を抱くことができるというのだ? 本人に確かめることもせず、主観でこう書かれても迷惑である。 もうひとつ例を挙げよう。 【そのあたりから確かに竹熊氏の、庵野君に対するニュアンスは微妙に変わりだした。】(竹熊2) 岡田氏よ、私の「ニュアンスが変わりだした」なら、どう変わったのか教えていただきたいものだ。ちなみにこういう場合の物書きとしての基本ルールを教えよう。どこかで私が発言したり、書いたりしたことから引用して、具体的に根拠を示すことだ。でなければまともな反論すらできないではないか(「竹熊から直接こう聞いた」といったって証拠能力はない。当然、私はそれを否定することになるだろうが、第三者にはどちらが嘘をついているのか判断不可能なのだから)。 こういう書き方はとりわけ卑怯である。なぜなら、何も知らない読者は、前後の文脈から判断して「竹熊は、庵野氏に対して悪印象を持ち始めたんだな」と誤解するようにしむけているからである。しかも岡田氏は「何も具体的に書いていない」わけだから、読者や私がどう解釈しようが「俺は何も書いてない」と言い逃れができるという仕組みだ。またこれが仮に岡田氏の「思いこみ」であり、悪意がなかったとしても「無責任な文章」であることに変わりはない。さらに、もうひとつ。 【先日、竹熊氏と引っ越し祝いに飲んだとき、「新興宗教にハマったくせに、ちゃっかり儲けてしまった」と笑いあった。「生還した」という言葉すら出てきたほどだ。】(竹熊2) という文章中、カッコ内発言の主語は誰だ? 引越祝いと称して岡田氏をはじめとする(株)オタキングの関係者がどやどやと押し掛けてきて、新居の写真を撮り(しかも勝手に雑誌やホームページに掲載しているようだが、こういうのは私の許可を得るべきだと常識として思いますがね、岡田さん?)、そのまま駅前の居酒屋で飲んだのは事実だ。しかし私にはそのような発言をした記憶がないのだが? この文章全体についていえることだが、岡田氏は『エヴァ』にハマッた人間を、あたかも正常な判断力を失って悪質な新興宗教にはまった愚かな人間であるかのように書かれているようだ。私にはそのような言葉を吐いた覚えがなく、また「現実に」そうは思っていない以上、これはむしろ岡田氏の意見とみなすしかないのだが、よろしいか? これ以外にもいっぱいある(いや文章全体がそうだ)が、これについては近く何らかのかたちで発表するだろう「岡田斗司夫氏の情報操作術(仮題)」で逐一反論させていただく。 |