バングラデシュのテロから2週間以上が過ぎました。バングラデシュ国内では厳戒態勢が取られ、特にバングラデシュ国内に住む外国人へのセキュリティ強化が進んでいます。
テロはその後も世界中で発生し、南スーダンではテロではないものの銃撃戦で日本人が全員緊急避難する事態になりました。
世界ではいま何が起こっているのでしょうか。
今日はモヤモヤした感情を書き記します。
- 違いが認められない
- 腹が立つのは違いを認めていない証拠
- 違いを消すことは新たな違いを生む
- ぼくたちは平和について考える事ができる
- 日常なのか非日常なのかがわからない
- これもバングラデシュなんだと認める勇気
- 本日のJステまとめ
違いが認められない
テロや紛争、戦争はなぜ起こってしまうのでしょうか。
これらの全ての根源は「考えの違い」によるものだと思っています。
- 宗教的考え方
- 国家的考え方
- 利権的考え方
自分が信じているもの、正しいと思っていること、利益になりうることに反するものが現れた時、「自分とは違うのか、違って当たり前だよね」ではなく「自分とは違う、だったら消えてもらおう」という発想になるから、争いが起こります。
そんな単純なことで全て争いになるわけではないけれど、そんな単純なことで争いが起こってしまうんです。
これは遠い国の知らない人たちが起こしていることではないんです。
違いが認められないということは日本においても、どんな人でも身近で体験しているはずです。
腹が立つのは違いを認めていない証拠
自分以外の誰かに対してイライラする、腹が立つという気持ちになったことない人はいないのではないでしょうか。いたら教えてほしいです。
- なんで約束の時間を守ってくれないんだろう
- なんで言ったことをやってくれないんだろう
- 忙しい時に話しかけてくるなよ
- 空気を読めないなんて最低
イライラの原因になることを挙げてみました。
イライラする原因は誰かに対して向けられています。
結局のところ、誰かの行為を認められないからこそ腹が立ってしまうのです。
もしかしたら根本では人は自分と異なる言動をする人を認められない動物なのかもしれません。
違いを消すことは新たな違いを生む
テロや紛争、戦争は、自分の考えと違う人たちに暴力で自分たちの正当性を訴える行為です。もしくは恐怖に貶めて強制的に従わせる行為。
自分の考えと違うからといって、地球上に住む全ての人が暴力を振るうわけではありません。むしろそういう人の方が少ないはずです。
なぜでしょうか。
そんなの犯罪だからに決まってるじゃん
という声が聞こえてきそうですが、犯罪だから暴力で人を貶める行為はしないというのは少し違う気がします。
もし人を殺すことが罪に問われないとしたら、どうでしょうか?
どんどん殺人が起きてしまうのでしょうか?
罪に問われないとしたらテロを起こしたいと思いますか?
ぼくは思いません。
なぜなら「人を殺すことによって違いが認められたという実感を得られない」と思うからです。
ぼくは人を殺める行為をしたことがないのでこれは想像でしかありません。
実際にどういう感情になるのか。
でもテロを起こした人、戦争で人を殺めてしまった人、人を殺してしまった人は自殺する人も多いと聞きます。
自分と違う考えの人をせっかくこの世から消したはずなののに、なぜ自分までも消えてしまうのでしょうか。
人を殺めてしまった自分を認められなくなってしまうからではないでしょうか。
自分との違いを消すことが目的で、それが達成された瞬間、今度は自分が認められなくなってしまう。
違いを消すことは、また新たな違いを生むことになってしまうのです。
ぼくたちは平和について考える事ができる
世界中で多発するテロや紛争に対して、ぼくたち日本人はどれだけ身近な存在に思えているでしょうか。
いまの日本に生きるぼくたちにとって身近な存在に思って行動しろというのは少々酷な話かもしれません。
平和ボケ
という言葉がはやって久しい日本社会の中で、ぼくたちが考えられることはなんでしょう。
それはとことん平和ボケすること。
というと語弊があるかもしれませんが、とにかく平和先進国であり続けることではないでしょうか。
平和ボケという言葉は皮肉として使われます。
でも平和ボケになれるということは、本当に平和で差し迫った恐怖が日常生活の中でないという証拠です。
これは世界に誇れることではないでしょうか。
ただ一つ国際社会の中の日本と考えた時に、ぼくたちが貢献できることを考えなければなりません。
- 平和について考える事
- 平和は当たり前ではないという事
- なぜ日本は平和だと言われるのか、そしてなぜ日本は平和を実現できているのか
そのことをとことん考えて、議論して、発信していく。
それを自由にできるのが今の日本の素晴らしいところだと思うんです。
自衛隊派遣について様々な議論が飛び交っています
憲法改正に待ったをかける人もいます
日本も平和について考えなければいけないきっかけは沢山あります。
自分で情報をとりに行っていますか?
ぼくは私は関係ない話、ではないですよ!
この世に生をうけたのであれば、ぼくは社会の一員として、そして国際社会の一員としてどう自分は考えて、生きていくのか日本にいたとしても必要なことだと思います。
日常なのか非日常なのかがわからない
7月1日に起きたバングラデシュでのテロは、バングラデシュにいるぼくにとって衝撃という言葉では表せられないほどの出来事になりました。
そして7月7日七夕の日、ぼくが2年間住んでいたバングラデシュのキショルゴンジという場所で再びテロが起こってしましました。そして亡くなった方の1人はぼくの友人の友人でした。
恐れたことが起こってしまった。。。まさかバングラデシュの故郷ともいえる二年間住んだ場所キショルゴンジでテロ。。。もうやめて。本当に今日と言う日は人々にとって喜びを分かち合う日なんです。https://t.co/AbixJiqMgu
— ジェイ@Bangladesh (@JisinBangladesh) 2016年7月7日
7月1日のダッカでのテロ事件がなければ、ぼくはまさにニュースにあったショラキアという場所で友人とラマダン明けのお祝いをしていたことでしょう。
あまりにも身近な事件が立て続けに起こり、気持ちの整理がつかないまま日常の仕事を続けています。
身の安全の確保のために日本に帰国を余儀なくされている人もたくさんいます。これは当然のことです。
でもぼくはもし日本に帰ってしまったら、これが非日常になるのではないかという恐怖にさいなまれています。
「しばらく日本に帰れないの?」
「安全な場所にいるといっても心配」
「家族も気が気じゃないんじゃない?」
「お前が生きてなきゃ意味ないんだから」
そんなありがたい言葉もたくさん頂きました。
でもそれと同時に、日本にいるパートナーからの
「いまこの瞬間、バングラデシュに行きたい」
という言葉に、ぼくはバングラデシュで頑張ろうと思えたのです。
ジェイステーションでも何度か取り上げているように、ぼくのパートナーは日本にいますが以前はバングラデシュに住んでいました。
ぼくと同じようにバングラデシュに愛情を注ぎ、今でも大切に思っています。
いま自分ができることは、バングラデシュに残って今までと同じように現地の人たちと仕事をしていくこと。もちろん日本で待っていてくれる人たちのためにも、身の安全には必要以上に注意を払うことを忘れずにします。
これもバングラデシュなんだと認める勇気
ぼくは事件が起こってから、必死にこれは本来のバングラデシュなんかじゃない、イスラム教徒は怖くなんかないと発信してきました。
いま日本にいるムスリムが偏見の目にさらされているのではないかと心配になる。ムスリムが怖いわけでも悪いわけでもない。https://t.co/qATXzVTFBO
— ジェイ@Bangladesh (@JisinBangladesh) 2016年7月5日
心を痛めているのは日本人だけでなく、日本が大好きなベンガル人も同じです。どうか日本のみなさん、日本にいるベンガル人たちを偏見の目でみないでください。まさにいまバングラデシュで活動してきた青年海外協力隊OBOGたちの出番なのではないかと思います。
— ジェイ@Bangladesh (@JisinBangladesh) 2016年7月2日
少し日数が経ち冷静に考え始めると、これもバングラデシュなんだと認めなきゃいけないなと思えてきました。
- 貧困
- 汚職
- 洪水
ネガティブなイメージを払拭するために、この3年間バングラデシュを発信し続け、現地の人たちの優しさといかに自分がバングラデシュを好きかを伝えてきました。
でもそれと同時に迫っていたテロの脅威に目をつぶっていたのかもしれません。テロが起こるとは予想してはいませんでしたが、テロが起こってしまった原因を突き詰めると、これらのネガティブ要素が引き起こしている可能性は大いにありえます。
一度しか会ったことがありませんが、バングラデシュ繋がりでもあるe-educationの代表である三輪開人さんがこんなことを言っていました。
テロ行為に走った学生たちは少なくとも"正義感"をもっていました。残念ながら、彼らは今の社会に対して感じていた不正義や不平等と戦おうとして、テロの道を選んでしまいましたが、彼らの動機を考えるだけで悔しくなってきます。
今のバングラデシュには、やっぱり"希望"が足りません。「社会の為に」という気持ちをカタチにする道が足りていません。
途上国から世界に通用するブランドをつくるとコンセプトにバングラデシュから事業を始めたマザーハウスの山口絵理子さんもこう言っていました。
私は事件の詳細が報じられる前から、「犯人は若者だろう」と漠然と感じていましたが、周囲の人には「なんでわかるの?」と不思議がられていました。
でも実は、2015年の邦人殺害事件を含め、最近の事件の犯人は20代、しかもだいたい大学を卒業する前後の若者であることが多いのです。
私も現地の大学院に通っていたので、この状況がとてもよく理解できます。
夢を持てない若者たち
この年齢の若者はバイタリティに溢れているものです。それなのに、バングラデシュでは大学を卒業しても望んだ職業に就くことは難しいし、夢中になれることもありません。
私のクラスメイトたちも、みんな英語が堪能でとても優秀でしたが、卒業後2~3年はなんとなくぼんやり過ごしていたように思います。
このように、能力は高いけれど精神的にはまだ未熟な若者たちが、ありあまったエネルギーを注ぐ先がないのは非常に残念なことです。
2人の共通する部分は「将来有望な若者たちのエネルギーの発散場所がなく、夢を持てない社会である」ということ。
これは今のバングラデシュを物語っています。
この事実から目を背けてはいけない。
ぼくもバングラデシュの素晴らしい部分と同時に、目をつぶっていたこういう現状も伝えて、更には今の仕事を通じて雇用を促進していけたらいいなと思っています。
本日のJステまとめ
バングラデシュでの事件後、日本のムスリム協会やイスラム教徒の人たちに、脅迫電話や手紙がくるという話を聞きます。
どうしてこういうことが起こってしまうのでしょうか。
人はカテゴライズするのが好きです。
そしてカテゴリーに入ろうとします。
それが悪いことではないし、何かしらのカテゴリーの中でぼくたちは生活しています。
でもそのカテゴリーの人が起こしたことは、そのカテゴリーの中の人全員に当てはまるという考え方だけはやめてほしい。
日本に住むバングラデシュの人々、イスラム教徒の人々も安心して日本で暮らすことに幸せを感じてほしいなと強く願っています。
平和な社会ってどうやったら作り上げれるんだろう?
👈読者登録はこちらから