お願いします。
(常子)自分で会社を作って出版しようと思うんです。
「とと姉ちゃん」こと小橋常子にはモチーフとなった実在の人物がいます。
暮しの手帖社の初代社長大橋鎭子さんです。
仕事をしている様子です。
とってもバイタリティー旺盛な人だったらしいですよ。
彼女が自身のモットーを語っている音声があります。
聞いてみましょう。
そんな鎭子さんの雑誌作りを支えたのがこちらの男性です。
ロングヘアー。
花森安治さん。
「とと姉ちゃん」では花山伊佐次のモチーフとなりました。
花森さんの声も聞いてみましょうか。
どんな感じだと思いますか?怖い?やっぱり。
何でも怒ると部屋の窓ガラスが震えたらしいです。
そんな2人が仲間と共に作り上げたのが雑誌「暮しの手帖」です。
花森さんは編集長鎭子さんは編集部員兼雑誌を出す会社の社長という訳。
雑誌には衣・食・住を豊かにする知恵がたっぷり。
創刊から20年ほどで100万部に近づくまで売り上げを伸ばしました。
そこまで支持を集めた訳とは?暮らしに役立つ情報が詰まっているからというだけではどうやらないようです。
鼻面にパンッと突きつけるような感じのねそういうパンチ力というか気骨さがあって。
よく売れたのにどうかしている雑誌?何だか不思議ですよね。
どういう事なんでしょう。
こんにちは。
「とと姉ちゃん」で東堂チヨを演じております片桐はいりです。
こんにちは。
私はいすです。
いす…。
いすさんとお呼びしてよろしいんでしょうか?はいいすです。
鎭子さんが仕事中ず〜っと愛用して下さっていた本物のいす。
だから年季が入っていますよ。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まずこれを見て下さいね。
これが鎭子さんたちが手がけた雑誌「暮しの手帖」第一号。
どうぞ手に取ってみて下さいね。
いいんですか?失礼します。
うわ〜。
貴重な…。
いや〜かわいいですね。
このイラストは全て花森さんが描いていたの。
あの方ねちょっとこわもてだけれど絵はかわいいでしょ?創刊号が出たのは1948年です。
終戦からはまだ3年。
住む家のない家庭が370万世帯あった。
そんな頃です。
ページの中には空襲で焼けた家具の代わりになる壁掛け収納やほんの少しの布だけでまとめ髪を結うテクニック。
おがくずを詰めて作るかわいい縫いぐるみまで。
厳しい暮らしに快適さや楽しさをもたらす知恵があふれています。
そんなこの雑誌の原点とは。
鎭子さんが戦時中防空壕に避難している時に温めていたというあるアイデアです。
はいりさん。
はい。
10ページを…どうですか?10ページ。
「ブラジアパッドの作り方」…ですか?そうなんですよ。
こういう事なの。
フフフッちょっと見ていいですか?あっあのね中よ中!中?パッドだけ出してみて下さいね。
はい。
うわっ針金が入ってますね。
それで確かに乳首もある。
フフッ。
本当に面白いです。
硬いですよ!作り方を見てみましょう。
針金を渦巻き状に曲げたら綿を丸めた乳首をつけツンとした胸の形を作ります。
ガーゼと綿で包めば…。
出来上がり。
でもなぜこのブラジャーじゃなくてパッドの作り方を記事にしたんでしょうね?そこがですね「暮しの手帖」の目の付けどころ!ご覧の映像は少し後のものですが戦後初めてファッションショーが開かれたのは創刊号が出た年と同じ1948年です。
それまでもんぺ姿を余儀なくされていた女性たち。
おしゃれな洋服への憧れが高まっていました。
ところが…洋服の下ブラジャーに問題が。
パッドが入っていないんです。
既製品も手作りのものも当時は大抵そうでした。
だから胸のラインが言ってみればいけてない訳です。
そこでこの雑誌は身近な材料で作るパッドを提案しました。
手持ちのブラジャーにパッドを組み合わせるだけで胸のラインが美しくなる。
この記事好評だったそうですよ。
はいりさん創刊当時の「暮しの手帖」の中で特に女性に喜ばれたファッションの記事があるんですよ。
それがこちらです。
直線裁ちで作る洋服。
デザインは花森さん。
鎭子さんは服を作ったりご覧のようにモデルを務めたりしました。
直線裁ちの記事は創刊から10年間毎号のように登場。
それだけ好評を博したという訳。
どんな服だったのか。
当時の誌面を基に実際に作ってみました。
このワンピース実はあるものをリメイクしたんですが分かりますか?浴衣です。
浴衣のリメイクなんです。
しかもほんの1時間ほどでできるんですって。
1時間ってすごくないですか?しかもしかもお裁縫の達人じゃなくても手縫いで簡単に作れちゃうんだそうです。
今回直線裁ちのワンピースを再現してくれたのは…シンプルなデザインが魅力の方。
リメイクに使ったのはまさに創刊号が出た頃に作られたアンティークの浴衣です。
では再現の様子ご覧下さい。
まずは浴衣の袖を大胆に外していきます。
続いて襟も外します。
手で簡単に外れました。
ここまでで15分です。
あとは襟や袖を外した所をデザインに合わせて直線縫いで整えます。
それだけです。
全ての作業が1時間で終わりました。
もう少し細かい所を見てみましょう。
外した襟はなんとベルトに。
ウエストをキュッと締めます。
袖は縫い合わせてパフスリーブにします。
二の腕をほっそり見せてくれます。
ほかのデザインもお見せしましょう。
こちら涼しげなワンピースは浴衣の前後を逆にして縫いました。
こちらは上半身のシルエットがタイトになっていますが布を折ってひだを寄せただけ。
難しいテクニックは使っていません。
いかがでしたか?直線裁ち。
創刊号の記事で鎭子さんはその魅力をこんなふうに書いています。
人々はまだ食べていくのに精いっぱいだった時代の雑誌。
それなのに少し意外です。
読者から最も支持を集めたのは直線裁ちというファッションの記事でした。
花森さんの言葉です。
当時鎭子さんや花森さんと一緒に記事を作っていた方に会う事ができました。
いろんなアイデアは「こんなのどう?」とか「そうね」っていうような中で生まれてきたと思いますよ。
創刊の年から4年間編集部員を務めていました。
あっここですね。
これですよもう。
よくまあなんて…。
今で言うと笑われるけど…これ風呂敷にひもを通したものなんですって。
ちょっと大胆なトップス。
楽しさが伝わってくるようです。
でも当時の暮らしは相当に大変だったといいます。
常緑子さん戦争当時は広島に住んでいました。
原爆で両親を亡くし自らも被爆。
血縁を頼り18歳で東京に出てきました。
そして見つけた居場所の一つがこの編集部でした。
ものがないんですから…はいりさん今度はちょっとテーブルにご注目。
うわっ!ホットケーキ!66年前の「暮しの手帖」に載っていたレシピのとおりに作ったホットケーキ。
さあ召し上がって。
ありがとうございます。
わ〜い!頂きま〜す。
う〜ん。
フフ。
もちもち系だ。
何でしょう…これを食べると何か土曜日のお昼を思い出すんですよ。
給食がないと土曜日のお昼はいつもおうちに帰ってごはん食べるんですけれどももう必ず何かホットケーキだった気がして。
母親は「暮しの手帖」とかそういう昔の雑誌をたくさん読んで作り方を学んでいろいろとやってたんですけれども多分ホットケーキがこんなにうちのメニューに登場するのも「暮しの手帖」読んだからじゃないかと思っているんです。
そうですか。
思い出に重なって余計おいしい味ですね。
はいりさん。
うん。
もう泣けてきちゃう。
実は鎭子さんには料理の記事に特別な思い入れがあったのです。
へえ〜。
こだわりの料理記事がこちら。
一流店の味を家庭で手軽にお安く作るというもの。
有名な料理人を鎭子さんが体当たりで口説いて実現しました。
帝国ホテルの洋風おそうざいに懐石料理で名高い大阪の料理人が手がけたおばんざい。
先ほどのホットケーキも銀座で人気の喫茶店のシェフが教えてくれたものでした。
そしてレシピ記事には今でこそ当たり前ながら当時は革命的だったともいえるある工夫が…。
まず当時のほかの雑誌の料理記事をご覧下さい。
僅か数行の文章だけです。
翻って「暮しの手帖」にはそう手順を細かく追った写真があります。
これが革命的!写真で手順を説明したのは「暮しの手帖」が最初だといわれているんです。
申し添えますとこれが始まったのはテレビ放送のない時代です。
また手順を説明する文章もこれでもかっていうくらい細かいんです。
カレーの作り方を見てみましょう。
欧風カレーという事で小麦粉とバターをじっくり炒めるのですがそこのところを。
「粉と油が混じって水にぬれた粘土のようになってきます。
それをしゃもじで押すようにしてかき混ぜていきますと今度はパサパサに。
ちょうどお豆腐のおからのようになってきます。
手首もだるく初めての方はまだかと不審に思われるほど」。
どうですか?この細かさ。
…でですねこの細かい記事を作るにあたっては絶対に欠かせない作業がありました。
それは料理が苦手な人に原稿だけを見せてその料理を作らせるというものです。
そうして出来た料理がシェフが作ったものと同じにならない時はボツ。
完成までには何度も何度も書き直したそうです。
元編集部員の人たちにその話を振ってみたところまあ皆さん苦労話に花が咲くこと咲くこと。
料理記事を細か〜く丁寧に書く事については鎭子さんが「徹子の部屋」で話していました。
ちょっとご覧下さい。
お料理に手がかかるっていうよりも記事を書くのにものすごい手がかかってるんですってね。
お料理へのこだわりのもとがやっぱり「とと」だったんですね。
ブラジャーパッドも初めてだし料理の写真も初めてだし何か全て発明をしてるんですね「暮しの手帖」は。
すごいですね。
そうですね。
はい。
感心しきりのはいりさん。
でもはいりさんもいすさんに教えたい事があるようです。
実は私もすてきなところへ行ってきたんですよ。
どこへ?鎭子さんのおうち。
あっ大橋さん…。
失礼します。
(チャイム)
(インターホン)「はい」。
初めまして片桐と申します。
(インターホン)「どうもようこそ。
ただいま参ります。
はい」。
どうも初めましてどうも〜。
片桐と申します。
横山でございます。
どうも初めまして。
お邪魔致します。
どうぞ。
都内にある鎭子さんの自宅。
亡くなる前とほとんど様子は変わっていないのだそうです。
鎭子さんは8歳の時から亡くなるまで85年間ここで暮らしました。
母の久子さん次女の晴子さん一家三女の芳子さんお手伝いさん。
住人は最大で11人に上りました。
わあ〜すてき。
わっ!これ…。
はいりさんの目に飛び込んできたのは鎭子さんが着ていた服です。
色が人の気持ちを明るくしてくれる。
そんなモットーでお葬式の時でも明るい色の服を選んでいたのだそうです。
あら?リビングにどなたかいらっしゃいます。
お邪魔致し…あっ!すぐ下の妹晴子さん94歳。
東堂…東堂役をやっております。
東堂先生…ほら今「とと姉ちゃん」で。
鞠子の先生を…。
ありがとうございますいろいろ。
ねえ〜。
あ〜うれしいお会いできて。
あら〜!本当ですか?あら…本当に?あらそうですか。
何だじゃあへえ〜。
晴子さんが座っていたこのソファーは鎭子さんにとってもお気に入りの場所でした。
夜遅くまでここで雑誌作りのアイデアを練っていたのだそうです。
ここですてきなサプライズがありました。
何かうちでもとにかく考えてるプラン…メモ。
何かいい企画ないかしらってプランを考えてるばっかりで…。
鎭子さんがアイデアを書きためていた手帳です。
常に肌身離さず持ち歩いていたのだそうです。
いいですか?ちょっと見せて頂いて。
あっちゃんと住所…。
あっ私もこれやります!「私にとって大切なノートです。
時々落とす慌て者です。
よろしくお願い申し上げます」。
ちゃんと書いてある。
すごい!気になった事は何から何までここに書き留めていました。
「横浜市の遊び場」。
「デパートの既製服の直す値段」。
ああそうですね。
そういうのがあったんでしょうね既製服の…。
「台風の建物にチェック」。
「造花を買ったら好きな香水をスプレーでかける」。
「首飾りを二重にする」。
人に教えたくなる暮らしのヒントです。
本当にでも何て言うんだろ?本当に興味がおありになるというか…おうちで何か…60年以上鎭子さんと暮らしてきた家政婦の神原英子さんです。
考え事してらっしゃるんだ。
じゃあテレビ見て何かこうあ〜んみたいな?えっ?「殺し」?「必殺」。
「殺し」がお好き!「必殺」は多かったね。
さあお宅訪問ときたら気になるのは台所です。
ほかならぬ鎭子さんの台所ですからね。
うわ〜明るい。
え〜このまんまですね。
何かお写真で見たのこういう…。
それもそうですね。
そうですね。
60年!うわ〜!でもお鍋とかもちゃんと見せる収納になってるんですね。
あっ!何だろう?ここ。
これはねここでちょっと食事。
収納式のテーブルです。
ちょっと何かをつまんだりする時に使ったそう。
場所をとらなくていいですよね。
こちらはかがまなくても上から楽に取り出せる調味料入れ。
魅力的な工夫の数々は鎭子さんが取材したある連載記事から生まれたものです。
「KITCHENの研究」。
1954年から10年にわたって「暮しの手帖」に連載されました。
研究にあたっては一般家庭の台所を何軒も訪ね使い勝手の善しあしを調査しました。
例えば最もひねりやすい水栓の形は何か。
メンテナンスの楽な流し台の素材とは。
更にキッチン全体のレイアウトや合理的な動線まで理想の台所をいろいろな角度から追求しました。
公団住宅が続々と作られマイホームが現実的な夢となってきた時代。
「KITCHENの研究」は新しく台所を作る人たちに大いに参考になりました。
今までの私たちの固定観念でないいろんな収納のしかたがねただ置くっていう事しか考えてなかったのがコップをず〜っと吊すとかね非常に合理的で科学的で分析的ですよね。
日本が伝統的に続いているほとんど封建的なねいろんなしきたりっていうのがあるでしょ。
…っていうふうな事が「暮しの手帖」のモットーですからね。
それをず〜っと主張してたんですね。
「KITCHENの研究」。
最初の連載の冒頭にはこう書かれています。
「わたしたちの暮しになによりも大事な台所」。
もう何て言うんだろ?もういっぱい何か幸せが充満してるようなおうちでした。
もう台所にしても廊下にしてもドアの取っ手一つにしても全部知恵や工夫にあふれててあのアイデア帳たるや本当に私何か見てるだけでわくわくしました。
もう本当にお仕事じゃなくてそうやって追求する事やら人にそうやって伝える事がもう楽しくて楽しくてしょうがないっていう何か鎭子さんのたぎるものを感じましたよ。
そうですね。
「暮しの手帖」の表紙の裏。
いつも同じ文章が書かれています。
「これはあなたの手帖です」と始まる読者へのメッセージです。
「せめてどれかもう一つ二つはすぐには役に立たないように見えてもやがてこころの底ふかく沈んでいつしかあなたの暮し方を変えてしまう」。
「いつしかあなたの暮し方を変えてしまう」。
この雑誌によってまさにそんな体験をしたという読者がいます。
ハハッこれが全部。
こちらの親子です。
長年「暮しの手帖」を愛読してきたという…量子さんは今も家に100冊以上保管しています。
本を見れば分かるけど結構…
(マリ)この辺すごいですね。
これやっぱり手放せなかったんですね。
(量子)そうよね。
「暮しの手帖」の影響。
マリさんが子どもの頃おもちゃはいつも手作りでした。
(量子)買わないね。
「トムとジェリー」。
「トム」。
これ縫ったんですよこれレースで。
縫うじゃないや編んだんですね。
マリさんは17歳の時たった一人イタリアに留学しました。
しばしば母から送られてきたのが「暮しの手帖」でした。
実用的な記事は重宝したそうなのですがそれ以上にマリさんが大きな影響を受けた企画があったといいます。
(量子)何?それどこで?あれを見た時に…マリさんが言う「商品テスト」とは「暮しの手帖」の名物企画です。
一体どんなものだったのかこれから簡単にご説明します。
1950年代高度成長の幕開け。
新製品が夢の暮らしをうたい庶民の購買意欲をかきたてました。
日用品から家電までさまざまな商品の性能を独自の手法でテストするというものです。
その手法が徹底しているんです。
トースターの時は一日2枚ずつ3年間食べ続けた場合を想定。
およそ2,000枚のトーストをひたすら焼き続けトースターが耐えられるか検証しました。
33台分合計で4万枚以上焼いたのです。
ベビーカーの場合は段差や坂のある実際の道をテストコースに。
親子9組に協力してもらい2日間にわたって同じ道を何度も往復。
9台のベビーカーの使い心地を比べました。
問題ありとされたものは実名の掲載とともに容赦ない言葉で斬り捨てられました。
この企画に込められた精神。
ヨーロッパで一人道を切り開いたマリさんの心に強く響きました。
そしてそれは独自の作品世界を生み出し続ける創作活動の原点を支えました。
あんな何でもかんでも受け入れるよって見てるけど…やっぱり何か私たちって世の中とか経済にだまされてるみたいなところ多いじゃないですか。
そこで何か本当に経済から切り離されて愚直に実験を続けるみたいな事って何て言うんだろう…やりたくてもできないというか。
メーカーから影響を受けないために広告をとらないという姿勢もこれもですね読者からの支持を集めたんですよね。
うん。
名物企画を次々と打ち出した「暮しの手帖」は創刊から20年で100万部近くまで売り上げを伸ばしていきました。
そんなさなかの1968年これまでとは類を見ない異色ともいえる一冊が発売されました。
「戦争中の暮しの記録」と書かれた第96号です。
一体何が異色だったのか。
その時の原稿が出版社に残されています。
当時編集に携わった小榑雅章さんにその原稿を見せてもらいました。
原稿を書いたのは読者です。
この号では人気の商品テストや料理記事などは全てお休み。
それどころか編集部員の書いた記事も一切ありません。
読者が書いた戦争中の暮らしについての手記。
139通だけで一冊を埋め尽くしました。
一番重要なの。
その原稿に…どれも長い手記ですが抜粋してご紹介します。
銭湯の記憶。
原稿には例えばもんぺに使われていた布地や絵が添えられていたりします。
防空壕の図面を送ってきた読者もいました。
戦争にむしばまれた暮らしの現実を伝えたい。
そんな思いがあふれ出しているようです。
これです。
これです。
1968年にこの特集が世に出された時強い感銘を受けたといいます。
そこへこの本が…そしてこれを読んで私自身の変化といったらやっぱり…「売れるはずがない」とも言われたこの特集。
それまでで最高の売り上げを記録しました。
この特集を出した2人の思いがある号につづられています。
「…というのが私たちのずっと持ち続けてきた気持です」。
今まで雑誌って何かそういう暮らしがよくなる知恵だとかアイデアだとかそういう情報を詰め込んで売るものだっていうふうに思ってたんですけど雑誌を作るという事自体がもう何かの運動というか大きなすごい芸術的な建物を造ってるみたいなそういう何か花森さんと鎭子さんの活動だったんじゃないかっていうふうに私は思っちゃったんですね。
何もない時代に始まって時代がどんどんどんどん変わってきているのにでもその根元の思いっていうのがずっと変わらない。
徹底して変わらない。
だからですねどの時代もそのメッセージがね伝わってきますね〜。
ですね。
時代が変わっても貫き続けた根本の思い。
花森さんのこんな言葉が残っています。
2016/07/18(月) 08:15〜09:00
NHK総合1・神戸
「とと姉ちゃん」と、あの雑誌[字]
「とと姉ちゃん」のモチーフとなった、大橋鎭子、花森安治と雑誌「暮しの手帖」の世界にご案内!片桐はいりさんが鎭子さんの家を訪問。当時の簡単リメイクドレスの再現も。
詳細情報
番組内容
社長で編集部員の大橋鎭子、編集長は花森安治。1948年に創刊された「暮しの手帖」とはどんな雑誌で、二人は何を目指したのか?1時間で作れる「直線裁ち」のドレスやこだわりの料理記事、商品テストなど名物企画から探る。また片桐はいりさんが、鎭子さんが生前暮らしたお宅を訪問、94歳でご健在の妹さんと出会う。漫画家ヤマザキマリさんが語る、この雑誌の影響。そして特集「戦争中の暮しの記録」に込められた思いとは?
出演者
【出演】片桐はいり,加賀美幸子,ヤマザキマリ,東京家政大学名誉教授…樋口恵子,安川里奈,【語り】内田慈
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暮しの手帖
ジャンル :
情報/ワイドショー – 暮らし・住まい
ドラマ – 国内ドラマ
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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