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アヘンとともに栄え、アヘンとともに滅びた満州国の裏面史

現代ビジネス 7月17日(日)11時1分配信

岸の清濁を知る人物「古海忠之」

 引きつづき「昭和の妖怪」岸信介のことを書くつもりだったが、資料を漁るうちに面白い本に出くわした。これを素通りするのは惜しいので、今回はちょっと寄り道させてもらう。

 本の題名は『古海忠之 忘れ得ぬ満洲国』(経済往来社刊)だ。著者の古海は東大卒の大蔵官僚で、1932(昭和7)年に誕生したばかりの満州国政府に派遣された。国務院経済部次長など重要ポストを歴任。実質的には満州国副総理格で敗戦を迎え、戦後はソ連・中国で18年間にわたって拘禁された。

 ちなみに岸が満州経営に携わったのは1936(昭和11)年~'39(昭和14)年の3年間。古海は岸の忠実な部下で、岸の裏も表も知り尽くしている。

 その古海が語るアヘンの話に耳を傾けてほしい。ご承知と思うが、当時の中国はアヘン中毒患者が国中に蔓延していた。

 古海が満州国初の予算を編成していた1932(昭和7)年のことだ。上司が「満州ではアヘンを断禁すべきだ」と強く主張し、各方面の説得にあたった。

 その結果、植民地・台湾の例にならい、アヘンを一挙に廃絶するのではなく、徐々に減らす漸禁策をとることになり、ケシ栽培からアヘン製造販売まですべてを国家の管理下に置くことにした。アヘン専売制である。

目論み外れ借金苦に

 1940(昭和15)年、古海は経済部の次長になった。当時は産業開発五ヵ年計画達成のため、華北から輸入する鉄鉱石や石炭が膨大な量に上っていた。これに対し、華北の求める食糧や木材はあまり輸出できず、関東軍と満州国政府は巨額の支払い超過に悩まされていた。

 それを解消するため関東軍が考えたのが熱河省(満州の西側)工作だ。熱河はアヘンの主産地で、そのアヘンは専売総局で全部買い上げ、管理する建前になっている。が、実際は、広大な丘陵地帯を取り締まるのは不可能で、年々おびただしい量が北京などに密輸されていた。

 関東軍の目論見はこうだった

 ―軍と政府が密輸業者の活動を黙認する。その見返りに彼らが密輸で得た連銀券(=華北通貨。満州はその不足に悩んでいた)を同額の中央銀行券(=満州国通貨)と交換する。あるいは業者に資金を与えて密輸アヘンを集め、華北に売りさばいた代金(連銀券)を回収する―。

 関東軍の要請で古海はこの工作を請け負った。彼は三井物産から個人的に2000万円(現在の約200億円)を借り、それを資金に活動したが、行き詰まった。密輸業者らが「俺たちには関東軍と経済部次長がついているから、警察に捕まる心配もない」と言いふらしたからだ。

 古海のもとに熱河省各地から抗議が殺到した。工作は中止され、彼が個人で支出した2000万円も回収不能になった。借金返済を迫られた古海は当時をこう回想する。

 〈窮余の一策として、上海にいる私の親友里見甫君に助けを求めることにした。彼は当時、南京政府(=日本の傀儡政権)直轄の阿片総元売捌をやっていたので、手持ちの阿片を彼のもとに送りつけ、できるだけ高価に買い取ってもらい、なるべく多額の金を得ようとした。(略)里見甫君は非常に無理をして結局二千万円を払ってくれた〉

 里見は「阿片王」と呼ばれた男である。上海でペルシャ産や蒙古産の阿片を売りさばき、陸軍の戦費を調達していた。

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最終更新:7月17日(日)11時1分

現代ビジネス

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