フランス革命はブルボン王朝に対する反乱として始まり、共和制に移行しました。
しかしナポレオン戦争中にナポレオン王制が復活し、ナポレオン敗退後再びブルボン王朝が復活しました。この間のフランス国民の意識はどのような目でこの共和制と王制の推移をみたのでしょう?
国民の目から見たフランス革命の意義は単なる政変劇だったのでしょうか?
どうして度々の王制復活を支持したのでしょう?
共和制の恐怖政治の実態に失望した事は考えられますがフランス革命の意義、思想などは何の意味をもったのでしょうか?
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:2005/03/13 17:41
体制が行き詰まり、どうしようもなくなったときに破壊者が現れその体制をぶち壊し、新しい創造者へと引き継がれていきます。
わが国でも公家社会を平家がぶち壊し、源頼朝が武家社会を開いた例、鎌倉幕府の御家人制度を壊して後醍醐天皇が建武の新政をなした後、足利尊氏が室町幕府を開いた例、近くでは明治維新もそれにあたります。
この時代絶対王政も行き詰まりを見せ、フランスの財政も破綻し閉塞感が漂っており、政府も蔵相を交代させたり貴族にも税を課したりしましたが、体制側の変更で本質的なものは変わらず、矛盾は増して行きました。
そうした矛盾が崩壊をよび、フランス革命となり旧来の秩序は全て破壊されていきます。
そしてナポレオンの登場。
彼により革命の意義が周辺諸国に広がり、これまで王家に従属した庶民というものが国とか民族に目覚め、旧体制の破壊者ナポレオンを熱烈に支持し、ベートーベンもナポレオンに捧げるために「エロイカ」を作曲します。
しかし皮肉なことに破壊者は創造者になれず、ナポレオン自身が旧体制として、民族意識に目覚めた人々を支配しようとします。
そして古い秩序の象徴「皇帝」を持ち出し、これに絶望したベートーベンは「ナポレオンに捧げる」という部分を書き換え「ある英雄の思い出に捧げるシンフォニア・エロイカ」として世に出します。
このようにフランス革命により歴史の表に立つことの無い庶民も国や民族を意識し、愛国心や個人としての自立を考えるようになった、そういう意味で近代社会へのターニングポイントといえると思います。
一時的に王政が復活したのはナポレオンの敵対勢力(旧秩序)がそれを望んだからであり、時計の針を元に戻して自分たちの足元も固めようとしましたが、もとよりそれは無理で、絶対王政は崩れていきました。
回答有り難うございます。
体制の破壊の為の激動時の混乱と見ればよく解りました。 当時ヨーロッパのシステムの破壊者としてナポレオンが登場したので各国の庶民に受け入れられたのが、もずから帝政を始めて支持を失ったのはご指摘のとうりです。
ナポレオンに息子が生まれたのが運命のイタズラというのでしょう。
後醍醐帝の評価には異論がありますがべつの機会に。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:2005/03/12 10:25
フランス革命は、近世から近代へのターニングポイントだったと思います。
フランス革命により、初めて領民から国民へと自意識が変化します。
それまでの戦争は、国王や領主間の戦争であり、一般人の関知しない事(巻き込まれないようにさえしていればよかった)から、愛国心にめざめ積極的に関与すべき事態に変わります。
そのため、軍の規模も、数千人から数十万人規模に膨れ上がります。
ただ、このような状態になった場合、指導者にカリスマ性が無いと、軍をうまく指揮できません。
そこで、ナポレオンの登場です。
ナポレオンが破れ、ブルボン王政が復古しても、既に国民が納得せず、共和制に、ドイツ統一による危機感から、ナポレオン3世による帝政、ナポレオン3世が敗れた事による共和制となってゆきます。
フランス革命を見るとき、この辺まで見ると、意義が見えてきます。
また、フランス革命により、国民・民族というものが強く意識され、抑圧された民族や南米の植民地の独立などにつながってゆきます。
フランス革命の意義は、大変大きな物だったと思います。
回答有り難うございます。
確かに最後は共和制にたどり着いた点まで見るとご指摘のとうりですね。
意識の進化の過程での混乱という見方は納得できました。
当時のフランス軍の強さは国民意識からくる自立的行動と、ナポレオンの卓抜した指揮能力によるものと理解していました。
No.1
- 回答日時:2005/03/12 08:04
どっちでもよかったんじゃないかと思います。
パンと自由、それもどちらかといえばまずパン。そういう感じ方だったんじゃないでしょうか。思想や政治制度をめざして革命に参加した人も(有名な連中)いましたが大方は「パンが食えないのはなぜだ~!王様のせいだ~!」てな話だったんじゃないかと。
つまるところ飯がちゃんと食えてあまり厳しいしめつけさえなけりゃー上が王様でも皇帝でも大統領でもなんでもかまわないということです。
それに加えて革命というものはものごとを一気にかえることは実はできない、特にこの時代の場合進歩派も反動派もそれなりの力を持っていたわけですし、ちょっとした力関係の変化でゆれうごいた、ということでしょう。
回答有り難うございます。
確かにパリ市民はそういう事もあったかも知れません。 しかし当時情報の伝達はかなり早く、しかも国王夫妻の首を刎ねたのでブルボン王朝の復活は復讐の恐れが当然考えられるのにかなりスムースに実現している点が不審だったのです。
進歩派の有力者は内紛でかなり殺されていましたが・・・
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