いよいよ夏本番だ。海辺に出かけ、思いっきり楽しもうと計画している人も多いだろう。

 きょう18日は「海の日」だ。

 この祝日を機に、人間と海との関係を考えてみる。

 島国だけに、海はつねに魚や貝類をはじめ、豊かな実りをもたらしてくれていた。

 だが戦後、社会がひたすら経済成長を追い求め、人々の暮らしが豊かになるにつれ、その代償を払うように、海はひどく痛めつけられた。

 その反省を踏まえた環境改善が進むなか、さらに一歩先の「海の再生」をめざす動きが各地で始まっている。

 ■戻らぬ豊かさ

 高度成長期だった60~70年代、日本の海は激変した。

 瀬戸内海や東京湾、伊勢湾では赤潮が頻発した。工場や家庭排水の影響で、窒素やリンの濃度が高まる富栄養化が起き、プランクトンが異常発生する現象だ。漁業被害も深刻化した。

 沿岸は次々に埋め立てられ、全国の3分の1以上が人工海岸になった。都市に近い内海や湾では、多くの干潟(ひがた)や藻場(もば)が失われていった。

 このため政府は70年代以降、汚濁物質の流入を抑える対策に力を注いだ。水質は着実に良くなり、瀬戸内海では赤潮の発生がピーク時の3分の1ほどにまで減った。

 ところが、海の豊かさは戻ってきていない。

 瀬戸内海の漁業生産量は、最盛期の約4割しかない。全国でも沿岸漁業の生産量は減り続け、漁業離れに拍車をかける。

 海藻が消失する磯焼けも各地で相次いでいる。原因は未解明だが、森林が荒れ、腐植土に含まれる鉄分が川を通じて海に供給されなくなったためという見方もある。

 5月に富山市で開かれた主要7カ国(G7)環境相会合は、大きさ5ミリ以下の微小プラスチックが海の生き物に及ぼす悪影響への懸念を表明した。

 ペットボトルや化粧品など、身の回りのさまざまなものが発生源だ。人間の活動が海にかけている負荷は重い。

 ■人の手を加える

 海と人間の望ましい関係を考えるうえで、近年、「里海(さとうみ)」という言葉が注目されている。

 「人手が加わることで、生物の生産性と多様性が高くなった沿岸海域」という定義だ。

 98年から提唱してきた柳哲雄・九州大名誉教授は「きれいで、豊かで、にぎわいがある海」と表現する。

 ポイントは、山から河川を経て、海へ至る物質の流れを滑らかにすることだ。

 たとえば、沿岸の干潟や藻場は陸から流れ込む窒素やリンを取り込み、海の富栄養化を抑える役割を果たしていた。

 それが失われると、復元は容易ではない。人の手で適切に補っていく必要がある。

 里海の先駆例として知られるのが日生(ひなせ)(岡山県備前市)の漁師らによる「アマモ場」の再生だ。アマモはイネに似た長い葉をつける海草で、多くの生き物を育むゆりかごである。

 瀬戸内海が汚れるにつれ、日生の浅瀬からアマモの群生が消えた。「魚が減ったのもそのせいでは」と考えた漁師らが85年からアマモの種をまき始めた。

 台風の直撃で全滅するなどの苦難を乗り越え、昨年には50年代の4割ほどまでアマモ場は回復した。魚やエビが戻り、特産の養殖カキの収穫も安定する効果が出ている。

 アマモ場づくりは各地に広がっている。6月に日生で開かれた「全国アマモサミット」には2千人が集まった。

 環境省の14年度の調べでは、「里海づくり」に取り組む行政や市民らの活動は全国で216件にのぼる。

 「森は海の恋人」を合言葉に、宮城県のカキ養殖漁師らが89年から続ける植林や、干潟の保全など内容はさまざまだ。

 ■一人ひとりが意識を

 豊かな海の復活には、活動の輪を広げ、より多くの人が息長く携わることが欠かせない。

 東京湾再生に取り組む官民連携組織は13年から「東京湾大感謝祭」を始めた。江戸前の海の幸を食べたり、海辺のレジャーを体験したり。昨年は3日間で8万8千人が盛り上がった。

 企画を担う海洋環境専門家の木村尚(たかし)さんは、横浜市でアマモ場再生に尽力してきた。

 東京湾周辺には3千万人が暮らしている。「その3千万人が3千万通りに東京湾にかかわっていくようになれば、海はよみがえる」と木村さんは言う。

 たとえば、近海でとれた魚介類を積極的に買って食べれば、里海づくりを担う漁師らの支えになる。潮干狩りや磯遊びで子どもたちに海の魅力を体験させるのもいい。

 暮らしの中から出てくる排水やごみを減らすことも大切だ。

 私たち一人ひとりが海を意識し、具体的に行動する。その先に、豊かな里海が見えてくるに違いない。