●エルヴィスと私と最強のカミサン

 

●エルヴィスと私と最強のカミサン (公財)全日本ボウリング協会 専務理事 相沢 隆也 氏 1946生

 「エルヴィスさーん!」オリンピック招致の名スピーチですっかり時の人となられた水野正人さん。あのミズノ・スマイルでいつも親しくこの私を「エルヴィスさん」と呼んで下さる「ただ一人の男」(エルヴィス曲《I was the》の邦題)なのです。恥ずかしいやら嬉しいやら。しかし「リーゼントできる髪もないのに『エルヴィスさん』なんて言われて喜んじゃって!」と40年間ひとつ屋根の下で暮らしている「冷たい女」《Hard Headed Woman》こと我が最強のカミサン京子の顔がその度に浮かぶのです。

 人と接することの多い私は自分の名前と顔を覚えて頂くことが大切ですが、口下手の上にこれといった特徴のないタダのオッサンですから、エルヴィス柄のネクタイや名刺入れでアピールすると「おープレスリーのファンですか?」と聞いて下さる。くだけ過ぎて失礼と思いながらもエルヴィスをモチーフにしたデザインで年賀状を毎年出し続けているうちに、少しは認識していただけるようになりました。今回のお話も実は藤原庸介さんにお出しした年賀状がきっかけです。

 そんな私とエルヴィスですが、昭和21年生まれですからジャズ、ハワイアン、カントリー、フォーク、ロックンロール、アメリカンポップス、カンツォーネ、シャンソンと洋楽が一気に日本に上陸してきた青春時代を過ごしました。もちろん日本の歌謡曲も大好きですが!
 その中でエルヴィスがラジオから流れ、数本の映画も見ました。しかし好きではありましたが大ファンというほどではなかったのです。

等身大エルヴィス
等身大エルヴィス

 が、何故か?どうした巡り合せか?最強のエルヴィス教(狂)の女性と結婚してしまったのです。今や玄関に入ると金ラメ・スーツの等身大エルヴィスがお出迎え、部屋ではエルヴィス関連グッズに囲まれ、流れるのはもちろんエルヴィス曲、彼の誕生日や命日には仲間がギターを持ち込み、朝までエルヴィス宴会をするのが当たり前になったのです。そんな間に1970年の夏ラスベガスでのステージをそのままドキュメンタリー映画にした《エルヴィス・オン・ステージ》のビデオを見て改めて刺激され、彼の偉大さを痛感しました。特に数年、ステージでのオープニング《2001年宇宙の旅・ツァラトゥストラ》から《好きにならずにいられない》で終わる約1時間のショーは空手アクションを交えたR&B、カントリー、ゴスペル、ブルース等の合体芸術であり、ゴスペルコーラス2組を堂々と従えた、まるでミサそのものに感じられる究極のステージなのです。

 私がJOC理事に就任した折に記念パーティ開催のお話があり、初めは絶対反対だった鬼嫁でしたがアトラクションにエルヴィス・トリビュートショーを入れることを提案したら喜んで同意してくれました。

 主賓でご挨拶頂いた遅塚研一(現JOC名誉委員)様からは「パーティ好きの赤木さん(赤木恭平・当時全日本ボウリング協会会長)の企画ではなさそうでし、びっくりしたけど、面白かった」と感想を頂きました。中・高の同級生で友人代表としてユーモアあふれるスピーチをしてくれた拓植雅俊(元読売新聞社東京本社専務・あの結城和香子さんを無理やり運動部に配属させたのは私と自慢する?)君も「ユニークな楽しいパーティだったよ」といってくれました。賛否両論で当時は多数のご批判を頂きましたが、印象に残るパーティだったと自負しております。蛇足ですがその時のバンド・リーダーでギター担当の塩塚博君は今や駅発着メロ(JR・東京メトロ・京急等)の第一人者として鉄ちゃんファンだけでなく、レジェンドになりました。

 エルヴィスのおかげで、いろいろ楽しいことや、多くのお知り合いが増えました。これからも鬼嫁共々エルヴィスの伝道師として励んでまいります。なお実名を挙げさせていただいた皆様には、エルヴィスに免じてお許し下さいますよう宜しくお願い申し上げます。

(日本スポーツマンクラブ財団会報 第139号より掲載)

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