私は基本的に一人で食事をする方が気楽で好きだが、社会生活をしていれば、どうしたって他人と食事をする場面が出てくる。
それは友人とだったり、恋人とだったり、あるいは会社関係の人間まで様々だ。
そういう機会の時は、できるだけ食事を楽しみたいし、実りある会話をしたい。その共有する時間を有意義に過ごしたいと思う。
しかしながら、私は他人と食事をするときにどうしても気になってしまうことがある。
それは、左手をきちんとお皿やお椀に添えているかどうか、だ。
食事の際に、左手を(左利きの人は右手を)机の上に出してお皿やお椀に添えることは一般的なマナーとされている。私は子供の頃、親から本当にしつこく指導された。「左手!」という母親の言葉が今でも頭の脳裏に焼き付いている。
だから、たとえそれが職場の上司であったとしても、目の前で食事をしている人間がだらーんと机の下に左手を伸ばしていたりすると、気になってしまい食事どころではなくなってしまう。
食事マナー問題はデリケートである
しかし、この問題はデリケートな問題である。なぜなら、マナーの問題であるからだ。
「食事のときって、左手を添えた方がいいですよ」と指摘したら解決するという問題ではない。
彼らの家庭では、左手を添えることなど食事のマナーではなかったのだろう。その振る舞いを何ら問題ないものだと思って食事をしている。そんな背景の人間に、「あなたの食事の仕方、間違ってますよ」と言ったらどうなるだろう。間違いなく険悪な雰囲気になる。
個人的な経験で言うと、今まで何人もの左手だらーん星人に遭遇してきたが、指摘したのは本当に親しい一部の人のみに対してだ。指摘しなかった人たちの方が圧倒的に多い。私が指摘する場合は、本当に相手のためを思って、「それはマナー違反だから、他に行ったら恥ずかしいよ」と相手のためを想って言える場合に限る。
だが、そこまで関係性が熟成されていない場合(こちらの方が圧倒的に多いが)、指摘しないまま時間は過ぎていく。私は悶々としながら、味もろくに楽しめずに食事の時間を過ごすことになる。
そういった人に当たってしまった時は、指摘しても指摘しなくても、私にとっては非常に苦しい時間になってしまうのだ。
だから私は、食事のときに左手を添えない人とはできるだけ食事をしたくない。
ペチャペチャ食いも非常に不愉快
これと同様の食事マナーに、「口を開きながらペチャペチャ音をさせて食べる」という行為がある。
個人的な実感では、このマナー違反は「クチャラー」と揶揄され、徐々に市民権を得てきているように感じる。
正直言ってうんざりである。目の前でくちゃくちゃ音をさせて食べられると、食欲が完全に失せる。
「すみません、あなたの家庭ではどのようなしつけをして育てられたのですか」と親を問いただしたくなる。まさに「親の顔を見てみたい」という気持ちだ。
ペチャペチャペチャペチャペチャペチャペチャペチャよくもそんなに人を不快にさせることができるな、と思う。
行儀が悪いということをしつけてもらえなかった人たちはむしろ被害者
しかし、これらの問題の難しいところは、本人がそれを行儀が悪いと気づいていない部分にある。
前述の左手問題と同様に、きちんとした家庭であれば、子供の頃に注意を受け、矯正されていくはずである。今、それが直っていないということは、家庭でそういうしつけを受けてこなかったということだ。それは、本人に問題があるのだろうか。問題があるとすれば、親の方である。その行為を行儀が悪いと気づけない本人たちは、むしろ被害者だといえる。
我々が指摘してあげられればいいのだが、大人になって他人から間違いを指摘されるというのは、気分のいいものではない。しかも、そういった食事マナーを指摘されるというのは、相手の家庭を部分的に否定することと捉えられても仕方がない。
(こう言っている私自身にだって、気づいていないマナー違反があるかもしれない)
だからこそ、私は余計な衝突を避けるために、指摘はしない。相手がこの先どう思われようが、自分にとってそこまで重要ではないからだ。その時間だけ、私が不愉快に思うことを我慢すれば済む話である。
義務教育で食事マナーを教える必要性
この問題を考えているときに思ったのが、「義務教育では食事マナーを指導するべきでは?」ということである。
私が小中学生だった頃は、少なくとも「左手添え」や「ペチャペチャ食い」あるいは、「肘をつきながら食事」「立膝で食事」などの細かいマナーについて指導を受けた記憶はない。給食中に暴れまわったり、よほどのことがない限り、教師は注意をしなかった。
基本的に、こういったしつけは、各家庭でなされるものである。しかし今、共働きが主流になりつつある現代において、家族でゆっくり卓を囲んで食事が出来ている家庭はそれほど多くないのではないだろうか。
「孤食」という言葉さえ生まれている現代において、家庭において食事のマナーをしつける機会というのは、以前に比べ減っていることは間違いない。
「何でも学校に押し付けるな」と言われるかもしれない。しかし、私は義務教育のカリキュラムにおいて「倫理」と同等の扱いで「マナー」という授業を取り入れてほしいと思っている。行儀が悪いということを認識できない子供が、はっきり言って可哀想だ。
そうでもしなければ、家庭でそのような指導を受けられない子供たちは、一生恥をかくことになるのだから。