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本尊問題!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 7月17日(日)18時24分31秒
   なお、「本尊問題」の疑問が鳴り止みませんね。「本尊問題」は、ちょっとした表現が変な意味を持ちますから論じ難いテーマです。
 グリグリさん、ジョーカーさん、信濃町の人びとさんらは、この板の代表するような論客で、本尊問題についてはなかなか書けない面があるでしょう。少しでも話が飛躍すれば、そこを、内からも、外からも攻撃されます。しかし、早晩、問題中の問題として何らかの方向性を出さざるを得ないテーマです。わずかに、ジョーカーさんは「本尊問題」はいまは棚上げにした方がいい、またぐりぐりさんは「むしろ教学部がどのように論じてくるかを待ちたい」という趣旨の投稿をされています。

 ジョーカーさんの「棚上げに」というのは、会員の「残機」の問題があるからでしょう。「残機」は人を引っ張ります。理屈ではわかっても、なかなか「納得」とはならないものです。会員を苦しめる危惧があるからです。だから、時間をかける必要があります。

 その上で私見を述べさせて頂くならば、大聖人は、法門のうえで、「南無妙法蓮華経」乃至は「妙法蓮華経」のことしか言って見えません。「一念」とも表現できます。
 「本尊」に関しては、せっかくグリグリさんが観心本尊抄、開目抄を講義されて見えますから、それをご覧ありたい。生死一大事血脈抄、本尊問答抄もやはり「本尊」ですね。

 その本尊の「相藐(そうみょう)」ということでは、こんな仰せがあります。
 「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」(唱法華題目抄P12)

 「法華経八巻一巻一品」あるいは「題目」を「書いて」「本尊と定む可し」と仰せです。「法華経八巻」というのは「一部八巻」を指すのでしょう。「一巻」は、その中の第六巻に「寿量品第十六から法師功徳品第十九」が入っています。「一品」はもちろん、「寿量品第十六」と言っていいでしょう。やはり「南無妙法蓮華経」乃至は「妙法蓮華経」でいいのです。
 「たへたらん」と二度もあります。「南無妙法蓮華経」だけでもいいのです。「南無妙法蓮華経」ないしは「妙法蓮華経」で充分事足りるのです。

 あえて言えば、御本尊そのものが「南無妙法蓮華経」の全体なのです。「十界本有」です。その「南無妙法蓮華経」の中心にやはり「南無妙法蓮華経」がおわすという「相藐」です。生命は実に「階層」をなして存在するのです。
 そうして見てみると、「仏」というのは、三十二相八十種好の色相荘厳の「仏」でないことはもちろん、むしろ「完成体」と見た方がいいかもしれません。「完全体」ではなく調和する「完成体」です。完成体の地獄もあり、餓鬼もあり、畜生もあります。以前にも書きましたが、私たちの身体だって、臓器という「完成体」の集まりで出来上がっています。全身に血液を送る「菩薩」のような心臓もあれば、食べ物から栄養分を吸い取る、まるで「餓鬼」のような小腸の乳突起もあります。

 弘決六を引かれた御文がありましたね。
 「此の身の中に具さに天地に倣うことを知る頭の円(まど)かなるは天に象(かたど)り足の方なるは地に象(かたど)ると知り・身の内の空種(うつろ)なるは即ち是れ虚空なり腹の温かなるは春夏に法(のっ)とり=略=……」(三世諸仏総勘文教相廃立P567)と。
 声聞、縁覚の二乗がない、とのお話もありました。帝釈天と、大梵天にとどまる日寛上人の御形木本尊ですね。日達上人の御形木本尊にはありました。「舎利弗」は声聞です。「辟支仏」の縁覚は本来「独覚」です。独覚であっても「仏」ですから、意味として御本尊に集約されます。本尊雑乱の日寛上人の時代に略式の本尊が記されていますが、私たちの草創期もやはり、法道院所蔵でしたか、この日寛上人の御形木本尊で、たくさんの人が、一杯、功徳を受けてきました。

 また、悪名高き、あの日顕ちゃんが、結果的に重要なことを言っていましたね。
 あの「河辺メモ」です。

 53年2月7日 帝国ホテルでの面談らしいです。

 1、戒壇之御本尊の件
 戒壇の御本尊のは偽物である
 (種々の方法の筆跡鑑定の結果解った<字画鑑定>
 多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の
 御題目と花押を模写し、その他は時師か有師の
 頃の筆だ
 日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている
 1、Gは宛にならない
 人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の
 事ではGでは不可能だ
 1、Gは学会と手を切っても又二三年したら元に戻
 るだろう云う安易な考えを持っている

 ※日禅授与の本尊は、はじめは北山にあったが北山の
 誰かが売に出し、それを応師が何処かで発見して
 購入したもの)

 とのコメントがあったとのことです。

 日禅師とは日興上人のお弟子さんで、身延で大聖人に常随給仕されたとされます。日時師は南条家出身の第六代法主、日有師はやはり南条家出身の第九代法主、日寛師とともに中興の祖ともされています。日応師は第56代法主(1848年11月~ 1922年6月)。

 まぁ、見事に戒壇本尊を否定していてくれているではないですか(笑い)。
 「日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている」なんてことは、宗門関係者でも、ごくごく限られた人間でなければ確認できません。嘘八百を並べ立ててきた人間ですが、これだけは信用できます。なにせ、登座前に教学部長だったのですから(笑い)。
 すべての本尊の大元になると仰る本尊ですよ。それを法主自らが否定していた。法主否定の本尊、そしてその模写の御形木本尊に祈って、功徳が出ていた。

 ここが重要なのではないでしょうか。「生命の世紀」の本尊解釈のようなものが必要です。そうでなければ、説明しようがありません。説明できなくても、功徳は出ていました。意味と意味が結合する「意味連関」が違うのです。「捉え方」が違うのです。
 真筆か、真筆でないか、そこに事の本質はない、というのが私の見方です。日蓮大聖人信奉の私たちですから、あの力強い、躍動するような御本尊の方がいいと思うのは「人情」というものです。だが、あくまでも「人情」です。在世ならいざ知らず、そこにこだわり過ぎるのは、「信仰」の本質ではないのではないでしょうか。「信仰」は、「信じ」「仰ぐ」ことです。「帰命」や「南無」と同じことです。しかし、だがゆえに、その「信じ仰ぐ」ものを間違ってはいけない。

 小説・人間革命の中で、もったいない話ですがと、戸田先生が「御本尊」を「お金」に例えて話された場面がありましたね。何巻かは記憶にありません。「お金も、それをみんなが信用するから通用する」といった内容だったように記憶します。「信」が決め手です。「信」なくして「信仰」は成り立ちません。「本尊」と言っても、われわれ人間の現実の生活の場のことですから、別ものではないでしょう。否、現実に生きる場の根本のものですから、より精密度が求められます。
 要するに、「本尊」にあっては、その本尊に「信」が成り立つのか、成り立たないかのかが、最大重要事だと思うのです。さらに、ここでは詳細を省きますが、信仰として本尊が成り立つには、「仏」「法」「僧(=僧伽)」の「三宝」が決定的に重要事項でしょう。

 法華再演の「普賢菩薩」のような人ばかりですから、もうお気づきでしょうが、何のための宗教か。何のための「信心」か。「人間のため」の宗教、信心です。池田先生が何度も仰って下さいました。「南無妙法蓮華経」という「法」と一体になった「人間の側」に「御本尊」は存在するようです。

  御本尊が人間の側、つまり御本尊を信じる、その人の中にあると仰せは、有名な日女御前御返事にこうあります。
 「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり、十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つて曼陀羅とは申すなり、曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」(日女御前御返事P1244)。

 さらに、引き続いてこうも仰せです。
 「日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故によつて・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり・たのもし・たのもし、如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、穴賢・南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり、信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」(同)と。

 「信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす」です。やはり「信」です。ここから、「以信代慧」や「根本清浄」「久遠の仏」「久遠元初」へと、考察を進めることも可能なのですが、ここで止めたいと思います。

 最後に「法華経の智慧」に「南無妙法蓮華経」について、こんな箇所があります。

**************************

 名誉会長「釈尊の説法に『法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る』という言葉がある。法を体得すれば釈尊に会うことができ、釈尊に会えば法を悟れるという意味です。『我を見る』の『我』とは、根本的には『永遠の法』と一体となった『永遠の仏』です。=中略=

 釈尊が悟った『永遠の法』即『永遠の仏』は、あらゆる仏が悟った『永遠の生命』であった。過去・現在・未来のあらゆる仏は、ことごとく釈尊と同じく『久遠元初の仏』を師として悟ったのです。
 それが久遠元初の自受用身であり、南無妙法蓮華経如来です」(文庫本タイプ④P51)=中略=

 斉藤「この『永遠の法』とは南無妙法蓮華経であり、『永遠の仏』とは南無妙法蓮華経如来、すなわち久遠元初の自受用身のことですね」
 名誉会長「そうです。南無妙法蓮華経は法ではあるが、同時に仏身なのです。人法一箇です。ここが大事なところです。
 『法』といっても『人(仏)』を離れた法は『理』だけの存在です。実際には――『事』の上では――仏の智慧を離れた法というのはないのです」(同④P71~72)=中略=

 「我」と「久遠の仏」については、同じ④で次のようにも仰って見えます。
 名誉会長「(我実成仏より已の方の※註・筆者)我とは『法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり』(御書P753)と仰せだ」(同P214)
 名誉会長「宇宙全体が無始無終にわたって慈悲の活動を続ける大生命体なのです。その大生命を久遠の仏という。
 そして、十界の誰の生命も、この寿量品の仏と一体なのです。その本来の生命に帰るカギが信心です」(同P215)

**************************

 「その本来の生命に帰るカギが信心です」とされて見えるところが、とりわけ重要なのではないでしょうか。

 ※本尊問題への質問は、明らかな間違い以外は御遠慮申し上げます(笑い)。少し、時間を持った方がいいように思います。その人によって「残機」があります。20年30年、場合によっては40年、50年のスパンで見るべきかと。教学部も、このあたりは苦心しているはずです。



 

宮田幸一氏、「本尊認定権について」に付加文

 投稿者:極王道  投稿日:2016年 7月17日(日)18時16分12秒
  取り急ぎ添付します。
ご確認ください。

宮田幸一氏 論文サイトより
本尊認定権について(16.07.13付加)
http://hw001.spaaqs.ne.jp/miya33x/honzon-nintei.html
 

御本尊様、そして体感と記憶。

 投稿者:蘭夢  投稿日:2016年 7月17日(日)18時08分17秒
  この投稿は、文字として起こそうと思うのに、決断に実に1年近くかかりました。
なので、どうしても読みたい人以外は、スルーしてください。

信心の確信の弱い方は、すみませんが、この投稿に関しては読まないでください。

御本尊様に関わる内容であるため、ずっと胸にしまっておいたのですが
おそらく、これは僕にしか書けない内容であろうと思い、残しておくべきであると考えました。

僕にしか書けない、その理由は、草創期の御本尊様、日達上人書写の御本尊様
そして、大御本尊様、日顕の御本尊様、破門以降の日寛上人の御本尊様。
これら御本尊様に実際に祈り、拝した人間だからです。
恐らく、そのような人間は希少でしょう。

なるべく、記憶の限り、脚色せずに記載します。
僕という人間のフィルターを通したものであり、当時の僕が精神的に何か現実とは
違うものをみたのかも知れません。本当に妄想を見たのかも知れません。


①草創期の御本尊様
幼少の頃であり、御本尊様の相貌は覚えていないしわかりません。
ただ、記憶としてあるのは、後の日達上人書写の御本尊とは相貌が違っていたという記憶だけです。
文字が読めるわけでもなく、ただ、違うという記憶だけが残っています。

当時の想い出として、
両親の言葉では、僕は変わった子供だったようです。
まだ、言葉もあまりしゃべれないのに、座談会につれていくと、真っ先に一人で仏壇の前に、とことこと歩き
そして、数少ない覚えたばかりの言葉「南無妙法蓮華経」と三唱して、その後は両親のひざ元で、いつも寝ていたそうです。
他の子供達は、ぐずったり、泣き出したり、徘徊したり、目が離せなかったするものですが
確かに、普段は他の子と同じなのですが、不思議なことに座談会の時は、いつも寝ていて、まったく手がかからなかったと。

僕自身の記憶は、御本尊様というのは、親の匂いがして、温かくて、気持ちが良いものというイメージが残っています。
だから、仏壇の前にいくと眠くなったのだと、そう思います。

当時は、草創期なので、病人と貧乏人の集まりでした。
だから、「学会」という言葉は、差別の対象でした。
僕の記憶としても、ただ学会員というだけで、いじめられていたという記憶ばかりです。

安アパートに僕の家族、もう一家族、学会員が住んでいました。
子供達で遊んでいました。その中に、学会員の子供は二人、僕と、もう少しお姉ちゃんの子。
6人ぐらいで遊んでいたかと思います。
そんな時、アパートの管理人のおばちゃんが、「みんな、お腹すいたろ、おやつあげるから、おいで」
喜んで、おばちゃんの家に、みんな走りました。
「あんたらは、違う、呼んでいない。」
お姉ちゃんと僕と二人だけ押し戻され、おばちゃんは扉をぴしゃりと閉めました。
僕は、まだ、何も理解できませんでした。
ただ、お姉ちゃんが泣いていた。
そのことを母親に伝えると、僕を抱きかかえ、母は泣きました。
「ごめんね、ごめんね、こんなつらい想いさせて・・・」
泣きながら、お題目をあげ続ける母の後ろ姿が記憶に焼き付いています。

今では、想像できないかも知れません。ですが草創期とは、受難のどん底からの出発だったのです。

蛇足にはなりますが、僕は小学校では、先生に呼びつけられ、こんなことも言われました。
「お前んとこ、学会やねんてな、僕は共産党や、お前んとこの親にいうとけ、最後に勝つんは共産党や、学会なんかそのうち無くなってしまうんや」

少し本題からそれました。
その後、功徳をたくさんいただき、境涯革命し、父は日雇いから、会社の正式な社員になることができ
その安アパートを出て、社宅に住めるようになりました。

すばらしい御本尊様です。

ですが、ショッキングな事件が起こりました。
あれだけの功徳をいただき、体験もあるのに、酒乱とはいえ、
父があろうことか、お酒につぶれ正気を失い、御本尊様に手をかけて破り捨てたのです。

当時の記憶
殺される、そんな恐怖から、テーブルの下に隠れて丸まっていました。
父の顔は鬼のようで、目には赤い縦線のようなものが見えていた気がします。
そして、僕めがけて何かを投げつけてきました。
何だろう、お饅頭の紙のようなものが、くしゃくしゃに丸められていました。
その後の記憶は、ぷっつりと飛んでいるのですが、気が付いた時
家の中には、父の姿は無く、泣き崩れた母がいました。
そして、そう、母のお願いで、お饅頭の紙のようなものを拾い集めたんです。
母は、泣きながら、そのひとつひとつを丁寧に伸ばしました。
そしてそれをお題目をあげながら、合わせていったのです。
やがて、僕は、それが御本尊様であることに、やっと気づきました。
母は、そのボロボロの御本尊様をもって、幼い僕を連れて幹部のところへ指導を受けに行きました。
大変なことになった。仏罰で父は引き裂かれてバラバラになって死ぬかも知れない。

当時は、このように言われていました。
御本尊様を写真に撮ってはいけない。鏡に映してもいけない。罰が当たると。
御本尊にした不敬は、全て我が身に返る。

その後、正気を取り戻した父と共に一家で、お題目を死にもの狂いであげました。

父は、その後、事故など、引き裂かれてバラバラになることは無かった。
そして、今も健在である。

ウン十年の時を経て、今、冷静に見るならば
御本尊といえども、それは物体として見るならば紙であり、紙である限り人の手で破れば、破くことができてしまう。
どんなに功徳が出て、すごいのだけれども、紙であるという側面は変わらない。

そして、写真であるが、当時、ものすごく厳しく言われていた気がするのだが、
今、情報を知るにあたり、御本尊と戸田先生が写っている写真が存在するなど。
それが、ある時から、写真に撮らせてはいけないという意図的な指導であることがうかがわされる。


②日達上人書写の御本尊様
不敬したにも関わらず、両親の反省と、その唱題、活動によるものだろうか
数か月後には我が家に御本尊をお迎えしていた。
日達上人書写の御本尊様である。
一番、僕にとっても、家族にとっても、なじみのある。そして凄い御本尊様。
両親は、以前の御本尊様で功徳をいただいていたが、僕は幼過ぎてわからなかったが
この御本尊様に関しては、僕も祈り、功徳を体験している。
体験談は、この時期が一番多い気がするが、今回テーマは御本尊であるため、そこにフォーカスする。

この御本尊様に関しては、ある不思議な現象があり指導を受けた。

水分。乾燥なのか、御本尊様が中央の南無妙法蓮華経を中心として蒲鉾上に湾曲していた。
大切にしているのに、湿度か?
紙でできているから仕方がないのかも知れないが・・・御本尊様に申し訳ない。
悩んだすえの指導。

両親が最も信頼する古参の幹部に指導を受けた。

幹部は語った。
秘密だけれど・・・口外しないようにと、口止めした上で語った。

お題目がたくさんあがっている御本尊様というのは、このように厚みのあるような姿に変わるとのこと。

もしかしたら、不安に思い、心配している両親を安心させるための作り話かも知れない。
だけど、その指導の後、僕は、いつも御本尊様を確認しているが、いっぱい功徳をもらっている家とか
拠点の御本尊様は、確かに両端が少し曲がり、ペラペラの紙ではなく、何となく厚みがあるように
見えることに気が付いた。
そして、あまり活動していない家の御本尊様は、なぜかペラペラのいかにも紙のような御本尊様だった。

③大御本尊様
時系列でならべると、日達上人書写の御本尊様の時、登山を何回かしている。

小さい子供の時の記憶である。
なぜか、今でも不思議に覚えている。

登山会の列車の中で親にこんなことを尋ねた。
「どうして、大御本尊様のお山に近づくほど、みんなこわくなるの、なんで怒りっぽくなるの」
両親は、幼い僕の質問にこう答えた。
「大御本尊様に近づくとね、鏡みたいに、持っている汚い生命とかが全部、隠しているものが出てくるんだよ」
大御本尊様に近づいたら、生命が綺麗になると思っていた僕は、そうじゃないことに驚いた。

大石寺にて
大御本尊様の近くにずっといるお坊さんは、みんな優しい人だと思っていた。

だけど、僕は、3人くらいのお坊さんが話しているのを聞いた。
「学会のおかげで、最近は、あんな小さいガキまで登山してくる。五月蠅くてかなわん」
じっと見ていると
「こっちにくるな、あっち行け」
と怒られたことを覚えている。

僕みたいな子供は、本当は来ちゃいけないんだ。静かにしなくちゃだめなんだって思ったことを覚えている。

御開扉にて
扉が開くまでは、凄くドキドキしていた事を覚えている。
だけど、その後は、何かあると思って期待していたけれど、何も感じなかった。
あれ。おかしいな、何も感じない。なぜなぜ?

でも、お題目をあげていくなかで、感覚は少し変化し、終わる頃やっと家の御本尊様にお題目をあげているのと同じ感覚になった。
両親は凄かったよかったと話していた。大御本尊は、やっぱり違うと。
だが、僕の信心が足りないのだろうか、僕は、何も感じれなかった。

④日顕の御本尊様
我が家に特別御形木御本尊様を受けることとなった。

その時に、説明を受けた。

今までの御本尊様と違い、祈りお願いするものではなく
御形木御本尊様というのは、我々が御守りする御本尊様であると説明があった。

功徳も大きいが、罰も大きい。だから絶対に退転しないと思われるような強信者でなければ、
かえって功徳ではなく罰をもらってしまう。くれぐれも、より一層、信心を深めていくように。
この時点では、幹部説明にある通り、御本尊様には種類があり、違いがあることが、はっきりと学会内での常識だった。

ちなみに、当時、日顕は御法主日顕上人猊下であり、凄い方だとの認識で、まったく疑いなどなかった。
ただただ、有り難い血脈を受け継いだ御僧侶という認識である。
僕の認識は、外には先生という折伏の大将軍がいて、内には、日顕上人という、凄い方が護っておられ
それこそ、完璧な布陣。凄いなぁと思っていた。

日顕の御本尊様。

我が家に御本尊をお迎えした時。

初見の正直な感想

「うん? 御本尊様・・・だよね?」

両親、僕、共々、日顕書写の御本尊様に凄く違和感を感じた。

長年、見慣れた御本尊様と書写している人が違うわけだから文字が違うし仕方ない。
そのうち慣れるだろう。そう思っていた。
だが、どうもスッキリしない。

そんな中、僕はお題目をあげていた。
困ったものだ。早くこの違和感になれないと。
字が、南の字のところが角っていたのと、若干丸みがある。そんなちょっとした字の違いはある。
そんなことで、違和感を感じて、お題目があげにくくなるなんて
僕の信心も、まだまだなんだろう。
お題目不足だ。違和感が取れるまで、今日は時間あるしあげてみよう。
何時間か経過
だが、どうしても、違和感が取れない。
おかしい、いったい何だ、この違和感は。
やがて、違和感が何なのか、何に違和感を感じているのか
何が起こったのかは、よくわからない。
ただ記憶を羅列する。

鳥肌がたった。
見てはいけない恐ろしい何かを感じた。
何かは解らないが、嫌なもの悪意。
およそ、御本尊様には、あり得ない。
自分の底に眠る悪しき何かなのか、疑った。しかし、人ではないもっと大きな悪意を感じた。
降魔しなければならない。そう思った瞬間
青白い稲妻のような光を見た。瞬間、ブチっという音を感じ、目に激痛を覚えた。
再び、目を見開いた時。
何事もない平穏な仏間だった。

だが、再びお題目をあげはじめた時。違和感が無くなっていた。
その後、両親らも確認した。
そういえば、慣れたのかな、違和感なくなったね。良かったね。

自分の信心の歪みでもあったのだろうか、ただ、違和感は無くなった。
人に話すのは、うん、止めておこう。

その後、日達猊下の御本尊と、日顕の御本尊で違いを見つけた。
天台大師の上に、「南無」がついていた。日達猊下の御本尊には「南無」は無かった。
そして、こう結論した。
この文字の僅かな違いが違和感の元であったに違いない。
それが信仰対象であった御本尊様なので、無意識レベルでの過剰反応があったのだろう。

念のため、登山した際に、御本尊を見て回り、一か所だけ、まだ日達猊下の御本尊が残っていたので
しっかり確認した。確かに、違う。

この時、初めて、書写というものは、そっくり同じ文字を書くものではないことを知った。

今、思えば、既に、信心の目は、御本尊を見て、天魔を見破っていたことになる。


⑤現在の学会の御本尊様

宗門問題があり、日顕の御本尊様を返納した。そして新しく、日寛上人の御本尊様に変わった。
その後、僕は結婚し独立した。
我が家のは実家より少し小さい御本尊様だった。
ほどなくして、実家と同じサイズの御本尊様に変わった。

そして、現在に至る。

宿坊の掲示板と出会い。

そして、去年の夏頃だから、だいたい1年前くらいになるだろうか。
僕は体感した。

その頃、感謝、歓喜のお題目が特にあげられていた時期だった。
恥ずかしい限りだが、勤行の度、涙していた。
一週間のうち、半分以上の日が感謝の歓喜の涙を流しながらのお題目だった。
そんな時、気が付いた。
信じられないことに、僕は眼を閉じてお題目をあげていた。
眼を閉じているなんて、なんてことだ。
まったく信心、勤行の姿勢がなっていない。反省した。
でも、眠くないのにどうしても、気が付けば閉じていた。
あぁ、何という事だ。情けない。
必死に意識的に眼を閉じないようにお題目をあげるようにした。
そんな中、歓喜の涙を流しながらのお題目で、あぁ、先生の心が、大聖人の想いが・・・と
感極まっていた時、ふと、「今、眼を、まさか閉じていないよな」思考がよぎった。
でも、今、御本尊様は見えているんだが・・・
肉体に意識を戻すと、僕の肉体の眼は確かに閉じていた。
恐る恐る、眼を開けた。
御本尊様が視界に入る。
あれ?
眼を閉じる。
そこにも御本尊様が見える。
あれれれ?
しばらく、眼を閉じたり、開いたり。
そして、驚愕した。僕が祈っている御本尊様。眼前の御本尊様とそっくりだけど違う。
眼を閉じた時に見える御本尊様は、受ける印象がまるで違う。
神々しく、主題の文字は確かに同じだが、さらに強い生命力を感じる。
そして、驚くべきは相貌が違うのだ。
文字が多い。

不思議な体験をした僕は、我が家の御本尊をマジマジと見てみた。
そういえば、何か日達上人の御本尊と比べると文字の数が少ない。
この頃には、書写がどういうものかも知っていたので、驚くことはなかった。
やがて、声聞・縁覚の二界が無いことがわかった。

それにしても、眼を閉じた時に見た御本尊とは・・・・
ネットで、写真として見れる全ての御本尊の相貌を見てみた。
どれとも似ていない。
やはり、似ているといえば、我が家の御本尊。
それは、そうだ。ずっと我が家の御本尊を拝んでいたのだから。

その後、なぜ、声聞・縁覚の二界が無いのか納得した。

胸中の師匠の声が響く。
曼荼羅御本尊とは何であるか
眼を見開き眼前にあるは、始成正覚の御本尊なり。
正直捨方便
眼を閉じて、胸中に湧現しは、久遠実成の御本尊なり。
自我偈は、自より始まり、身で終わる。
自身のことを開き、解き顕わすをもって
胸中の久遠実成の御本尊、仏と我が身、不二なるを開く

この時、先師、日寛上人の意図がわかった気がした。
改めて、全てが慈悲の壮大な流れであることを感じた。

 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月17日(日)17時53分4秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-12-7 【新時代第2回本部幹部会】

 一、皆さん、この1年間、本当にご苦労さま!
 音楽隊の皆さんも、1年間、ありがとう!(大拍手)
 はじめに、音楽隊の皆さんに、次の和歌を贈りたい。
 ★音楽隊 広布に走る 一千万 同志の励まし 無量の演奏
 ★仏勅の 広布の士気の 音律は 凛々しく賑やか 大行進かな

 また、壮年部の友には、この2首を贈りたい。
 ★健康と 長寿の生命 大切に 壮んな年に 誉れ多かれ
 ★あな嬉し 君も健康  我もまた 無量に価値ある  人生飾れや

 婦人部の皆さまには、次の和歌を贈りたい。
 ★母の歌 母の曲あり  婦人部の  健気な菩薩を  皆が尊敬や
 ★健気にも  仏意仏勅 胸に秘め 笑顔の太陽  婦人部尊き

 最後に、青年部の諸君に3首を贈りたい。
 ★晴れわたる  広宣流布の  幹部会  君も勝ちたり  我も勝ちたり
 ★勝ちにけり この一年も  来る年も  断固と勝ち抜け 創価の健児は
  ★厳とした  勇気と正義の  信念の 青年部ありせば  未来は盤石
 皆さん、本当にありがとう!(大拍手)

●最前線の同志の奮闘ありてこそ
 「重ねて申し上げるが、この1年、本当にご苦労さまでした!(大拍手)
 会長や最高幹部といっても、自分たちだけて広宣流布を進めることはできない。
 会員の皆さんが真剣に戦ってくださったからこそ、世界広布は現実のものとなった。学会は世界一の団体になったのである。
 リーダーは、このことを絶対に忘れてはいけない。
 決して自分を「偉い」などと勘違いしてはならない。
 懸命な一婦人部員。生活に苦闘する一社年部員──そういう方々が戦い、動いてくださったからこそ、学会はここまで発展したのである。
 また、こうした庶民のなかにこそ、本当に強い信心の持ち主がいるのである。
 ともあれ、この1年も学会はすべての戦いに勝利し、広宣流布の大きな前進を成し遂げることができた。皆さまに、最大の感謝と御礼を申し上げたい(大拍手)。
 これからも、体を大事にしていただきたい。風邪をひかないように気をつけて、最高の新年を迎えていただきたい。
 そして新年になったら、男性は奥さんに対して、「奥さま、おめでとうこざいます! 今年も一生懸命、働きますのて、安心してください」と言ってはどうだろう。
 そう言える男性は偉い(笑い)。
 奥さんのほうは、ご主人に対して、「おめでとうございます! 本当に昨年は、お世話になりました。どうか、お体を大事にしてください。私も一生懸命、御祈念しています」と言ってあげる。
 そうすれば、うまくいくはずである(大笑い)。
 それを朝から「早く起きなさいよ! きょうは勤行さぽって、お題目三遍で終わり!?」などと言うから、ケンカになる(爆笑)。
 まあ、人生は「劇」だから、いろんなことがあっていいかもしれないが(大笑い)。
 ともあれ、来年も元気に進もう!
 人の批判ばかりしたり、威張ってツンとしていても損をするだけだ。それは愚かであり、人間として敗北の姿である。 明るく、朗らかで、元気な人にはかなわない。この人が「人生の王者」なのである。
 私たちは、日蓮大聖人に直結して進む。その功徳は無臭無辺である。諸天の加護も厳然である。すべて御書に仰せの通りだ。
 信心をやり切って、楽しい人生、愉快な人生、勝利の人生にならないわけがない。仏の境涯にならないわけがない。頑張ろう!〈会場から「ハイ!」と元気な返事が〉

●仏法の真髄は師弟の精神に
 一、青春時代、私は師匠である戸田先生のために、すべてを捧げた。
 戦後、戸田先生の事業は破綻し、莫大な負債を抱えた。すると、それまで先生を慕っていた多くの人間が、手のひらを返したように「戸田の馬鹿野郎!」「何だ、創価学会は!」と罵り、去っていった。
 そのなかで、私はただ一人、決然と先生についていったのである。
 人の心は怖い。私は自身の体験に照らして、よく知っている。
 当時、私はまだ20代。「これが師匠を裏切った姿か」と鋭く胸に焼き付けた。
 事業の破綻を聞きっけて、新聞記者がやって来た。また、負債の取り立ても厳しかった。本当に大変な状況だった。
 あの剛毅な先生が、極限の状況まで追い詰められていた。
 私自身も肺病で、体も若しかった。そのなかを命がけで戸田先生を守り、支えたのである。
 ついに、先生は、学会の理事長を辞任せざるを得なくなった。
 私は、先生におうかがいした。
 「先生が理事長を辞めの師匠は誰になるのでしょうか...」
 先生は言われた。
 「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
 私は誓った。
 すべてに打ち勝って、師匠である戸田先生に、必ず第2代の会長に就任していただくのだ。創価学会を、世界的な団体にするのだ──と。
 私は先生を守るために、大学も断念した。私財もなげうった。そうして、すべてを勝ち越えたのである。
 あの苦闘から半世紀。今、創価学会は世界一の大発展を続けている(大拍手)。
 これはすべて、私とともに幾多の大難を乗り越え、戦ってくださった皆さんのおかげである。
 戸田先生、そして牧口先生が、どれほどお喜びであろうか。
 お二人は国家権力によって、牢獄にたたき込まれた。あらゆる誹誘、中傷を浴びせられた。
 牧口先生のもとで、戸田先生は厳然と戦い抜いた。
 そして戸田先生のもとで、私は厳然と戦った。
 この闘争に、今日の学会の世界的な発展の因がある。これだけの闘争をしてきたからこそ、私は何も恐れない。
 一、先生は、私を最大に信頼し、そばに置いてくださった。私は、どこに行くにも先生と一緒だった。
 ある時は、突然、私に「皆さんに、いい歌を歌って差し上げなさい」と言われたこともあった。
 また、夜中に先生から電話がかかってくることもあった。妻がタクシーを探してくれて、私は飛ぶようにして先生のもとに駆けつけた。
 先生と私は「師弟不二」であった。
 戸田先生と牧口先生も同じである。
 戸田先生は牧口先生について、「あなたの慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださいました」とまで語っておられた。
 この「師弟の精神」にこそ、仏法の真髄がある。人生の真髄がある。
 これがあったからこそ、学会は勝ったのである(大拍手)。

●師恩を忘るな
 師への感謝と尊敬を、絶対に忘れてはならない。ここに、発展か衰退かの分かれ目がある。
 学会がここまで大発展したのも、牧口先生、戸田先生を讃え、敬ってきたからである。私は、この原理を厳然と実践し、確たる発展の軌道を築いてきた。
 この点を、よくよく深く銘記していただきたい。

●尊き戦友よ!
 一、きょうは、海外の17の国や地域から、SGIの尊き戦友が参加されている。
 寒いなか、日本に、本当にようこそ、おいでくださいました。
 皆で、大拍手を贈りたい。ありがとう! ありがとう!(大拍手)
 地球の反対側から48時間かけて来日された、ボリビアの婦人部の皆さま、ありがとう! また、おめでとう!(大拍手)
 さらに、南米・ベネズエラの皆さまも、遠いところ、本当にご苦労さま!(大拍手)
 海外から参加される同志のことを思えば、日本で近くの会合に行くのを「面倒だ」なんて、言っていられない。
 まして幹部でありながら、威張ってばかりで動かない人間は、だらしがない。どんどん新しい人に交代すべきである。
 悪い芽を摘まなければ、新しい芽は出ない。
もう1回、学会を引き締め、新しい人材を育ててまいりたい。

●社会の“先頭”に立つ学生部たれ
 一、きょうは大学会の代表をはじめ、学生部の皆さんはいるだろうか。
〈「ハイ!」と会場から元気な返事が〉
 青年が皆、元気だ。すごい学会である。何があっても大発展──こんな団体は、ほかにないだろう。
 東京の麻布公会堂で行われた学生部の結成大会の日、戸田先生は言われた。〈1957年(昭和32年)6月30日。来年が50周年〉
 「うれしいね。学生部は、私が、どうしても創りたかった組織だよ」
 創価学会は、折伏の使命を果たし抜く人々によって築かれてきた。いよいよ、社会で先頭に立つ学会人を育て始めよう!──そのための学生部の誕生であった。ゆえに先生は、「うれしいね」とおっしゃったのである。
あの笑顔を私は忘れない。

■ 一、ここに出席されている、アメリカのハサン壮年部長より、今朝、報告をいただいた。
 それは、明年の春より、ニューヨークの名門ホフストラ大学の授業において、「ガンジー・キング・イケダ──平和建設の遺産」というコースが新設されることになったとの知らせである(大拍手)。
 光栄なことに、マハトマ・ガンジー、またキング博士とともに、私たち創価の非暴力の平和闘争が、学問の対象としても、真撃に探究される時代に入った(大拍手)。
 私たちが、そういう道を歩んでいることに、皆さんは誇りを持っていただきたい。
 今、世界の知性が、我らの正しき行動、歴史、勝利の姿を見つめている。

■ 一、戸田先生は、総会の折、模範の健闘をされた同志の方々を、壇上に招かれて、讃えられた。
 「ここに並ばれた方々は、私が褒めるよりもさきに、大聖人様がお褒めになっているに間違いありません」
 「大聖人様はすごい御褒美をくださるでありましょう」
 「どうか皆さん、この方々に、拍手を贈ろうではありませんか」
 仏法の眼からみた場合、広布へ戦う会員の皆さんこそが、だれよりも偉い──そういうお話であった。
 これが、創価学会である。仏法の世界である。
 その一方で、先生は、壇上にいた傲慢な幹部に対して、「生意気な奴は出て行け!」と一喝された。
私は「この精神が大事なのだ」と胸に刻んだ。

●「信心強盛」こそ一年の計の根本
 一、昭和33年、『大白蓮華』の新年号において、戸田先生がご生涯の最後に執筆された年頭所感のタイトルは、何であったか。
 それは、「勇猛精進」である。その結びに、先生は叫ばれた。
 ―― 新春を迎えるにあたり、学会員の一人一人が、この決意も新たに、広宣流布の大道を勇猛精進せられんことを祈ってやまないものである。
 『一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ』の御聖訓を日夜誦して、今日よりも明日、今月よりも来月、今年よりも来年と、いよいよ信心強盛に励むことが一年の計の基本であり、一生の計の根本となるのだ。
 まず肚を決めよ! 決まったら勇ましく進め!」
 日寛上人は、この「勇猛精進」について、「依義判文抄」で、大要、次のような意義を紹介しておられる。
 「勇」とは、「勇んで行動すること」。
 「猛」とは、「智慧の限りを尽くすこと」。
 「精」とは、「一点の混じり気もないこと」。
 「進」とは、「間断なく前進すること」。
 この「戦う心」が、仏法の究極であり、仏の姿であると、よく戸田先生は訴えられた。
 その通り、私はやってきた。
 明年の「前進・勝利の年」は、この「勇猛精進」の大闘争心で勝ち進みたい。

●明年を勝利と 幸福の一年に
 一、この12月5日は、私が中国の周恩来総理とお会いして、満32年の日であった。
 この日を記念して、周総理の誉れの母校・南開大学では、若き英才の学生たちが勇み集って、新たに「周恩来・池田大作研究会」が発足したとうかがった(大拍手)。
 孔繁豊副学長をはじめ、多くの教授の方々も出席してくださって、記念の講演会が持たれた。
 「周総理と池田先生の平和友好の精神、人類共生の哲学を、21世紀はもとより、22世紀へも伝えていきたい」──そういう心で取り阻んでくださっている。
 周総理も、喜んでくださると思う。講演会の夜は、美しい満月が式典を見守っていた。
 周総理は、「闘争を堅持する人民の力はきわまることなく、つきることのないもの」と言った(森下修一訳『周恩来選集』中国書店)。
 闘争していけば、どんどん力が出る。戦いを止めたら、力が出なくなるものだ。
 そして最後に、周総理の「決して敵を恐れるな! 敵との闘争の中で、自分自身を鍛錬していくのだ」との言葉を紹介して、私のスピーチを終わりたい。
 明年が、皆さんにとって勝利の1年、幸福の1年になるよう、私は祈っている。
 皆さん方の幸福、学会の発展、皆さん方のご一家の繁栄、無事安穏、全同志の勝利を、妻とともに祈っている。
 よいお正月を、そして素晴らしい勝利の1年をお迎えください。
 心から、この1年間の感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。
また元気でお会いしましょう! 長時間、ありがとう。来年も勝利の1年を勝ち抜きましょう!
 本当に1年間、ありがとう。サンキュー・ソー・マッチ!(大拍手)

 

報道特集

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 7月17日(日)17時49分33秒
  土曜日の番組、小生もみました。出演された地区幹部の方の勇気に賛同します。

もしかして、宿坊の論客さまかも?
 

全集に掲載(一閻浮提総与の大御本尊)

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月17日(日)17時37分27秒
  『大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない』(平成5年9月16日 第一回アメリカSGI最高会議)
池田大作全集83巻 187頁
小冊子「創価のルネサンス(60)」59頁

割り込んだようですみません。
 

御本尊

 投稿者:飛翔こそ蘇生  投稿日:2016年 7月17日(日)17時02分4秒
  まずは日寛上人の御本尊の意義を確認してみる。

「気付かせるために二乗を書かなかった」
とするなら
「何を気付かせたかった?」
「なぜ二乗を書かない事がそれにつながるのか?」

蘭夢様の文によると
「己心の御本尊に気付かせるために」
「法華経と爾前経の違いを思い出させるため」
という事かと思いますが

私の視点からも少し考察してみようと思います。

五眼の法門において二乗の「慧眼」は「空」の悟りです。
「空」を見るためには「空」を知って体得する必要がある。

つまり、信じ祈る側に「空」の体感が無ければ
十界が揃う事の無い御本尊。

つまり
「空を体得せよ!
さすれば十界が揃い
己心に御本尊が湧現するなり」

そういうメッセージかと思います。

確信と革新の、すごい御本尊様だったんですね。

この日寛本尊と創価学会の
巡り合わせを必然とするなら

これはもう仏の意思
日蓮大聖人の意思以外の何ものでもない。

御本尊の問題を考えるには
全体性の生命の覚知が不可欠である。

久遠の仏の意思によって
全ては起こっているのである。

大御本尊が後世の造立だったとして
それが久遠の仏であるところの
日蓮大聖人の意思と関係がないなど
誰も証明できない。

生死一大事血脈によって
大御本尊は大御本尊たりえるのである。

いかに真筆の御本尊であっても
そこに生死一大事血脈の信心が無ければ
無益である。

しかもこれは
個人が決めることではなくて
全体性の生命の中で久遠の仏が決めるのである。

だから本物に出会えるかなんて
ある意味、運任せ縁任せであるが

もし疑いようのない実証が出ているのであれば
それは選び取れるよね。

逆の実証の場合も。

あるいは「仏眼」の全体性からであれば

それこそ「開眼」を行うことは可能化もしれないけどね。

まぁ、なるようになりますよ。
 

わが友に贈る 2016年7月17日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 7月17日(日)16時50分21秒
  会場提供の皆様に
最大の感謝と御礼を!
宝城ありて広布あり。
皆で大切に守り
地域に信頼を広げよう!
 

御本尊について⑬

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 7月17日(日)16時40分2秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

原田会長を中心とした集団合議制によって御本尊様に対する姿勢が間違った方向へ進んでいます。

以前から「御本尊について・ご本尊様について」で継続して書き込みをさせていただいているのも、信仰者にとって御本尊様に対する姿勢は一番重要なことだからです。

昨今は、竹岡全国男子部長の父上が新たな認定本尊について蠢いていたとの情報があります。
また第一次宗門問題で活動した北林氏も竹岡男子部長の父上と行動していたのでは?との情報があります。
事の真偽は別として大切な視点が抜け落ちた議論が散見されますので再度、お示しします。

池田先生が公の場で指揮を取られていた時に世界へ流布する御本尊は以下の通りです。

「三大秘法の大御本尊」を「日寛上人」が「書写」した「御形木御本尊」

このことに異論がある方はいないと承知しています。

しかし原田会長は池田先生の御指導にないことを発表しました。
それは御本尊様に対する姿勢で明確です。
それをまとめると以下の通りです。

①三大秘法の大御本尊を受持の対象外にする。

②南無妙法蓮華経の御本尊は全て等しく御本尊とする。

③御本尊を創価学会が新たに認定する。

結論から申し上げるとどれも邪義です。
何故なら池田先生は「三大秘法の大御本尊」を「日寛上人」が「書写」した「御形木御本尊」を世界に流布すると結論されているからです。

原田会長は池田先生の一番弟子と名乗るのであれば、池田先生の御指導通りの御本尊様に対する姿勢に戻すべきです。

大石寺の板本尊が日蓮大聖人が御自身で顕したとか?
そうではなく後世に誰かが造立したのか?
この議論は私達にとっては無用です。

何度も書きますが、私達の師匠である池田先生が「三大秘法の大御本尊」を「日寛上人」が「書写」した「御形木御本尊」を世界に流布すると御指導されているからです。

私達はこの御指導通りに弘教することが弟子の道です。

もしも、原田会長と集団合議制の大幹部に池田先生「も」
大石寺の板本尊が後世の造立と言うことを知らなかったのではないか?
そうであるならば我ら(原田会長)が正しく御本尊を認定しなくてはならないなどと思っているならば、これは大きな間違いです。

「師匠は知らなかった」
こう思った弟子が師匠の仏法を邪義まみれにした事例は皆様もご承知の日本天台宗です。
伝教大師滅後に弟子達が「師匠は密教について知らなかった」と考え密教を取り入れていって邪義まみれにしたことは、日蓮大聖人が御書で何度も取り上げられています。

「師匠は知らなかった」
「師匠は知らなかった」

なんと浅はかでおぞましい考えなんでしょう。

創価学会職員、外郭職員の方は原田会長に聞いて下さい。
なぜ池田先生が御指導されていない御本尊様に対する姿勢を発表したのですか?と。
 

はい、直接は関係ないです

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月17日(日)16時20分53秒
  >内得信仰かどうか、あまり関係ないのではと思います。<

直接は関係ないです。
組織を信じることが功徳に繋がったのは、池田先生が悪い幹部の影響が会員にいかないよう「配慮」していたから成立した方便なんです。
すでに池田先生は後継に全てを託したいまは、池田先生が「配慮」していた部分が、いまはなくなってるから会員にモロにきてるんです。
それゆえこれまでは組織を信じてもよかった方便が、今は成立しなくなってるんです。
いえ、会員はもう自立していけるはずと期待できたからできたことでしょう。

本来は御本尊様を信じてる「同士」の集まりが『同志』なんですね。
池田先生は、具体的にどのように御本尊様を信じたらいいのか、また行動したらいいかというための「師匠」なんです。
会員が本来の信仰の姿で自立できるよう、これまで「配慮」してこられたのですね。
なんとありがたいことでしょう。
またなんと理不尽と戦ってこられたことでしょうか。
全て後継のためなんです。

いまちょうど無冠さんが掲載していってるところですが、プラスになるところをどんどん吸収していって人生の糧にしてね(^^)

池田先生にとっては、人生の主役は会員自身なんです!(^^)/

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

平和憲法を否定する市川雄一氏

 投稿者:ラカニエンヌ  投稿日:2016年 7月17日(日)16時14分45秒
  市川雄一氏は、日本が戦後平和を享受し得たのは米国との密接な同盟が抑止力になつたからであり、必ずしも平和憲法の存在故ではないと断言していたのだが、出典を忘れました。
 

報道特集 私たちの平和憲法

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 7月17日(日)16時06分18秒
  八尋ひろし様の情報により、youtubeで見ました。とうとうテレビで放送されましたね。凄い。どなたか宿坊にアップして下さい。(壮年部と婦人部の話もあり)


 

偽造?造立・建立? どれが正しい言い方か・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 7月17日(日)15時14分55秒
  戒壇の大御本尊様は偽造でなく、大聖人様から付属を受けた。つまり、広宣流布を託された日興上人が信徒のため、
大聖人直筆本尊から慎重にご一体を選び、板本尊に造立・建立したと考えるのが正しい言い方ではないでしょうか。

偽造という言葉は全くの魂のない・偽(にせもの)になってしまいます。

元のご本尊は大聖人様の魂を墨に染め流してお書きになられた直筆です。
偽造という言葉は適当な言い方ではないでしょう。

日興上人様は大聖人様より付属を受け、末法万年・尽未来の広宣流布のため、
皆が集って参拝する戒壇の大御本尊様をご直筆から板御本尊を造立、建立されたと考えるべきだと思います。


生涯広布ペンギン
 

ひかり様

 投稿者:優美子  投稿日:2016年 7月17日(日)15時04分49秒
  有難うございます。
…勇気が 沸いてきました。
嬉しくなってきました!
安心できました。
 

言葉は選んでね

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月17日(日)14時59分13秒
  偽造という言葉は、まずいでしょう。

その言葉は「造立」にすべきです。

そぐわない言葉は、不信のもとですよ。
 

優美子さま

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月17日(日)14時48分26秒
  都内に住む友人をずっと折伏してきました。

題目を1時間ほどあげると、「ああ、すっきりしたー」と言う彼女。

日がな一日、悩みに押しつぶされ、眠った気がしない毎日。
しかし、題目を一緒にに唱えていると、命の軸が一本通る感じがすると、夢中で唱題。

彼女は、DVで心身ぼろぼろ、家も仕事も失い、さまよっていました。
スーパー銭湯の休憩室と、車検が切れそうな車の中で生活していました。

その彼女が、紆余曲折し、仕事がブラックだったり、二転三転のドラマでしたが、
今一部上場の会社の正社員として働いています。

題目の功徳だけは、これは絶対で、間違いないです。
内得信仰かどうか、あまり関係ないのではと思います。
 

時代錯誤

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 7月17日(日)14時23分50秒
編集済
  都議会都連の時代錯誤の御触れに自民、公明からも反発し、小池氏を応援する人が出て来ているとネットニュース


原田執行部の為の選挙?
煽られるまま、手弁当で動き回った会員
大勝利の喜びに包まれている人は、いるのだろうか?
燃え尽き症候群?
ペンペン草も生えない組織になっていませんか?

折伏戦は動けば動くほど、歓喜が溢れていく
選挙はどんなに理屈をつけても所詮、権力闘争
権力闘争故に、勝つことも大事だが、もっと無理無駄を無くす戦いにしないと会員が消耗するだけ

先生のお心
「会員に過剰な負担をかけない
   学会が損をしない」

この基準に沿った戦いを望みます

学会もいつまでも時代錯誤のことばかりしていると会員から反発されます

え?
執行部が老人ばかりなので、時代錯誤であることにさえ、気がつかないって? (笑)
それでは、壇上を総入れ替えするしかない

下半期は新会長の元、民衆救済、会員の幸福の安全地帯となる学会の新出発を望みます
 

グリーにも掲示させてください

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月17日(日)13時55分20秒
  グリーでは今のところ僕がほんの少しばかり話してるぐらいです。

どうやらボチボチ疑問と不満が出始めています。
そろそろグリーも「時期」に至ったと判断します。

具体的にどうするか頭を悩ませていましたが、学会員さんは池田先生を信じてるのはあるので、無冠さんの出してる内容より、ショックを与えすぎない範囲から掲示しようと思います。
組織不信が信心不信に直結しやすいですから程度も考慮する必要がありますから。
池田先生の言葉そのものなら、まだショックは和らぐでしょうから。

よろしくお願い致します。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

題目

 投稿者:優美子  投稿日:2016年 7月17日(日)13時43分28秒
  胸中題目でも 十分に功徳が あるのですね。  

別問題

 投稿者:ヨッシー  投稿日:2016年 7月17日(日)13時04分17秒
  「偽物」という考えはやめた方が良い。
大聖人の直書か否かということと、ご本尊として本物か偽物かということは、別問題です。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月17日(日)12時54分1秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-11-10 【新時代第1回 本部幹部会・東京総会・東京青年部総会】

●全員が会長 全員が一兵卒
 一、まず、新しい出発にあたって、一言申し上げたい。
 仏法の世界は「異体同心」である。本来、信心には、上も下もない。会長、理事長といっても、あくまで組織の運営上の立場にすぎない。
 全員が「会長」の自覚と誇りで進む。全員が、「広宣流布の一兵卒」として働く。
 これが永遠の創価の魂である。
 その意味から、原田新会長には、「誠実の二字で会員に尽くせ」と申し上げたい。
 秋谷前会長(最高指導会議議長)には「今までのご恩返しのために、これからも広宣流布のために、不惜身命で戦え!」と申し上げたい。
 正木理事長。創価学園・創価大学出身の第1号の最高幹部になった君には、「『創価の伝統』の光彩を放った歴史をつくり始めよ」と申し上げておきたい(大拍手)。

   美しき
 富士の山あり
         創価には
     使命と勝利の
     不二の山あり

 この歌を、同志の皆さまにお贈り申し上げます(大拍手)。

●三代で決まった
 一、大勢の同志の方々の力によって、学会は、隆々(りゅうりゅう)たる大発展を遂げた。悠々たる前進の姿となった。
 この偉大な同志の方々に、まじめに、真剣に、誠実に尽くすのが、会長はじめ、幹部の使命である。
 仮にも、威張るなど、もってのほかである。幹部は、会員に奉仕する立場である。
 そして、広宣流布のために、本当に苦労されたのは、初代・牧口先生と2代・戸田先生である。
 お二人の遺志を継いで、3代の私が、創価学会の大発展を決したのである(大拍手)。私自身のことではあるが、未来のために、あえて申し上げておきたい。
 創価の三代には、厳然たる師弟のつながりがある。永久に、これを忘れてはならない。

■ 折伏にせよ、新聞の拡大にせよ、一生懸命にやってくださるのは、いつも婦人部、女子部である。
 それを当たり前と思い、上から命令するような人間がいるならば、とんでもない間違いである。だれにも、そんな権限はない。
 「やらせる」のではない。「やっていただく」のである。
 頑張った同志の方々を「ありがとう! 」「ご苦労さま! 」と、ひざまずく思いで讃える。
 これこそ、幹部のあるべき姿と知っていただきたい。

■ 一、高山樗牛の言葉に触れたい。
 「心の清きものは偽善を悪(にく)まざるを得ず、人の正しきを好むものは不義を憤(いきどお)らざるを得ず」(『樗牛全集第4巻』博文館。現代表記に改め、読みやすくした)
 偽善を憎まないものは、同じく偽善である。
 不義に怒り、不義と戦ってこそ、正義である ── このように戸田先生もよく言われていた。これが学会精神である。

●一歩でも前へ! それが「創価」
 一、樗牛はまた、次の有名な言葉を記している。
 「己れの立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらん」(『樗牛全集第4巻』)
 “足下(そっか)を掘れ、そこに泉あり”私の好きな言葉である。
 大事なのは足元である。自分がなすべきことから断じて逃げないことだ。地道に粘り強く挑戦することだ。
 私は、若き後継の皆さんに申し上げたい。
 「今いるところで、使命の花を咲かせゆけ! 断じて勝利の歴史を開きゆけ! 」と。
 さらに樗牛は言う。
 「人間は単に生存するものに非ずして、発達せんがために生存する」(同)
 「発達する」とは、「成長する」ことである。「力を持つ」ことである。「勝利する」ことである。「価値を生んでいく」ことである。
 いかなる困難があろうとも、じっと耐え抜いて、負けない。そして、一歩また一歩と、勝利の方向へ、希望の方向へ、幸福の方向へと進んでいく。生きて生きて生き抜いていくそれが価値の創造である。我ら「創価」の人生である。

 一、戸田先生の折々のご指導を紹介したい。
 「時代の主役は、老年ではない。時代は、青年によって一切が決定される」
 これが戸田先生の大確信であられた。
 私も青年であった。
 19歳の平凡な青年が、偉大なる師匠にめぐり会い、徹底的に訓練を受けて、32歳で会長になり、ここまで学会を築き上げてきたのである。
 牧口先生も、戸田先生も、意気揚々と胸を張って、「さすが、わが弟子よ! 」「わが弟子は勝った! 」と霊山で讃えてくださっていることは、間違いない(大拍手)。
 牧口先生の「真の弟子」は、戸田先生であった。
 戸田先生の「真の弟子」は私である。
 この三代の師弟が盤石(ばんじゃく)であったから、学会は栄えてきたのである。
 仏法は弟子で決まる。
 「弟子の勝利」こそ、「師弟の勝利」である。弟子が勝ってこそ、勝ち続けてこそ、万代に輝く創価の時代が豁然(かつぜん)と開かれていくのだ。
 その一点を絶対に忘れてはいけない。

■ 一、戸田先生は、ある女性に対して、こう指導しておられた。
 「あなたは平凡な女性かもしれないが“大法”を持っていることは大変なことである。妙法を持ち、人々に教えながら、広宣流布に生きゆく人生を送っていることは、最高の女性の生き方である」
 男性のリーダーは、健気に戦ってくださる婦人部、女子部の皆さんを最大に尊敬し、大切にしていただきたい。
 万が一にも下に見たり、横柄な態度で接するようなことがあってはならない。
 学会のリーダーは、こうした人間性や道理を、だれよりも大事にしていただきたい。

●友のために!
 一、戸田先生は言われた。
 「幹部の責任は、会員を幸福にすることにある。それ以外には、何もない。創価学会の会長は、全会員を幸福にするためにいる」
 威張るために幹部がいるのではない。
 皆を幸福にするために、幹部がいるのだ。
 それを、ただ「やれ、やれ」と言って、皆に命令し、威張る ── そんな人間は、絶対に許してはならない。
 会員の幸福を自分のこと以上に考え、祈って祈って、祈り抜く。「あの人の指導を受けてよかった。幸せになった」といわれるような存在になる。それが本当のリーダーである。
 だれよりも同志のために尽くし抜くのが、学会の会長なのである。
 これが戸田先生の教えである。

 一、きょうは、新たな出発の日である。
 戸田先生は、ある組織の新出発に寄せて、次のように語った。
 「(前任者の)あとを踏襲(とうしゅう)するというだけでなく、みんなの団結で新しいものをつくっていってもらいたい」
 大事なご指導である。
 また、「どうすれば人材になれるか」との青年の質問に対して、先生はこう答えておられた。
 「今は時代が違うから私のように牢屋に入らなくてもいいが、広宣流布のために骨身を惜しまず戦うことだ」
 戸田先生は信仰のために牢に入られた。今は、その必要はない。大事なことは「骨身を惜しまず」である。最高幹部が「骨身を惜しんで」、皆にやらせるようになったら大変である。
 私は戸田先生のおっしゃる通りに、厳然たる学会をつくりあげた。尊き同志の皆さまとともに、戦い抜いてきた。
 その精神がだんだんと薄らいできたら、学会は危ない。
 将来のために、あえて言い残しておきたい。

 一、戸田先生は、学会出身の議員に対しておっしゃっていた。
 「いかなる立場になろうとも、つつましい生活を忘れるな」
 この指導に反して堕落した人間を許してはならない。
 また、戸田先生は書われていた。
 「だれしも苦労は避けたいものだ。しかし、この世に何も残そうとせず、ただ自分だけで拝み、静かに死後の成仏を願い待つような信心は、大聖人の仏法ではない」
 広宣流布のために、学会とともに、戦おう! 〈会場から「ハイ!」と力強い返事が〉
 この「戦う心」に、大聖人の仏法は生きている。大聖人も喜んでくださるのである。

●百年の功も一言で破れる
 一、さらに、昭和32年11月18日の日記には、次のように綴った。
 「先生の力で、われらはこれまで育つ。
 先生の力で、妙法の境涯を開く。
 先生の力で、われらの力は発揮できた。
 先生の師恩は、山よりも高し。海よりも深し。
 忘れじ、われは。
 偉大なる師の歴史を世界に示さん。
 誓う、堅く」
 この誓いの通り、私はやってきた(大拍手)。
 学会の幹部の中でも、特に会長職は、捨て身で、皆のために犠牲になるためにある。その覚悟で私は生きてきた。
 戸田先生は幹部に対して厳しく言われた。
 「臆病で、足手まといになるような存在ではいけない。お世辞を使ってもらえば、何とか活動する ── それでは、死身弘法ではない。
 広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これが地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」
 臆病者は、出て行け! ── これが戸田先生の叫びであった。
 御書を拝したい。
 「千年間もたった苅茅(かるかや)も一時に灰となってしまい、百年の功も一言でやぶれるということは、物事の道理である」(1091ページ、通解)
 いざという時に、退転してはならない。
 また、「正法誹謗の者に親しみ近づくならば、仏法を修行して得たところの善根は、ことごとく滅して、誹謗の者とともに地獄に堕ちるであろう」(同1374ページ、通解)との御聖訓もある。
 たとえ、かたちは信心していても、正法誹謗をする人間はいる。
 謗法を犯せば、せっかくの善根も消えてしまうのである。

●三代の魂を貫け
 一、日本には、中国から多くの思想や文化が伝わってきた。
 その中国では、「三」を「万物を生み出す原点」ととらえる考え方がある。
 〈12世紀の中国の思想家・程大昌(ていだいしょう)は、「『一』をもって『始まり』となし、『二』をもって『継承』となし、『三』をもって『完成』となす。そして万物が、よどみなく生み出されていくのだ」と論じている〉
 創価学会も、初代が創立し、2代が受け継いで発展させ、第3代が完成させた(大拍手)。
 このことは、一流の学者の方々も、指摘してくださっている。
 殉教の師・牧口先生のお名前は「常三郎」。
 常に三代とともに! 三代が盤石であれば、学会は永遠である ── こういう意義にも通じると、戸田先生が語ってくださったことがある。
 「三代の師弟」を原点とする限り、創価学会は、万代にわたって発展していく。勝利、勝利を続けていくことができる。
 こう申し上げ、記念のスピーチとしたい。長時間、ありがとう!(大拍手)
 とくに海外の方々、本当にありがとうございます。
 ご苦労さまです。
 また、お会いしよう! (大拍手)

 

蘭夢さんの…

 投稿者:優美子  投稿日:2016年 7月17日(日)12時44分28秒
  私も 衝撃的でした!そして 妄想とはいえ、これで 奥深くあった モヤモヤは スッキリし、再び 日々 信行学に 邁進していく決意に定まりました。
なかなか 組織活動には なじめず(内部同志の 悪口が多く汗)役職も お断りしてきましたが 私の考え方で 間違ってはいなかったことを 思っています。
はい 妄想なのは 承知しております。(^_^;)
先生の ミスを含め、それらをカバーする事柄は 民衆の幸せの為であることには 違いないのですね
 

しっこうぶ(^○^)

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治メール  投稿日:2016年 7月17日(日)12時38分22秒
  信濃町の執行部。人材コンサル会社なんか使ってないで先生のご指導守れ(*`Д´)ノ!!!

お前らの冷酷なやり方は時代に逆行しているぞ!

仏法の因果を恐れない金の亡者の大馬鹿が・・・・を
 

地球(テラ)へ…

 投稿者:SaySaySay  投稿日:2016年 7月17日(日)11時10分48秒
  サンダーバード様
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52115
>SaySaySayさんの考え、戸田先生の考え、と言うか法則ですよね<
→おっしゃる通りです。ある種、ドライに語っています。

>美しい地球が汚い地球になっちゃってるから、地球が怒って人間を懲らしめるためにやっているのか、と思うこともあります<
→同感です! 私もそう思います。

>ただ、仏や神が気づきをもたらすためにやっているとは思いません<
→同感です! 私もそう思います。
私の地域では、どうも何事も情緒的に語られることが多く、逆に私は少しドライに法則的な部分を強調して語るようにしています。

『法華経の智慧 第一巻』(初版単行本P41)「生命がキーワードの時代へ」で池田先生がこう言われていたことが、私には、印象強く残っています。
「『法』というと、法則とか現象とか、非人格的な面になる。“それだけだと、あまり温かみはない。”本来、『仏』も『法』も別々のものではない。『生命』といった場合には、その両面が含まれる」

よく「仏意」などと言われるのは、法則という一面(中諦)だけで語られると(ドライで)冷たく感じるので、温かみ、人間味を感じさせようとココロ的な一面(空諦)を示されるのかと、それがいわゆる「法華経の智慧」なのかと感じています。
実際には「仏や神が気づきをもたらすためにやっている」わけではなく、法則が働いているだけだと思います。
が、「そのように“受け留める”」方が、温かく人間の心を動かしやすく、「価値創造」しやすいので、ファンタジックにそんな表現をされるのかと思います。
ただこんな表現が、池田先生とは別で、下手な患部らが言うと、わざとらしくて、かえって気分が冷めてしまうことが多いですねぇ……。

飛翔こそ蘇生さんが言われていた、
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52080
>法とは言っても結局何のためかと問い、人の振る舞いに帰結するのが良いと思います<
>主師親の三徳として自然に振る舞える人間の完成のためと思います<
ということは、それと通じるのかと感じます。

>それには螺髪様の言う「南無」の心が大切ですね<
には、私も同感です。いつも勉強になります。ありがとうございます。
 

再掲ね~ 松山副会長、石橋総区長 これどうしたの?

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月17日(日)10時29分47秒
  告発の行方は?【続々・中野の現状レポート2】  投稿者:八尋みのる
投稿日:2016年 6月 9日(木)11時58分7秒   通報 編集済
ギまんだらけ さん の告発内容もひどいねー
中野区の松山副会長と石橋総区長はどうしたのかな?

だんまりを決め込んでー
逃げてるってことかな?  ほかに理由はないよね?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
投稿者:ギまんだらけ

>中野はいったいどうなってしまったのか?私のいた頃の
中野とは変わってしまったとしか思えません。現状を憂
うメンバーもたくさんいるのに強権的に押さえつけてい
るとの話も漏れ伝わってきております。一日も早く正常
化してもらいたいと遠い地から願っております。<

http://6027.teacup.com/situation/bbs/48426

◆◇◆

【続々・中野の現状レポート1   投稿者:ギまんだらけ】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48425

◆◇◆

これ問題だろう!【一般会員処分はデタラメについて】
http://6027.teacup.com/situation/bbs/48654
 

動物愛護

 投稿者:杉本彩  投稿日:2016年 7月17日(日)10時17分23秒
  動物愛護に力を入れられてい杉本彩さんを応援してます!!  

虹と創価家族様

 投稿者:くぼたてつ栃木の仏敵退治メール  投稿日:2016年 7月17日(日)09時50分54秒
  おはようございます。そしてこちらの板で執行部に勇気ある言論戦をされている皆さまm(._.)mおはようございます。

虹と創価家族様の言われている通りです。アメリカのオバマ大統領が核兵器を無くそうと歴史的な演説したのに逆戻りさせようとしている安倍総理や現内閣、日本会議と執行部。バカとしか言いようがないですね

軍備を増やしていけば抑止力に繋がると思っているのか?考えが幼稚ですよね!

信濃町の執行部のクズどもと奴等に何も言えない公明党も与同罪だ\(^o^)/

秋谷、八尋、谷川、原田、ひろし、奴等に連なる与同罪の皆さん\(^o^)/地獄行き決定だよ(^o^)v
 

イケディアンの住人さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月17日(日)09時45分51秒
  おつかれさまです(^^)
知識不足・情報不足の僕には重要なツールとなりそうです。
ありがとう!(^^)/

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

MY24索引集訂正

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月17日(日)09時24分27秒
  ご迷惑をおかけしました。

チェックの上、全頁がそろっていることを確認しました。

http://firestorage.jp/download/d887f77c2cd3cb06077f8c4771e029b08ac010e2
ダウンロードパスワード qz35jgrt

本日から7日間ダウンロード可能です。
 

ラブ・ユー・貧乏

 投稿者:八風  投稿日:2016年 7月17日(日)09時20分47秒
  学界の執行部に聞かせたいね。涙の貧乏?あんたたちだけは裕福にぶくぶくと太ってるわ!
学界庶民は財務貧乏、支援貧乏、マイ聖教貧乏、時間貧乏・・貧乏だらけだね(笑い)
↓こんなもの見つけた。
https://youtu.be/WEw2xGOxGas
 

虹と創価家族さんへ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月17日(日)09時11分17秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/52125
権力を恐れ迎合する四人組   投稿者:虹と創価家族   投稿日:2016年 7月17日(日)05時35分47秒

このコメントを僕のブログで紹介させて頂いてよろしいでしょうか?

こんな重要すぎることを、この掲示板だけに留まらせるべきではないと感じます。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

ひとりひとりに仏の生命

 投稿者:幸せな人  投稿日:2016年 7月17日(日)08時30分59秒
  折伏やったこと無い人、お題目あげ無い人が幹部やったらいけないのでは?

わたしのイメージでは責任者ならばかっこつけずに常に移動中でも人前でも、この世から不幸と悲惨をなくすため、お題目をあげつづける人がなってほしいです。

一人のひとのこころの痛み、大切さがわかるのでしょうか??

本当は自分の方が先生の心をわからないのに、先生の慈悲で学会に居られるのに、先生の心がわかる人を粛清。

そんなことありえるのでしょうか?




 

権力を恐れ迎合する四人組

 投稿者:虹と創価家族  投稿日:2016年 7月17日(日)05時35分47秒
編集済
  これが四人組の舵取りの結果だ。
支援決定した学会本部が、このまま沈黙するなら与同となる。

>「核の傘」弱体化への懸念から反対論が根強く、米側に協議を申し入れていることが15日、分かった。(共同通信2016/7/15)<
http://this.kiji.is/126637236525154306

「核の傘」弱体化への懸念。
これは、核の抑止力に依存する姿。

「原水爆禁止宣言」 に照らして、今の与党を思索せよ!!
オバマ大統領の英断を邪魔するのは、まさにサタンの使いではないか!

「同志である公明党の議員を信じろ」
信じて公明党に投票した結果がこれだ。

選挙が終わったとたん、戸田先生の原水爆禁止宣言に泥を塗った。
公明党の裏切りではないか!

安保法制が1度目の裏切りなら、これは明らかな2度目の裏切り。

安保法制で疑義を持ちながらも、公明党を信じ投票した学会員の気持ちを裏切った。
これでは、また学会員の公明党離れが増えてしまう。

公明党は核兵器の歯止めをできないどころか、推進しているとさえ見られてしまう。
その非難が、支援決定した創価学会、いや池田先生に来るのを懸念する。

トインビー対談と同じように、「原水爆禁止宣言は過去のもの」と言い訳が始まりそうだ。
現場会員の信心が更に崩れてゆく。

原因は、信仰と政治を立て分けないで指揮をとった学会本部の責任。
その根本原因が四人組にあるのは言うまでもない。

PS
7月16日 立正安国論ご提出
7月17日 大阪大会

権力との戦いを忘れるなら、そこに日蓮仏法の魂はない。

~~~~~~~~~~~~

【公明党を支援した結果がこれだ(激怒)】日本の政府与党はサタンの使い!!
http://6027.teacup.com/situation/bbs/52093
 

無冠さまありがとうございます\(^o^)/

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月17日(日)03時55分50秒
編集済
  この様に、タイムリーに先生のスピーチを掲載いただき、大変に感謝しています。どんな言葉よりも分かりやすく明確な短く身近なスピーチ、言葉ではなく頭の中に率直に入る名言です。

この部分、
『●嫉妬する人は衰えていく
 一、庶民を見下し、威張る人間に対しては、私は厳しく戦ってきた。良心ある、誠実で純粋な同志を守るためである。“法盗人”から学会を守るためである。
 皆さんも、さらにさらに、賢明であっていただきたい。
 ティルヴァッルヴァルは述べている。
 「偉大なる者には驕(おご)りがない。卑小なる者は驕り[という車]に乗り込む」(同)
 その通りである。
 傲慢な人間を糾(ただ)し、真面目に進む人を大事にする。それが、人間らしい世界である。広宣流布の真の姿である。
 チェコの教育思想家コメニウスは言った。
 「嫉妬は、他人の不幸を願い、自分をやつれ衰えさせる」(前掲『世界図絵』)
 嫉妬によって、人を陥れようとした人間は、かえって自らが敗北者になる。それが道理である。』

嫉妬に狂う四人組、反板、大患部のシモベ(-_-)
共通点はこれだけ~(-_-)能力無いくせに、有るフリをする。折伏やった事も勤行指導した事も無いから、やってきた者を冷やかし貶める。まさに、極悪穀潰しです(-_-)

二十年以上も前の索引集やら対論資料も、あの当時、私は所属する総県区ではなく、昔、お世話になった地域に檀徒が来る様になって作成したものです。周り回って資料が所属する組織に来て開口一番『俺の断りもなしに勝手なモノ創り上がって!』が、区患部の言い分でした(-_-)

私は無頓着で何の事やらと無視すると更にボゥボゥになっていましたが、相手にしませんでした。この方は知らないうちに転居して未活に。その後は行方知れずになりました。まさに、先生のスピーチの通りの現証でした。
つまりは、今もこの板に現れるサイコ大患部のシモベの皆さまも同じ宿命で有ると言う事です。題目あげて下さい、いくら安直に因果倶時なんて思い込んでも無理です。先生の仏の眼は、しっかり見据えているのですから。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月17日(日)03時08分30秒
編集済
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-10-12【第64回本部幹部会 第31回SGI総会・第5回関東総会・第6回四国栄光総会】

●印(インド)の教科書が「恩師の心を継承」と
 一、今回、インドの友が、喜びを込めて、一冊の本を届けてくださった。
 それは、インドの高校生(3年生)が、通信教育などで学ぶ英語の教科書である。
 〈インド政府教育局による全国オープン。スクールの通信教育プログラムで使用されている教科書。
 同スクールは、学校教育を諸事情で継続できなかった人に教育の機会を提供するもので、全国に10カ所の地域センターと、2000カ所の学習センターを持つ〉
 じつは、この教科書で、アレクサンダー大王やガンジー、タゴール、ネルーなどとともに、光栄にも、私の足跡が取り上げられているという報告であった(大拍手)。
 今、私の手元にその教科書があるが、ここには次のような一節がある。
 「池田博士は常に、庶民として生まれたことを誇りに思っています。
 博士を偉大にしているものは、幾百万の門下を友として、人類の幸福と恒久平和の実現のために、恩師の精神を受け継ぎ、実践し抜いていることです」
 つまり、「恩師の精神を継承した」ことを『ホシ』と見てくださっているのである。
 さらに教科書は、こう続けてくださっている。
 「恩師に対する限りなき尊敬、美しき地球を舞台に喜びに満ちた交響詩を歌いながら前進する地球家族というビジョン、そして、生きる素晴らしさを教えるととにおいて、池田氏はまさに”生きた伝説”の域にまで達しようとしているのです」
 まことに過分な評価で、恐縮である。
 ただ、仏教源流の天地インドでも、「創価の師弟の道」「創価の同志の結合」に、これほど深い信頼が寄せられたことは、大変な慶事であり、私たちの未来に明るい道が開けていると確信できる出来事であると思い、紹介させていただいた。
 教科書が正当に評価してくださっている通り、創価の三代は、「師弟不二」に徹したから勝った。
 師弟こそ、勝利への絶対の法則である。それ以外に何もない。
 そして、創価の三代は、けなげな庶民を大事にしたから勝った。
 学歴や地位は、信心の世界に関係ない。
 大聖人の仰せのままに進む人こそ仏であり、永遠不滅の栄光の人生を生きゆく法則をつかんだ人なのである。
 そして、この「師弟」の精神、「庶民とともに」という精神を受け継ぐ青年がいるか否か。これで、広宣流布の将来は決まる。

■ 一、仏法の世界においては、信心が強い人、広宣流布に向かう心の強い人が偉いのである。折伏をする人、使命ある学会を守りゆく人が偉いのである。人間がつくった位などに惑わされてはいけない。

●師子身中(しししんちゅう)の虫を見破れ
 一、きょうはインドのメンバーもお見えになっている。インドの皆さま、いらっしゃいますか。〈会場のメンバーが元気よく挙手を〉
 インド・タミール地方の大詩人ティルヴァッルヴァルの詩集(5-6世紀頃)を繙(ひもと)いてみたい。
 私は「世界桂冠詩人」として、ほとんどの国の有名な詩人の作品には目を通している。
 大詩人ティルヴァッルヴァルは叫ぶ。
 「親密なふりをして内部の敵が現れたなら、多くの苦しみとともに確実に滅亡をもたらす」「妬みという比類なき罪をもつ者は、富を失い、地獄に赴(おもむ)く」(高橋孝信訳注『ティルックラル』平凡社東洋文庫)
 内部の敵、つまり「師子身中の虫」を鋭く見破り、叩き出せ! ── これが戸田先生の遺言である。とくに幹部の中の増上慢の人間、嫉妬の人間に気をつけろと。本当に鋭い先生であられた。

●親孝行であれ
 一、きょう集った青年部の諸君は、できるならば、お父さんお母さんに、何かおみやげを買って帰ってほしい。
 高いものでなくてかまわない。真心が伝われば、それでいいのである。学会の青年部は、第一に親孝行であってもらいたいのだ。

●顔に喜びを 快(こころ)い言葉を
 「顔に喜びを」「快い言葉を」 ── 。
 たとえば、夫婦の間もそうであろう。
 朝から喧嘩をしても、つまらない。にこやかに「おはよう! 」と声をかける。「ご飯まだかい」「もうすぐです」「……うん、いつでもいいよ」(爆笑)。どんな言い方でもかまわないが、互いへの思いやりがあれば、気持ちのいい朝になるものだ。
 学会活動も、「快く」行っていきたい。リーダーは、皆に窮屈(きゅうくつ)な思いをさせてはいけない。とくに最高幹部は、最敬礼して同志を大切にしていかねばならない。

●嫉妬する人は衰えていく
 一、庶民を見下し、威張る人間に対しては、私は厳しく戦ってきた。良心ある、誠実で純粋な同志を守るためである。“法盗人”から学会を守るためである。
 皆さんも、さらにさらに、賢明であっていただきたい。
 ティルヴァッルヴァルは述べている。
 「偉大なる者には驕(おご)りがない。卑小なる者は驕り[という車]に乗り込む」(同)
 その通りである。
 傲慢な人間を糾(ただ)し、真面目に進む人を大事にする。それが、人間らしい世界である。広宣流布の真の姿である。
 チェコの教育思想家コメニウスは言った。
 「嫉妬は、他人の不幸を願い、自分をやつれ衰えさせる」(前掲『世界図絵』)
 嫉妬によって、人を陥れようとした人間は、かえって自らが敗北者になる。それが道理である。

●師弟の絆(きずな)は永遠
 一、日蓮大聖人は、弟子の最蓮房(さいれんぼう)との師弟の関係について、「無始の昔からの約束であり、『常に師とともに生ぜん』」と記されている(御書1342ページ、通解)。
 今世だけの約束ではない。三世永遠の絆がある ── これが、仏法上の師弟の定義なのである。
 師匠をもたない人間は、動物的な生き方となってしまうものだ。
 学校の師匠がいる。人生の師匠がいる。仏法では、尊ぶべき三つの徳として「師」に「親」「主」を加え、「主師親」と説く。それを具えたのが日蓮大聖人であられる。
 ともあれ、自身を高めゆく師をもつ人生は、深く、強く、美しい。
 三世永遠に、師弟の大道を歩んでまいりたい。

●「師弟」が根本
 一、日蓮大聖人は仰せである。
 「弟子と師匠が心を同じくしない祈りは、水の上で火を焚(た)くようなものであり、叶うわけがない」(御書1151ページ、通解)
 また、大聖人は「良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたくわえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠と弟子の心が違えば、何事も成し遂げることはできない」(同900ページ、通解)とも述べておられる。
 仏法の根本は「師弟」だ。弟子が師に心を合わせ、真剣に祈り、戦っていく ── それでこそ、広宣流布を成し遂げていくことができるのだ。
 また、御書にはこう記されている。
 「法華経の大海の智慧の水を受けた根源の師を忘れ、よそへ心を移すならば、必ず生死に輪廻(りんね)する災いとなるのである」(同1055ページ、通解)
 「根源の師」とは大聖人である。この師を忘れ、他の師を求めるならば、苦悩の流転を繰り返すことになる、との厳しき仰せである。

●人材が未来の道を開く
 一、ここで、戸田先生の指導を紹介したい。
 先生は言われた。
 「人を育てよう! それが、何よりも未来につながる勝利の道だ」
 大切なのは「人を育てる」ことだ。
 自分よりも偉くなってもらいたい。君たちに、全部託(たく)すよ。頼むよ ── こうした思いで後輩に接していくことだ。
 私は戸田先生にそう教わり、その通りに祈り、実践してきた。
 青年をアゴで使い、自分は楽をする ── それは最低の指導者だ。
 決して傲慢や、卑怯であってはならない。それでは人は育たない。
 青年の育成こそ、未来につながる道である。
 後輩を育てよう! 伸び伸びと活躍させていこう! (大拍手)
 先生は、こうも言われた。
 「百の説法も、百冊の本も、妙法を持った『一人の女性』の生き生きとした姿にはかなわない」
 妙法を持った一人の女性、女子部員の生き生きとした姿 ── それを皆が讃嘆する。共感する。驚きをもって見つめる。それが広宣流布へと、つながっていくのだ。

●「3代を守れ! 」
 一、戸田先生は語っておられた。
 「私は20歳の時、師(牧口初代会長)に仕え、43歳にして牢に入りました。その間の20有余年、一度も師に心配をかけないでまいりました」
 戸田先生は、牧口先生に対して絶対に迷惑をかけなかった。牧口先生を守って守り抜いてこられた。一緒に牢獄にまで行かれた。
 私もまた、同じように先生にお仕えした。
 師匠を守り抜いた。戦い抜いた。だからこそ、今の私があるのだ。
 先生は、こうも言われた。
 「大作は、私が育て抜いた人間だ。何ものをも恐れない」
 「大作に託すしかない」
 遺言ともいうべき言葉である。
 先生はまた、口癖のようにおっしゃった。
 「大作は、言ったことは必ずやる」
 「大作がいれば、心配ない」
 「大作がいれば、安心だ!」
 このことは、牧口門下生も聞いている。
 先生は、これほど私のことを信頼してくださったのである。
 こうも言われた。
 「3代で決まる。3代が大事だ! 3代を守り抜け!」
 「一閻浮提(いちえんぶだい)広布への完壁なる基盤を、第3代の時代に築いていけ!」
 私は全部、その通りにした。世界広布への完壁な基盤を築き上げた。
 先生は私に、「世界の知性と友情を結ぶのだ。
 君の開く道を多くの青年たちが続いていくだろう」とも指導してくださった。
 この言葉のままに、私は世界を駆けてきた。

■ きょうは長時間、ありがとう! ご静聴、感謝申し上げます!
 海外の同志も、本当にご苦労さま! 皆さまのご健康と勝利を心から祈ります!(大拍手)

 

蘭夢氏の続・妄想魔王珍問答 を読ませていただきました。

 投稿者:赤胴鈴之助  投稿日:2016年 7月17日(日)02時56分57秒
  蘭夢氏の続・妄想魔王珍問答  を読ませていただきました。

衝撃的な内容です、最近この宿坊に来ましたから、本尊のことはタブーだろうと、
思っていましたが、まさに、晴天の霹靂です。

日顕の偽本尊事件で大御本尊は、?なのかなとは、思っていましたが・・・。

>だからこそ、本当は偽物だったかもしれないけれど、本物と同じ力用があったのです。
>牧口、戸田、池田先生という法華経の行者が定めた御本尊。
>その御本尊に草創期の大先輩達の尊い戦いが本物へと昇華させたのです。
>学会出現以前と以後、同じ大御本尊でありながら、力用は違うのです。

>大御本尊は、常に我が胸中にあり、大聖人は、常に見守っておられる。

これは、登山に行って、功徳を受けたというのは、夢だったってことですか・・・?

本当に、御開扉は感動したのです、日蓮大聖人が書かれた本尊を、摸刻したと信じていましたからね。
釈迦は、42年間弟子をだまして、法華経を説くまで、成仏へ引っ張っていきました。

三代会長も、凡夫、愚人を方便で指導されていたのですか・・・?。
これを、方便随宜所説の法とか、秘妙方便と言っていいのでしょうか。

○木氏は、わが己心の仏性を信じることだ、(趣意)と、説かれていたことを、思い出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
告知です。
ひらがなプロジェクトに
上野殿、 しんこくおうごしょ、・・・をUPしました。
 

私もアカ狩り対象者では?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月17日(日)02時44分30秒
  日共の親友が居ります。今も仏法対話してマス。創価村のサイコ大患部さまよりマトモ(人間的にも人格的にも)です。
私は、赤色では?
彼らとの共通項は、会員や党員を愚弄し利用し尽くす官僚機構にあぐらをかいた役職者を叩き出す事です\(^o^)/
 

退転者などほっときなさい

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 7月17日(日)01時00分27秒
編集済
  退転どころか反逆者と成り果てた大勝利なるAPTなどほっときなさいな

追伸:
大勝利くん、君の行く掲示板は、君が潰したあべひの居るクジラ板のほうが合ってるんじゃないのか?
あべひと同程度の主張だものね
あべひくんに謝罪して向こうへ行きなされ

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

地震は「生きている星」地球の活動

 投稿者:サンダーバード  投稿日:2016年 7月17日(日)00時53分44秒
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/52064
戸田先生「しかし、こうした現証が起きなければ、謗法に気づかないのだから愚かな話だ」「法難と噴火とが、かならずしも符合するとは限らないだろうがね。だが、『立正安国論』の原理のうえから、正法が途絶えようとするときには、台風や地震、日照りなど、自然界にも異変が生じ、政治も乱れ、戦災や疫病など、さまざまな形で、民衆が苦悩の辛酸をなめる結果になることは間違いない。日蓮大聖人は、そのことを教えて下さっているのだ」「しかし、現代人は、この生命の法則に耳を傾けようとせず、自然災害は偶然か、さもなければ、人間とは無関係な、自然界のなかだけの因果関係だけでとらえようとする」。

SaySaySayさんの考え、戸田先生の考え、と言うか法則ですよね。その法則は私もあると思います。信じられるけど確信ではないです。

美しい地球が汚い地球になっちゃってるから、地球が怒って人間を懲らしめるためにやっているのか、と思うこともあります。

ただ、仏や神が気づきをもたらすためにやっているとは思いません。


http://www2.nhk.or.jp/school/movie/bangumi.cgi?p=general&das_id=D0005180155_00000
地球の声を聞こう 地球は生きている 地震学者・大木聖子(おおき・さとこ)先生 慶應義塾大学 環境情報学部

動画の最後の部分だけコピペしますね。(10分の動画です)
大木先生の手の上を動き回るアリ。「このアリは今、わたしの手のひらの上にいるということにおそらく気づいていません。次にわたしが何をするかもわかるはずがありません。それと同じで、わたしたちも自分たちがのっているこの大きな地球のことをまだまだ理解していないのです。地震は地球が生きているからこそ起こること。わたしたちが住んでいる日本は特に地震が多い国だということをよく知って、ふだんから地震に備えておきましょう。
コピペ終わり

この大木先生の考え方も大事だと思います。
 

違和感寿司いかがですか~違和感いかがですか~紙上座談会巻き巻きは、いただけません(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月17日(日)00時49分32秒
  過日の聖教珍聞の怪鳥含むサイコ大患部様方の紙上座談会に、ひかりさまは、頭にきているのではないですか?私も読んでいて腹が立ちました。

紙上座談会で『全国の皆さん、ありがとうございます』だと~?何それ!面と向かって会員に頭下げることも出来ないのかと。紙上だけで感謝も何も無い。忘恩の輩(-_-)

先日の無冠さまの投稿、
『●貧欲(どんよく)になると人を見くびる
 一、「傲慢」と「貪欲(どんよく)」は、深く結びついている。
 「貪欲になればなるほど、同じ仲間である人間をいよいよ平気で見くびるようになる」(馬場俊彦訳「人類の一体性と教育」、『タゴール著作集第9巻』所収、第三文明社)と、タゴールは喝破している。
 さらにタゴールは、「協調の原理」の重要性を訴え、「それが欠けているところに、苦悩や、悪意や、虚偽や、蛮行や、紛争が生じるのです」(森本達雄訳「協調」、『タゴール著作集第8巻』所収、第三文明社)とも述べている。
 仏法に説かれた「異体同心」は、最高の協調の原理である。
 南米解放の先駆者ミランダは言った。
 「わが友よ、悪辣(あくらつ)な輩の中傷や妄想に振り回されてはならない」
 私たちもまた、悪意のデマなどに紛動されてはならない。
 卑劣な中傷は強く打ち砕き、金剛不壊(こんごうふえ)の団結で、広宣流布に邁進してまいりたい。
 戸田先生は、外の敵より内部の敵を警戒しておられた。
 「破れるのは学会の内部からである。気をつけよ!」
 「今後の学会は、くさった幹部を切らねばならない」
 先生の叫びは、今も私の耳朶(じだ)に残っている。』

の通りです。現場からみたら、ふざけとしか感じられません。
 

蘭夢様

 投稿者:誰か私を呼んだ?  投稿日:2016年 7月17日(日)00時29分39秒
編集済
  蘭夢様
論旨、完全に賛成です。敬服いたします。
で、腰を折るようでホント恐縮、申し訳ないのですが、
下記の点は書きすぎか、筆が走ったか?、と思います。
気になるので、、、無視してもらっても良いことですが。
縁覚界を認められた御本尊様は、御真筆、御書写を通じて、一体もありません。また、現御本尊様に、提婆(地獄界)は認められているでしょうか?
なので、「なぜ書写で8界曼荼羅としたのか」との問いは、やや不正確なのではないでしょうか?

http://6027.teacup.com/situation/bbs/52097
>>さて、最後にひとつだけ
>>現学会の御本尊、日寛上人の御本尊は声聞・縁覚の二界が存在しません。
>>大御本尊をもっとも宣揚していた日寛上人が、なぜ書写で8界曼荼羅としたのか
 

それが何だっていうの?

 投稿者:過疎地の男子  投稿日:2016年 7月17日(日)00時27分31秒
  コミンテルン  投稿者:大勝利
投稿日:2016年 7月16日(土)23時51分23秒
共産党はコミンテルン日本支社がその派生。
牧口先生は大日本皇道会の運動を継承した。
創価三代会長の思想は共産主義と相容れないのは明らか。

池田先生が会長になって、矢島をはじめとするマルクス主義からの転向組は尽く退転した。
これは学会の歴史の事実です。



大勝利さん、それが何だっていうの?

今の公明党・創価学会の日本共産党に対する攻撃は、単なる選挙活動という低レベルなものであることが、問題なんですよ。

唯物論に基づいて「宗教はアヘン」と断じたマルクスのドグマは、人間の心を軽視あるいは無視したものであり、やがてそれは行き詰まることを、師匠は既に『人間革命』で指摘しています。



共産主義に限定せず、人間を手段として利用するあらゆる思想や主義、体制と戦うことが、創価学会の歴史的使命ではないか?

それが単に、日本国内の国政選挙の場面において、票の奪い合いのためと、闘争心を駆り立てるために仕組まれた共産党攻撃という低い次元に堕してしまっていることに、激しい違和感を感じているのです。

「折伏精神」のない、選挙で勝つことが至上目的の共産党批判など、何ら益ないものであることに、気づいている人は少なくないと信じます。
 

報道特集でも取り上げられた【まんが・私たちの平和憲法】

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 7月17日(日)00時27分4秒
  夕方の番組でしたが取り上げられていましたね~

http://www.youtube.com/watch?v=v0MWAR-EY2w&sns=em

【まんが・わたしたちの平和憲法(第三文明社) 創価学会婦人部平和委員会:編】

http://seoul-life.blog.jp/archives/62149212.html

虹と創価家族様の下記投稿も参照
http://6027.teacup.com/situation/bbs/50607
 

この世に悪は多けれど

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月17日(日)00時18分17秒
  一善に勝つことなし。

誰がウソをつき、流言で真実を穢したか、一切合切の愚かな目論見は、
やがて応分の現証を受けなければならない。

自分ら以外のせいにしようとして、どんなにウソで固めても、ムダである。

罪障はどこまでもどこまでも追いかけて来る。
自分らがしでかした事だもの。

執行部は、その恐ろしさが分からないのだ。 カワイソーにね。

私をバカにしなくてもよい。
何もあわてて余計な罪障を重ねることはない。

必ず、「ゲンチャクオホンニン」になるから。
これは百発百中、間違いなく正確にやってくる。

そんなにゆっくりでもあるまい。
来るときは急で、まばたく暇もないかもしれない。
また、そういうものだ。

 

覚悟はできてるか

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月16日(土)23時54分31秒
  執行部、そして地方に在し浄財で左うちわの副会長なるおびただしい四悪趣の輩。

学会組織をめちゃくちゃにした破和合僧の大罪・与同罪を覚悟せよ。

法華経の行者を馬鹿にし、侮り、利用し、無慈悲に分断した大罪・与同罪を覚悟せよ。

宿坊の掲示板を限りなく妨害し、
組織に手配書様の文書を回し、
正義をウソといつもの常套手段たる流言で穢し、
自分らの悪行を糊塗し隠そうとした、それも大罪である!

覚悟!
覚悟!
仏の軍勢がオマエラを一人残らず捕まえ、罪障の責めをきっちりつけるだろう。
 

同盟題目

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 7月16日(土)22時58分48秒
  23時開始します。よろしくお願いします。  

お花畑は造花の列植

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 7月16日(土)22時46分14秒
  婦人部幹部って世界一の盲目集団なのだろうか?

活動家を騙しているのが分かっていて指示を出し、煽る幹部もいるし、
思い込みの強さが尋常でないキ○○イ一歩手前の本格派もいる。

お花畑に咲く花が、いつのまにか造花とすり替えられているのに、気付かない(ローガン?)
造花は、たにがー印の100円ショップのだよ~ ビニール製。


最近、7/10以降、造花のビニール臭が湿気と高温で漂うので、バレはじめた模様。

どうもインチキ・まがい物ではないかと疑われ、花係執行部の責任が言われ出した。

参院選の結果が、はなはだ物議の的になっている。
あれはないだろうと。
いくらなんでもおかしな勝利だと。
だれが一体数字を出したのだと。
いつもなら、大勝利大勝利、おめでとーございます、という人が、押し黙っていたりする。

素直に喜べないのだ。
人間の正邪のセンサーは、あなどれない。

間違ったことをしたのではないか。
自民党単独過半数を目前にして、後悔の念がひたひたと忍び寄る。

ぎいぎりまで、足りない足りない、もっともっと、拡大拡大、一票でも多く、と言ったくせに。
結局、そうやって辛酸な戦いを強いられ、やってしまった我々は、何だったのか、と。
 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 7月16日(土)22時36分16秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2006-9-7 【第63回 本部幹部会 第4回北海道栄光総会】

●仏を敬うが如く
 一、海外の同志の皆さま方、本当にようこそ!
 アメリカの皆さま!
 ブラジルの皆さま!
 フランスの皆さま!
 香港・マカオの文化本部の皆さま!
 そして、インドネシアの皆さま!
 偉大な信心の歴史をつくる研修会、大変にご苦労さま!
 ようこそ、ようこそ! (大拍手)
 海外から来られた方を、日本の我々は最大に敬意を表して迎えたい。
 「当(まさ)に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」法華経には、こう説かれている。
 日本の中で「遠い、遠い」といっても、小さな国である。SGIの友は、アメリカやヨーロッパ、ブラジルなどから、はるばる来日してくださった。
 また、大変な環境のなかで、広宣流布の推進をしてくださっている。本当に尊いことである。
 仏法を求め、行動する ── 皆さまの功徳は計り知れない。これが仏法の方程式である。
 私の体験に照らしても、絶対に間違いない。

●北海道は日本列島の“王冠”
 一、心から愛する北海道の栄光総会、おめでとう!(大拍手)
 遠いところ、まことにまことに、ご苦労さまです。
 同志のいるところへ!
 広布の息吹あふれるところへ! ── 距離や苦労をものともせず、求道心.を燃やし、勇んで駆けつけることが、どれほど尊いことか。
 広布を目指す同志が集うところ、そこが“霊鷲山(りょうじゅせん)”なのである。〈霊鷲山は釈尊が法華経を説いたとされるところ。仏国土を意味する〉
 日本列島の王冠のごとく輝く広大な大地を舞台に、北海道の同志は、折伏も、聖教新聞の拡大も、素晴らしい上げ潮の勢いで進んでいる。
 全国の先頭に立つ北海道青年部の大前進も、ご苦労さま! (大拍手)
 戸田先生は、私にこう言われた。
 「北海道は、未来の新天地だ。大作、広布のために、多くの多くの友をつくってくれよ」
 「おれの故郷である北海道を大切にしてくれ。発展させていってくれ」
 現在の大発展を、北海道に縁(えにし)の深い牧口先生、戸田先生が、どれほど喜んでおられることだろうか。

●対話で道を開く
 一、偉大な歴史学者のトインビー博士と対話したとき、私は40代だった。
 1973年5月、トインビー博士との2年越しの対談を終えるに当たり、私は博士に聞いた。
 「今、博士が最もなさりたいことは何でしょうか」
 博士は力強く答えた。
 「私とあなたが、今、この部屋でしていることを続けることです。
 私たちの対話が意味するものは、人類全体を一つの家族として結束させる尊い努力です」と。
 トインビー博士から託された「人間を結ぶ対話の道」を、私は今も世界に広げている。
 偉大な友人であるトインビー博士が言われた通り、そして師匠の戸田先生が言われた通り、「対話」につぐ「対話」を実践している。

●「賢者の正道(せいどう)」「無上の幸福学」
 一、私は、戸田先生の事業を支えるために、進学をあきらめた。
 そのかわりに先生は、「全部、私が教える」と、「戸田大学」を開いてくださった。
 先生は、若き日に著した『推理式指導算術』が100万部を超える大ベストセラーになった、数学の天才であられる。
 戸田先生が“校長”。
 私が“学生”。
 そのなかで先生は、信心の意義についても教えてくださった。
 人生の「根本」を学ばなければ、どんな知識も紙切れになってしまう。
 信心について、学問的かつ普遍的、社会的に開いていく。その論調の持っていき方は、天才的であられた。
 ある時は、次のように言われた。
 「信心は宇宙の究極の法則」
 「信心は智慧の宝蔵」
 「信心は賢者の正道」
  ── 信仰は、最高の正義の人格をつくるのである。
 「信心は英知の利剣」
  ── 信心とは、どんな政治権力者であろうが、大学者であろうが、かなわない、最強の利剣なのである。
 「信心は不滅の大哲学」
 「信心は平和の大道」
 「信心は無上の幸福学」
 「信心は勝利の軌道の法則」
  ── 信心のなかに、人生勝利のために必要な一切が含まれている。
 このような指針を語っていただいたことも懐かしい。
 約10年間、毎朝のように、また休日や夜遅くには先生のお宅で講義していただいたこともあった。戸田大学の卒業生として、その功徳として、私は、世界中の最高学府から名誉学術称号をいただいた(大拍手)。
 これが本当の師弟の法則であると、私はとらえている。
 師弟の正義を打ち立てる人を、私は探している。そういう人物を、つくりたい。そういう人間がいるか、いないか。出るか、出ないか。これで将来が決まる。
 青年部、頼むね! 〈会場から「ハイ!」と返事が〉
 年配の幹部も、生き生きと後輩を励まし、鼓舞していつていただきたい。先輩が元気でなければ、後輩はかわいそうである。
 青年を、どんどん育て、使命の晴れ舞台に送り出していく。これこそ学会の大方針でなければならない。

●どんな宝石より貴重な財宝
 マンデラ氏は語っている。
 「わたしの国は、地下に眠る鉱物や宝石などの資源に恵まれているが、何より貴重な財産は、どんな純度の高いダイヤモンドにも増して誠実で強靱(きょうじん)な民衆なのだ」(東江一紀訳『自由への長い道』日本放送出版協会)
 素晴らしい言葉である(大拍手)。
 ひるがえって、創価学会の最極の宝は何か。
 それは、誠実で強靱な同志、学会員の皆さまなのである(大拍手)。
 この、何ものにも負けない「民衆の力」を、多くの心ある人々が研究している。
 民衆がいる。哲学を持った民衆がいる ── これは、すごいことなのである。
 学会員を大事にしなければならない。広布に戦う学会員を大事にしない幹部は、必ず罰を受ける。
 戸田先生は「悪事をなした者には、自らの行動の報いを受けさせよ!」と訴えられた。この一言を、リーダーは肝に銘じるべきである。

●座談会は仏道修行の最前線
 一、戸田先生は言われた。
 「学会は座談会中心主義でいく」「誰も彼も、幹部は、座談会へどんどん出ていけ」
 「初代・牧口先生は、民衆の中に入り、地道に座談会を重ね、一人一人の苦悩の解決に力を注がれた。これが、学会の誇り高き歴史である」
 きょう、大座談会運動について発表があった通り、リーダーは、どんどん座談会に行き、同志の輪の中に分け入っていただきたい。
 一番大事な活動は座談会である。座談会こそ、仏道修行の最前線である。
 私も若き日から、各地の座談会に足を運んだ。座談会の場で、折伏をし、同志を励ましてきた。ある時など、あまりに人が集まりすぎて、会場の床が抜けてしまった。幸い、けがの方はいなかったものの、会場のお宅には、ご迷惑をおかけしてしまった。今となっては懐かしい思い出である。
 戸田先生は「日蓮大聖人の仏法は、最高の民主主義である。座談会は、その究極の縮図である」とも指導されていた。
 最前線の同志、また、友人の方々に最も会える場所が、座談会である。
 リーダーでありながら、何かと理由をつけて、足が遠のくようでは、真面目な同志がかわいそうだ。
 絶対に、座談会をおろそかにしてはならない。
 御聖訓には「信心の志ある人たちは、一カ所に集まって聞かれるがよい」(御書951ページ、通解)とある。
 皆で集まって、学び合い、たたえ合い、励まし合う座談会こそ、御本仏の仰せにかなった広宣流布の広場なのである。

●一人でも二人でも真剣に語れ!
 一、エマソンと言えば、戸田先生も好きで、私もよく読まされた、アメリカの思想家である。
 偉大な人物には、仏法に深く通じる哲学がある。菩薩や諸天の働きをする人々がいる。
 エマソンは言う。
 「真面目で楽しい語らいが、私たちの力を2倍にすることは、まちがいない」
 愉快で有意義な座談。それが広宣流布の前進の原動力である。
 一方通行の壇上からの話だけで、広宣流布が進むと思ったら大間違いである。ましてや、前にも聞いたような話ばかり繰り返すようでは、しようがない。会合での話には、新鮮味、心からすがすがしいと思える喜びがなければならない。
 さらにエマソンは「一度(ひとた)び正しい仲間の内に入れば、新たな広大なる価値が必らず顕われて来る」(戸川秋骨訳『エマアソン全集4』国民文庫刊行会、現代表記に改めた)と言っている。
 ゆえに「正しい仲間」の集う座談会に、友人とともに集って、新しい価値を広げていくことだ。
 また、「座談」というのだから、二人集まれば、立派な座談会である。
 たとえ相手が一人でも、「よく来ましたね」「ゆっくりお話ししましょう」と声をかけ、じっくりと悩みや意見を聞いていただきたい。
 「学会の会合は、たとえ一人でも、二人でも、その人を大切にし、その人のために仏法を説き、感激をもって、真剣に語り合っていくことだ」
 そう戸田先生も言われていた。
 先生は、座談会の重要性を知り抜いていたがゆえに、そのあり方について、細かく指導された。特に、幹部が座談会に臨む姿勢を、厳しく教えられた。
 私が書きとどめたご指導の中から、さらにいくつか紹介しておきたい。
 「座談会で、同じ人が、同じ話を繰り返す。
 これでは、惰性になり、新しい人を救うという精神を失った座談会になってしまう。
 座談会に、新しい人を連れてくることを忘れてはいけない」
 「座談会は、会員を集めて、偉い幹部が何かをしゃべる場ではない。
 座談会は、信心のぶつかりあいをする場所だ。一対一から始まるんだ」
 「座談会にせよ講義にせよ、指導者は学会精神を鼓舞しゆくことだ」
 「中心者の信心が確かならば、座談会も、仏界、菩薩界を現すことができる」
 「話し上手になれ! 聞き上手になれ! 話し方ひとつで、喜んでやってくれるものだ。
 叱って押しつけたり、命令なんかでは、人は動かんよ」
 全部、大事なご指導である。しっかり心にとどめて、実践していただきたい。

●崇高な学会を断じて守れ!
 一、未来のために、さらに戸田先生のご指導をとどめておきたい。
 学会の同志から支援を受け、そのおかげで議員になりながら、慢心を起こして堕落する ── そうした人間に対し、先生は非常に厳しかった。
 「不知恩の輩だ。政治よりも、学会よりも、自分のこと、個人のことを大事にする連中だ。厳重に注意せよ!」
 悪に対しては絶対に黙っていてはならない。猛然と声をあげるのだ。容赦なく責めるのだ。
 「不知恩の政治家どもに、崇高な学会を断じて乱されてはならない。
 我らの世界]の和合僧の学会から、そうした輩を叩き出すのだ。真っ向から教訓し、断固として増上慢を打ち破れ!」
 これが戸田先生の厳たる遺言であった。
 増上慢の人間が出たならば、断固、青年部が立ち上がってもらいたい。しっかり団結して、尊き民衆の城を守り抜いていただきたいのだ。
 戸田先生は、支援する候補者について、「私利私欲に目もくれない、高潔な人材がいればよいのだ」と語っておられた。
 まったく、その通りである。
 ある時、先生は、怒りを込めて言われた。
 「国民の幸福を願っているような顔をしている政治家などのなかに、その地位を利用して、一身の繁栄と私財の蓄積のみに汲々(きゅうきゅう)としている者のなんと多いことか」
 権力は必ず腐敗する。だからこそ、民衆が、もっと強く、もっと賢明にならねばならない。
 先生は喝破された。
 「権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破ることができない。それは、深く人間の生命の魔性に発しているからだ。この見えざる『魔』に勝つものは『仏』しかない」
 ここに永遠の指標がある。

■ 最後に、皆で題目を唱えたい。
 全員が「勝利者」になるために!
 全員が「幸福者」になるために!
 季節の変わり目であり、体調を崩すことも多い。よく睡眠をとり、しっかりと勤行・唱題をして、健康を祈っていきたい。
 海外の方々、どうか楽しく、元気でお帰りになってください。
 全国の皆さん、ありがとう!(大拍手)

 

索引集pdf不良?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月16日(土)22時31分1秒
  すみません(-_-)

索引集pdfがハヌケになっているのですか?
失礼いたしました(-_-)
本日は自宅に戻れませんので、明日、再度確認の上、ファイルストレージを貼り付けいたします。
 

違和感寿司いかがですか~違和感いかがですか~神と仏の自民党寿司いかがですか~?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 7月16日(土)21時31分11秒
編集済
  政党政治を自民党員からみれば、それは信念とか宗教的志向などと思い込んではいけません。血脈・地脈・金脈・下剋上の世界!早い話が銭の世界です。国を動かして銭稼ぎする。体面は国家・国民に選ばれた国会議員です。国民に借金負わせても、ジャブジャブ税金を使って還流させて豪邸も建てれる(-_-)これが現実の世界!

私は、はっきりと主張しますが、自民党は亡国の政党であると考えています。小林節氏の主張の通りです。何方か、自民党戦国史とか孫氏とか研究している方、おりませんか?創価同様に官僚機構に嵌った能面集団。国が衰亡します(-_-)
 

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