長崎市公会堂 存続願う声 「復興と平和のシンボル」 [長崎県]
半世紀以上、市民に親しまれてきた長崎市公会堂。市は老朽化などを理由に解体を決め、11月から取り壊しが始まる。原爆の惨禍を乗り越えようと、国際文化都市として再建を目指した長崎県民が寄付し、その熱意が国外にも広がって建設に至った歴史がある。「正の遺産」といえるだけに、存続を願う市民からは、解体の是非を問う住民投票を求める動きも出てきた。
長崎では街の発展とともに、原爆の「負の遺産」である被爆遺構は壊されてきた。「公会堂は将来、街の重要な資産になるのに。壊す前に市民に問う必要があると思う」と森恭平さん(28)。東京から帰郷したばかりだが、すぐさま住民投票の実施を目指す市民団体「公会堂の未来活用を問う会」に加わったという。
公会堂建設の歴史的意義については「長崎原爆戦災誌」(長崎市)と「長崎国際文化センターの歩み」(同センター建設委員会)の復刻版に詳しい記述がある。
戦後間もなく、長崎国際文化センター計画が持ち上がった。原爆で壊滅的な被害を受けた街の復興を目的に、長崎市内に文化施設を建設していく計画で、事業に盛り込まれた施設の一つが公会堂だった。
被爆4年後の1949年、国有財産の特別譲渡などを盛り込んだ長崎国際文化都市建設法が施行された。長崎市だけに適用される特別法で、制定に当たっては地元の同意を確認する住民投票が実施された。そこで市や市議会は、市民の熱意や期待を示そうと、対策本部を設け、紙芝居などで投票を呼び掛けた。結果は投票率73・5%で、賛成が98・6%を占めた。
長崎原爆戦災誌は「盛大な記念行事が催され、全市を挙げて祝福した」と振り返り、特別法制定で「今日の長崎の都市形成の基盤が築かれた」と記している。
計画の下、62年開館の公会堂をはじめ、59~65年に長崎水族館(現長崎ペンギン水族館)、県立長崎図書館、網場県営プール(現長崎市民網場プール)、長崎国際体育館(94年閉館)、県立美術博物館(2002年閉館)が建設された。費用捻出のため、県職員は給与の千分の1、市職員は千分の2を5年間天引きされ、県内外の企業や団体、米国、インドからも寄付があり、総額約3億3千万円に上った。
中でも公会堂は、センター設置計画で「全世界の人々の文化交流、平和交歓の場所」と位置付けられてきた。だが、老朽化や耐震強度不足のため、昨年3月に閉館。跡地は市庁舎の移転候補地となっている。
「問う会」代表の林一馬長崎総合科学大名誉教授は「当時は官民一体となって長崎を国際文化都市にしようと懸命だった。特に公会堂は市民と関わりが深く、市民の希望だった。本当に取り壊していいのか」と問い掛ける。
▼長崎市公会堂 1962年6月2日開館。鉄骨、鉄筋コンクリート造5階建てで、延べ床面積5992平方メートル。ホールの客席数1751。長崎市出身の故武基雄氏が設計し、国際学術組織「日本における近代建築100選」の一つ。同市出身の福山雅治さんも地元初のコンサートを公会堂で開き、全国のファンが「聖地」として記念撮影する姿も。2015年3月31日に閉館。
=2016/07/13付 西日本新聞夕刊=