トルコで起きたクーデターはむろん非難されるべきだが、独裁を強める政権への抵抗だったのかもしれない。イスラム民主主義の模範国が危ういのか。
エルドアン現大統領は少し前までは、トルコを穏健なイスラムの民主主義国へ導いたとして欧米から称賛されてきた。
アラブの独裁また強権国家には模範であるとされたが、この数年の間、批判する有力新聞を政府管理下に置いたり、政権人事を側近や身内で固めてもいる。
◆政教分離の国是の下
彼また彼の政党、公正発展党を支えているのは、敬虔(けいけん)なイスラム信徒の庶民、農民たちである。
政教分離を国是とするトルコでもイスラム教スンニ派が人口の99%を占める。宗教は生活の一部だからたとえば大学の新学期には入学の女子学生がスカーフをかぶって教室に入り、毎年のようにデモ騒ぎとなってきた。
振り返れば、軍人ケマル・アタチュルクが古いトルコ社会を共和国に造り直してから、軍は政治のお目付け役のようでもあった。
政治的内紛や、100%を超すインフレ、各地の暴動、また冷戦下での社会不安のたびごとに軍は介入し、しばしの安定を取り戻すということを繰り返してきた。
軍の政治介入は中東では珍しくもない。エジプトのナセルや、シリアのアサド大統領の父は政治家と軍人を兼ねてきた。
トルコの民主主義は形のうえでは複数政党政治ではあるものの、実際には国家安全保障会議という軍幹部を含む毎月の会合が政府に「助言」を与えていた。
その前年に結党の公正発展党が圧倒的な勝利をおさめた。その勝利は「貧しく、疎外され、沈黙を強いられ、搾取を受け続けてきた者たちの反抗」と称された。
◆貧しい者たちの反抗
イスタンブールの財閥や、利得ばかりを欲しがる政治家に対する貧しき庶民の反抗であり、反抗を連帯させたのは清廉を何より尊ぶイスラムという宗教だった。
イスタンブールのカリスマ市長だったエルドアン氏は、モスクのミナレット(尖塔(せんとう))を銃剣にたとえる危険な詩を朗読したとして、宗教的憎悪をあおる罪で刑を受けていたが、それももちろん人気に変わった。政教分離をたてに長く宗教的熱情を抑圧され、選挙で勝ってもつぶされてきたイスラム勢力が、国民の支持を得て、国を安定させ、欧米諸国にトルコはイスラム民主主義のモデル国とまで言わせたのだった。
中東全体を見渡せば、イスラムの信仰はもちろん広く庶民に浸透している。しかしエジプトでムスリム同胞団が弾圧されたようにイスラム組織の政治参加はどの国でも押しとどめられてきた。
欧米からみれば、独裁国でも安定していた方が都合よい。いわゆる欧米の二重基準、ダブルスタンダードである。
それをイスラム民衆の力で打ち破ったのがアラブの春だった。
トルコはそれよりずっと前にイスラム民主主義を実現していた。 しかし長期政権は内部で対立も生んでいたようだ。
今回のクーデターの企図の背後に「ギュレン派」また「ギュレン運動」と呼ばれる組織の存在をいう専門家もいる。アメリカ在住のイスラム指導者ギュレン師を中心とし、世俗主義を支持する穏健派だという。かつてはエルドアン氏と共闘関係にあったものの最近は政権がイスラム色や独裁傾向を強めて、民主主義を損なっている、と非難に転じている。
政治の対決は、権力も思想もまたおそらくは利得も競い合うことになるが、武力を用いれば流さなくともよい血が流れる。イスラム民主主義の名が泣く。
おびただしい流血の事態は残念でならないが、テレビに映し出された、戦車や銃を構える兵士に真正面から向き合う市民の姿は見る者に勇気を与えたのではないか。赤い国旗を掲げて兵士に反乱をやめ、団結を呼びかけていた。お互いがイスラム教徒同士でもある。
いうまでもなくトルコは東西の大陸の懸け橋であり、内戦のシリアの重要な隣国であり、イラクやイランと接し、政治地理的に地域の安定に深くかかわる。
◆再びイスラム模範国に
米国や欧州は、エルドアン政権の独裁をいさめる真剣な忠告をしたことがあっただろうか。真の友好国に語るのは内政干渉ではなく助言にちがいない。
中東の混乱をしずめるように語りかけるのは、日本を含む世界の仕事であり、支援はまだまだ必要なのである。トルコにはイスラムの民主国家としてぜひ再び模範を示してほしい。
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