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Date:2016.07/15 [Fri]10:03 | Category:[新聞・雑誌記事]
謹告
本日、共同通信配信により拙名が掲載された記事が配信されました。
今回、写真を新聞記事化することは藤田家の要望でした。藤田家が違うと明言していた西南戦争の写真を駆逐するのがなによりも目的で、そうした意味で広く一般に本物の顔を知っていただきたかったと申されておりました。
事の発端は先月にご子孫のひとりに相談を受けたことによります。それから日程を詰め、25日に子孫2名とお逢いいたしました。そこで現物を拝見し、藤田家特有の頭頂部に得心を得ました。
ただし、写真師の「中黒實」をよく知らなかったため、日本カメラ博物館のAさまに相談し、写真の撮影年度等の目安をいただきました。
それと、写真の保存について相談を受けました。現時点では申し上げることはできませんが、そう遠くないうちに広く一般の眼に触れる機会が出来ると思います。
今回におかれましては公表できる内容がごく少なく申し訳ありませんが、少なくとも出所が戸籍上、藤田家から繋がる家より発見されており、トキヲさんの根拠は着ている着物の家紋が会津藩高木家の紋であることです(嫁いだ人は実家の紋を付けます)。
とりあえず、本日の夕刊以降に紙媒体に掲載される予定で、遠くない将来、藤田五郎の写真現物を見れる機会はあると思いますので、しばらく温かく見守っていただければ幸いです。

よろしければクリックご御力お願いします

今回、写真を新聞記事化することは藤田家の要望でした。藤田家が違うと明言していた西南戦争の写真を駆逐するのがなによりも目的で、そうした意味で広く一般に本物の顔を知っていただきたかったと申されておりました。
事の発端は先月にご子孫のひとりに相談を受けたことによります。それから日程を詰め、25日に子孫2名とお逢いいたしました。そこで現物を拝見し、藤田家特有の頭頂部に得心を得ました。
ただし、写真師の「中黒實」をよく知らなかったため、日本カメラ博物館のAさまに相談し、写真の撮影年度等の目安をいただきました。
それと、写真の保存について相談を受けました。現時点では申し上げることはできませんが、そう遠くないうちに広く一般の眼に触れる機会が出来ると思います。
今回におかれましては公表できる内容がごく少なく申し訳ありませんが、少なくとも出所が戸籍上、藤田家から繋がる家より発見されており、トキヲさんの根拠は着ている着物の家紋が会津藩高木家の紋であることです(嫁いだ人は実家の紋を付けます)。
とりあえず、本日の夕刊以降に紙媒体に掲載される予定で、遠くない将来、藤田五郎の写真現物を見れる機会はあると思いますので、しばらく温かく見守っていただければ幸いです。
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