なんのために大学へ行くのか
夏ですねー。猫も杓子も受験生をあおる時期になりました。
本気で夢のために大学をめざす受験生たちには勝負の季節。
その反面、なんとなく流されるように大学をめざす、
というか「行けるならどこか行きたいなー」という感覚の学生さんも多くいるのでは。
そんなフワフワした学生さんにこそ、ちょっと立ち止まってみてほしい。
なんとなく大学へ行ってうつになって死にかけました
わたしがまさに、「なんとなく行けるとこへ行っとこう」って感じで大学を決めました。なまじ学校の勉強ができたので、旧帝の名古屋大学へ入学。
しかし、入学してもぜんぜん授業が面白くない。
興味のある人が聞いたらとてもすばらしい講義なんでしょうけどね。
わたしはまったく興味がなかったから、聞いても頭に入らないんです。
もはや何のために大学へ来てるのかわからない。
けど中退も許されないし、やりたいことをやるにはもう遅すぎる(と思ってました)。
結果的に、うつになって睡眠障害&摂食障害に。
死ぬ一歩手前になってようやく大学をやめることができました。
やりたいことを見て見ぬふりしてると最悪自殺するよ
いや、自分で大学選んでおいてなに甘えたこと言ってんのって話なんですが。
わたしが大学を目指したモチベーションはただ一つ、親を納得させて黙らせることだったんですよねー。
小学生のころからマンガ家になりたかったんですよ。
しかし、父親に猛反対されていました。
「どうしてもやりたいなら大学を出てからにしろ!」
わたしは父を黙らせるために、文句を言わせないくらいの成績を取り続けました。
まぁ文句は言われ続けましたけどw
言うことを否定され、じぶんでも否定し続けるうちに、
やりたいことを見て見ぬふりをしているうちに、
自分の本当の気持ちもわからなくなっていきました。
じぶんの人生はじぶんで選んでいいんだよ
こういう大人って自分の保身しか考えてないから言うこと聞かなくていいですよ。マジで。
うちは死にかけの髪もヒゲも伸び放題のガリガリの子どもを目の前にして
「今逃げたら逃げグセが付く!」とまで言い放ちましたからねー。
当時のじぶんにアドバイスを送るならこれ。
「じぶんの人生はじぶんで選んでいいんだよ!」
どうしてもマンガを描きたいなら、センター当日に堂々とサボっちまえばいいんです。
親だろうと先生だろうと、あなたの人生に責任を取ってくれる人はこの世に一人もいません。
人に流されて生きた先にあるのは、ぜんぶ人のせいにして生きる嫌われ者になるか、うつで自殺するかの未来です。
働きはじめてから勉強したくなった
断言します。学校を出てからの方が知りたいことは増えます。
そのときに、学びたいという欲望を叶える手段が大学なら、そのときから大学を目指してもまったく遅くないよ!
いくつになっても、その地点から学ぶことはできます。
逆に言えば、人は「学び終わる」ということはないです。
なんのために勉強をするのかという問いがよくありますが、
わたしは「じぶんの知りたいことを学ぶチカラをつけるため」だと考えています。
新しいことを知るのが楽しい。できるようになるのがうれしい。
学ぶために学ぶ生き物なんですよ人間は。
なんとなく大学へ行くくらいなら、旅をするなりアルバイトするなりして視野を広げる方がずっと有意義です。
就活なんてしなくても就職できるし、生きていける
いまの学校なんて疑問を持たない人間をつくる工場です。疑問を持つ、つまり周囲とちがう点に気付いたり、ちがう感性をもっていたりするとカンタンに居場所をなくします。
子どもにとって学校が唯一の居場所だと、もう逃げ場がないんです。
最後の砦であるはずの家庭でも「どうして学校に行かないの!」なんて怒られたらもう心を閉ざさないと生きていられません。
疑問を持たずになんとなく大学へ行った先にあるのが、なんとなくの就活。
工場で生産された製品がいよいよ消費者に出荷されていくんですね。
製品には、「ここで買ってもらえないと廃棄されるから自分を売り込めよ!」とバッチリ刷り込んであります。
先週も、知人から就活で失敗して自殺した学生の話を聞いてズーンと悲しくなりました。
大学を出て就活するのがあたりまえな空気は狂ってます。
なんで視野が広がっていくはずの学校で、どんどん視野を狭めていくんですかね?
学校、受験に疑問を持たない方がやばい
わたしが疑問を持たない人間だったから、大学生のころは「あたりまえ」だと思っていたこと。たとえば、
一年生は上級生にお酌して回り、そのたびにじぶんのグラスを空けておく。
100m先まで大声で自己紹介させ、声が小さかったら何度でも日本酒一気飲み。
大会運営会議と称して、ビールだけの飲み会を3次会まで繰り広げる。
あ、これらは名古屋大学に限った話じゃないですよ。
旧帝大の合同大会での話なので、東京大学、京都大学なんかも含めて体育会はこんな感じです。
いい歳したOBたちも「伝統だから!」といって一升瓶もってやってきます。
わたしもストレスを感じながらも、「伝統だからあたりまえ!」と思っていたんですからね・・・。やばすぎる。
偏差値が高いほど、入学者は二極化する傾向が強いです。
東大なんか官僚をつくるための大学なんで、疑問を持たない人間は大歓迎なんですよ。
そこでじぶんの疑問をもった優秀な人たち、というか人間として正常な人たちはそこからどんどん離れていきます。
大学へ行っておけば大丈夫という時代は終わった
まとめると、大学は決して「とりあえず行っておけ!」という場所ではないです。なんとなく大学へ行くことに疑問がある人、それでいいです。
学びたいことが自然に見つかったときに、あらためて勉強すればいい。
入学すること自体はむずかしくないですから。
まわりは好き勝手なことをいいますが、だれもあなたの人生に責任は取りません。
じぶんの気持ちを一番大事にして生きてください。