岡田将平・35歳
2016年7月14日11時45分
■熊谷幸さん(1930年生まれ)
「あっ、ここだ」。5月末、長崎市滑石6丁目の熊谷幸(くまがいこう)さん(86)はテレビで録画していた番組を見ていて釘付けになった。見ていたのは、NBC長崎放送制作のドキュメンタリー番組「消えゆく記憶~発掘された原爆写真~」。爆心地から800メートルほどで、被爆クスノキがある長崎市坂本2丁目の山王神社付近の被爆直後の様子を撮影した写真が画面に映った。熊谷さんが旧制長崎中学4年生だった71年前、原爆投下から数日後にほかの同級生らとともに、安否不明だった同級生の遺体を見つけた場所だ。
6月上旬、熊谷さんと一緒にその現場に向かった。熊谷さんにとっても、戦後71年で初めてのことだった。長崎大歯学部に続く坂道の横を抜けて、山側に向かって進む。この道は当時のままという。記憶を頼りに歩く。「だいたいここら辺なのは間違いない」。今はアパートなどが建つ付近を指して言った。
住宅はがれきの山となっていた。見つかった同級生の足がパンパンに膨らんでいた姿が今も目に焼き付いている。「ここで亡くなったのか。かわいそうなことをした」
熊谷さんが番組で見た写真は、長崎市が米国立公文書館での調査で収集したものだ。熊谷さんと現場を訪れた翌日、調査を担当した被爆者の深堀好敏(ふかほりよしとし)さん(87)=長崎市坂本3丁目=と同じ場所を再度訪れた。
深堀さんが言った。「私はここにいたんです」。深堀さんは被爆前、同市山里町(現・平野町)に住んでいたが、空襲が激しくなり、被爆5日前から同市坂本の親戚方で暮らしていたという。深堀さんは原爆投下翌日、その家で姉の遺体を見つけた。被爆当日も近くの山まで来たが、焼け野原となった街を見て、途中で断念していた。だが、この谷間だけは焼けていなかった。「当日にここまで来ていたら、まだ姉は生きていたかもしれない」とトラウマを抱えた。
深堀さんに、姉の遺体を見つけた家があった場所を尋ねると、偶然にも熊谷さんが指し示した場所と同じあたりだった。ほとんど同じ場所で、2人とも忘れがたい体験をしていた。写真を米国から持ち帰った深堀さんと、その写真を見た熊谷さん。1枚の写真が2人の体験をつないだ。
熊谷さんは長崎市の中心部、鍛…
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