東京電力福島第一原発の事故で南相馬市南部に出されていた避難指示が解除された。解除は6例目だが、対象者は1万人を超えてこれまでで最も多い。

 飯舘村や富岡町、浪江町などでは避難指示が続くが、政府は来年3月までに、放射線量の高い「帰還困難区域」を除くすべての地域で避難指示を解除する方針だ。

 避難生活が長引くほど暮らしの再建は難しくなる。除染やインフラ復旧の進み具合にあわせて解除時期を決めることは、再出発へのきっかけになるだろう。南相馬市でも、もとの暮らしを待ち望んだ住民が早速自宅に戻り、さまざまな団体が復興への活動を広げている。

 ただ、これまでの解除例を見ても「すぐに戻る」と考える人は1~2割にとどまる。

 他の地域へ移り住むことを決めた人のほか、仕事や教育、介護などの事情から当面は帰れないという人が少なくない。自宅のある集落の復興ぶりをもう少し見極めたいという人もいる。

 帰還か、移住か。すべての避難者がいずれは決断することになる。それぞれに生活再建を支える手立てを考えていく必要があるが、「まだ判断がつかない」という人たちへの支援も忘れてはなるまい。決断をせかし、追い込むような事態は避けなければならない。

 例えば損害賠償のあり方だ。東電が1人当たり月10万円を支払っている慰謝料は18年3月で打ち切られる予定だ。原発事故で収入が減ったりなくなったりした分への賠償も期限を区切られた。

 賠償金に頼りすぎると再出発への妨げになりかねない。ただ、事故前の生活に戻るめどがたたず、毎月の慰謝料が頼りという人もいる。

 個々の事情に応じて避難解除後も賠償を長めに続ける手立てを考えるべきではないか。裁判以外での紛争解決手続きにならい、弁護士らで中立機関を設けて判断するのも一案だ。

 「住民」の定義も再考したい。ひとまず移住を決めたものの、「いずれは帰りたい」「街の復興に関わりたい」と、故郷とのつながりを持ち続けることを望む被災者は多い。

 元の住所と移住先の両方に登録できる「二重住民票」や、2地点を行き来する「通い復興」の制度化などが学者から提案されている。被災地の復興にとどまらず、全国の過疎地での課題解決にもつながる発想だ。

 原発事故からの再生は、前例のない、長期間の取り組みになる。柔軟な発想で臨みたい。