東京都知事選の告示日の朝を迎えました。
ここまで候補者が浮かんだり消えたりしてきましたが、いよいよこれで選挙戦が始まります。
一連の騒動を通じて、異口同音に、「誰に投票すればいいのか分からない」「漉な候補者がいない」といった言葉をしばしば耳にしました。
それを聞いて、「みんな期待混じりの誤解をしているな」と思ったので、都知事の選び方について、ちょっと雑文をしたためておこうと思った次第です。
●選挙は「いい人を選ぶ手段」ではない
冒頭から失望させてしまいかねないのですが、選挙では「いい人」を選ぶのは困難です。今回の都知事選のように、一人を選ぶという選挙の場合は、特にそれが顕著だといえます。
理由は単純で、みんなが考える「いい人」の定義がバラバラだから。
ここでのいい人とは「いいと思うことを実現してくれる人」を指しますが、「いいと思うこと」も「それを実現してくれる人」も、どちらもバラバラです。なので「いい人を選ぶ」とは、バラバラとバラバラのかけ算の結果を、全体の意向として集約させるということを意味します。
もちろん選挙なので、そのかけ算による組合せは、一応数えられるくらいには収束するでしょう。しかしそれとて、全体で一つの結果として反映させることは、到底無理といえるでしょう。
●「悪い人を排除する」のが選挙
だとすると私たちは何のために選挙するのか。それも単純で、いい人を選ぶのではなく「どうしようもなく悪い人を排除する」ことしかできません。
この人は相応しくない、この人だけはどうしても当選させてはならない…それとて価値観によってバラツキは出てしまいますが、「本当にこいつはアカン」というのは、少なくとも「いい人」よりは揃えやすいはず。
なので、投票するというのは、いい人を選ぶことではなく、悪い人を排除する義務を担う、と言い換えることができるでしょう。なにしろ、たとえいい人がいなかろうと、「よりマシな人」に投票しなければ、悪い人は排除できなくなってしまうのです。
●悪い人の排除さえも確実ではないけれど
ここで都政に関心のある方からは、「そうは言っても選挙で選ばれた都知事がこのところ立て続けにスキャンダルで辞任に追い込まれているではないか」という反論が出てくるでしょう。
確かにその通りで、最近の都知事選で東京都の有権者は「悪い人を排除しきれなかった」と言えるかもしれません。
投票率が問題だったのでしょうか。前述の通り、有権者が投票しなければ、悪い人が生き残る可能性は高まります。しかし、前回(舛添さんが勝った選挙)こそ46.1%と平成に入ってから2番目に低い投票率でしたが、前々回(猪瀬さんが勝った選挙)は62.6%と、平成では最高の投票率でした。
都知事選挙投票率 | 東京都選挙管理委員会
http://www.senkyo.metro.tokyo.jp/election/turnout/tochiji-turnout/
では何が起きたのか。もちろん、選挙時に十分な情報開示をしなかったから、辞任した二人の知事が「悪い人」だったことを見抜けなかったというのも、あるでしょう。
ただここでもう一つの論点が浮上します。おそらく猪瀬さんも舛添さんも、選挙で落とすべき「どうしようもなく悪い人」ではなかったのではないか、ということです。
確かに、「政治とカネ」は根深い問題です。しかし騒動の末に振り返ってみて、「辞めるほどのことだったか?」と思う方は少なくないはず。
むしろ、かつての選挙の候補者を並べた時、少なくとも彼らに比べて「まーこの人じゃやっぱりダメだよな」という人の顔は、何人か浮かぶと思います。
●今回の都知事選で「悪い」とは何か
では改めて、どうすれば「落とすべき悪い人」を見つけることができるのか。
それは今回の都知事選で最も重視すべき争点を見定めて、それに対して総合的に「この人じゃダメだ」ということを評価するということだと、私は思います。
その前提で話を進めると、じゃあ今回の都知事選において重視すべき争点は何か、というのが次なる問いかけとなり、このあたりから主観が強くなっていきます。なので、以下はあくまで私の考えとしてお読みください。
今回の都知事選の争点を一つだけ選ぶとしたら、私は「都政の正常化」だと思っています。
オリンピック・パラリンピック対応や、少子高齢化対応、あるいは産業振興等、いろいろな争点が挙げられますが、正直そんな政策論争がすべて高尚に聞こえてしまうくらい、「それ以前」のところが最大の課題だと思うのです。
都知事には強大な権力・権限が認められています。しかし、都知事の権力・権限に対峙すべく、都議会も一定以上の権力・権限を有しています。この、性質の異なる二つの権力のぶつかりあいが、都政を構成します。
だとすると、いくら「悪くない知事」を選んだところで、都政が正常化しなければ、どんな政策も実現できないわけです。正直、オリパラの準備が云々とか、無理もいいところでしょう。
●都政の正常化は都議会との妥協とは限らない
ここまで書くと、「じゃあ次の都知事は都議会と折り合いをつけられる人がいいのか」、つまり都議会に妥協する大人しい人がいいのか、という意見が出てくるでしょう。
確かにそういう考え方もあります。そして都議会議員たちが推薦する候補は、いずれもそういう可能性をもった人たちかもしれない。
しかし、猪瀬さん、舛添さんと混乱が続いている原因は、果たして都知事たちの資質の問題にすべてを還元できるのか。前述の通り「辞めるほどのことだったか?」という問いを立ててみると、そんなことはないということに気づきます。
すべてとはいいませんが、やはりここまで都政が停滞した責任は、都議会の側にも大きく存在すると考えるのが、都政の権力構造を踏まえると、むしろ筋論に思えてきます。
だとすると、都政の正常化とは、身を切って交代を余儀なくされた都知事の選出と同じような、都議会の側も身を切るような変化がなければ、成立しないのではないでしょうか。
これはあくまで私見なので、これを読まれている皆さんに別のお考えがあれば、それはそれで正しいことだと思います。ただ、仮にそうした私見に一定の妥当性があるとしたら、少なくとも「都議会が推薦する候補」は、もしかすると選んではいけないのかもしれません。
●期待される行政経験とは何か
今回の候補者選びの中で「行政を統治する能力」あるいは行政経験が盛んに取り沙汰されました。確かに、「都政の正常化」が命題なのだとすれば、これはあった方がいい。
ただ、「ということは都知事だから県知事経験者ね」という発想も、安易すぎるとは思います。それ自体が重大な日本の課題ですが、東京はとにかく巨大です。東京に比肩しうる地方公共団体は、他に存在しません。さらに言えば、東京とそれ以外の地方公共団体は、利害が一致しないどころか、むしろ相反しているというのが「重大な日本の課題」でもあります。だから誰しもが未経験者と言えます。
だとしたら、東京都と同様の複雑で悩ましい機構での経験こそが、我々の必要とするものかもしれない。むしろ、なまじ他の地方公共団体や組織での経験を持って、自分は行政経験が豊富だと主張されるのは、大間違いもいいところ、かもしれません。
これに関しては、一時期出馬が取り沙汰された、桜井俊・元総務事務次官の時にも、私は違和感を覚えていました。
私も総務省の肩書きをいただいている(リンク)人間として、その高い品格や能力については、周囲の方々のお話も含めて重々承知しているつもりです。しかしながら、総務省という組織は、東京都とはまったく違う。
また、「いやいや旧自治省じゃないか」と言われる方もいらっしゃいますが、桜井さんに関してはそれこそ「いやいや旧郵政省ですよ」とお返事できてしまうわけです。
だから、桜井さんは、ご本人が固辞されていた以上、違うんじゃないかと私は思っていました。そしてそれと同じような思考で、いまの候補者を見定めたいのです。
●あとは個人の資質
それ以外の「候補者の悪さ」をどう評価するか。これは比較的簡単だと思います。
というのは、前述のように「最大の争点」さえ見定めてしまえば、それを実現できる能力の不足こそが「悪さ」になるからです。そしてそれにそれに優先順位を付けていけばいい。
ざっと考えてみても「健康」「思想信条」「人柄」などが挙げられます。これにどう優先順位を付けるかは、それぞれの有権者が個別に考えることですが、たとえば私は「健康」は相当大事だと思います。
個々人の資質や適性にも依存しますが、一般論として都知事というのは激務のはずです。だとしたらある程度の健康は維持していてくれないと、お話にならない。
だから、持病があってそれがかなり重篤だ、というような方は、ご辞退いただきたいわけです。それでも出馬するというのは、申し訳ないですけれど候補者の「趣味」に過ぎないので、それにお付き合いする義理もないし、それこそ「悪い」ということになります。
その観点で年齢というのもある程度は気になります。もちろん健康は個人差によりますので、年齢による足切りをするつもりはありません。ただそうはいっても、高齢になればなるほど健康上のリスクが高まることは、統計的な明らかさを考えるまでもないでしょう。
●今度の都知事選は期待せずに投票しよう
久々に書き下ろしのスーパー長文を書きました。でもスーパー長文なので、ほとんどの方はここまでたどり着いていないか、あるいはこのあたりしか読まれていないかもしれません。
政治的な影響力を強く発揮することを狙ってはいませんし、自分に向けての備忘録も兼ねているので、それでいいと思っています。
まとめると、悪い人を排除する義務を担うため、一票を投じたい人が見つからないという人ほど、投票すべきではないかと思います。そして白票ではなく、直感でもいいので、「この人はダメだ…」という人★以外★の候補者の名前を書きましょう。
つまりそれは「都知事選には期待するな」ということです。でもこれは都知事選に限ったことではなく、間接民主制の課題そのものでもあります。
それでもぼくらは、間接民主制を信じるしかない。それが無理なら独裁政治を含めた他者による一方的な統治を受け入れるしかなくなります。だから、チャーチルの言葉を引くまでもなく、そういうものだと受け入れるしかない。
そんなわけで、「よく分からないのは自分のせいじゃない」というくらいの軽い気持ちで臨めばいいんじゃないかと、そんなことを思っています。
大体、今回の選挙で任期満了まで行くと、オリパラ数週間前に次の選挙とかいう、バカ過ぎる政治日程になってしまうので、たぶん遠からずまた都知事選がありますよ、ハッハッハ。