【石坂浩二 終わりなき夢】(21)2人で作り上げた「もしゃもしゃ髪」
市川崑監督と初めて仕事をしたのは1975年、トヨタ「スターレット」のCMだと思っていた。でも「太陽のオリンピア」(69年)というメキシコ五輪映画の日本語版で市川監督が監修、私がナレーターで一緒だったらしい。2人とも全く記憶になかったが…。私と監督はトヨタのCMを結構長くやっていたが、終盤の方は監督が私のカットを撮ると「石坂ちゃん、後はよろしく」とコンテを置いて帰宅していた。私は残りのシーンを市川組のスタッフと撮っていたのだ。
なぜか監督は私に「一緒にいてくれ」といってはそばに置きたがった。たぶん、大監督だから周囲は気を使って何も言わない感じ。自分はCMからの付き合いで、ああ言えばこう言うというやつが珍しかったのかもしれない。監督が思い描く金田一耕助も2人で作り上げた。よれよれの着物で汚い格好、スズメの巣のような髪形。セル生地の着物はエキストラでも一番貧乏人が着る衣装だ。それを着て走ったらいきなり裂けたが、監督は「寝るときもあれでいい」。いたく気に入りシリーズ5作とも同じ衣装で、最後は裏打ちだらけになった。かばんは私が神戸の古物商で買ったもので、これは東宝に寄付をして後に金田一を演じた役者が使用している。
髪形は時間がかかった。「もう少しもしゃもしゃにしたい」という監督の要望に私も本気になる。毛を一度脱色してから黒に染め、そこにパーマをあててからパーマを取るとギシギシになった。監督は「そのスズメの頭いいね」と目を細めたが、傷め過ぎたせいか「悪魔の手毬唄」の後に髪が切れ始める。髪を守るために短く刈り上げたら、急きょ「獄門島」の撮影が決定し、仕方がなく前半はカツラで演じるはめになった。
監督の食事係も私の仕事だ。ある時、自分の昼食を控室で作っていたら「なんかうまそうだね」と気に入ってそれから専属コックに。監督は好き嫌いがすごくて、魚介類もダメなら野菜も口にしない。肉が好きで特に牛肉を好んだ。しかも焼き具合はかちかちのウェルダン。オムレツは食べるから健康のために野菜を食べてもらおうと牛肉と一緒にタマネギを混ぜたりするが、その具合が難しい。ちょっと野菜が多いと「なんだこれっ」となってしまうのだ。
映画で金田一が当たると、テレビドラマ化の話が来た。あの格好は私が発明したワケでもなく監督と一緒に生み出したもので、市川監督が作品に絡まない以上、私が出演することは無理な話だ。1話分の台本を読ませてもらうと、金田一が行き詰まると逆立ちするシーンがあったが、何かピンと来るモノはなかった。テレビの金田一シリーズは一度も見たことがない。(構成 特別編集委員・国分 敦)
女優・仲間由紀恵(ドラマ「東京湾景」「相棒」などで共演)「私が舞台『放浪記』をお受けすることになり、大きなプレッシャーで不安になっていた時、かつて実際に菊田一夫先生とお仕事をご一緒された当時のお話を聞かせてくださり、『大役だけれど、頑張ってくださいね』と勇気づけていただきました。この先もお元気で私たち後輩のご指導よろしくお願いいたします」