【石坂浩二 終わりなき夢】(18)役者を成長させる大河
「元禄繚乱」(99年)では吉良上野介を演じた。柳沢吉保も悪者扱いされているが、吉良ほど曲解されている人物はいない。私は刃傷事件の原因は浅野内匠頭の病気だと思っている。事件後に彼を預かった一関藩・田村家に残る資料を見ると「恨みがあった」と言い続けるだけ。一方で「たばこをくれ」とか切腹前の最後の食事では、ご飯のおかわりを求めるなど常人とは思えない行動が多い。浅野は天皇勅使の供応役を2回務めているベテランで、段取りが分からずいじめに遭うはずがなく、話を面白くするため吉良が悪者に仕立てられたのだ。
脚本の中島丈博さんは「大河で本当のことをやったら視聴率は取れない。でも、何とかひと味変えるから」と意をくんでくれた。それが大石内蔵助に討たれるシーンで「本当は恨んでなんていないんだろ」という吉良のセリフにつながったと思う。ドラマではそれが精いっぱい。役者としては史実とドラマは別ものと、割り切って演じるしかない。心苦しさを感じた私は吉良を演じて以来毎年、命日の12月15日にお墓のある東中野・功運寺へのお参りをしている。
「草燃える」(79年)で源頼朝を演じたが、彼も調べて印象が変わった一人だ。頼朝は関東にやっと富がたまる時代に平清盛によって伊豆国に流されたが、「これを利用しない手はない」と北条氏が考える。頼朝も宮廷と北条に乗っかり天下を取るが、結局は根絶やしにされてしまった。実にかわいそうな人なのだ。
大河の主役を3回(出演は9作)務めたが、この番組は役者を成長させてくれる場と思う。昔は週5日拘束で稽古は2日間。セットができていた時はそこでやるから風景や間が分かって演技に生かせた。衣装やメイクのチェックも兼ねているが、一度だけ本番でひげを付け忘れたことがある。監督が放送前に気づくが「分かりゃしない」とスルー。一件も問い合わせはなかったが、稽古をしてもこんなことが起きるのだ。NHKには民放にいない所作指導がいる。時代劇には決まり事が多く、座る時に袴(はかま)を膝裏で軽く折りバサっとしない。大紋の時はどこをつまんでどうやって着物を回すのか、蹴るような歩き方など…。勉強になることが多い。
先輩からの演技指導も伝統だ。私は「太閤記」で緒形拳さんにいろいろ教わったが、「元禄繚乱」では私が、息子役だったタッキー(滝沢秀明)とお付き合いした。2人だけ残った撮影で、座り方や所作など「こうするとカッコよく見えるよ」とか言ったが、これがすぐこなせるから歌手の方はやはり勘がいい。これも民放ではあまり見られない大河の良さ。若い人がもっと出て勉強する場になってほしい。(構成 特別編集委員・国分 敦)
◆思い出に残るロケ「大河の他に『明治の群像シリーズ』(76年)では大久保利通や陸奥宗光などやったが、小村寿太郎を演じた『ポーツマスの旗』(81年)は印象に残っている。長期の米国ロケだったから日本食に飢え炊飯器を持ち込んで作っていた。人気があったのが私の作った白菜の塩漬け。大きなゴミ箱を2つ買って、1つに唐辛子と塩を振りかけた白菜を、もう一つの箱に水を入れ重石代わりに。白菜を置いてあった洗面所でゴソゴソと音が…。泥棒かと焦ってのぞいてみると、ある俳優が漬物をあさっていた」