【石坂浩二 終わりなき夢】(15)ミスターのために描き上げた絵

2016年4月30日10時30分  スポーツ報知

 石原裕次郎さんと初めてお会いしたのは「走れメロス」(65年、TBS)で兄弟役で共演した時で、慶応の後輩ということでかわいがっていただいた。一度、裕次郎さんがやっていた(市ケ谷の)レストランに招待されたことがある。全面がガラス張りで、当時としては相当カッコいい造りだったのでよく覚えている。

 石原ご夫妻には浅丘さんとの結婚式で、立会人を務めていただいた。当時、裕次郎さんは体を壊して熱海の病院に入院中。式の前にあいさつに伺い、お礼を言うと「そんなものはたいしたことではない。いつでも遊びに来い」と。それで遊びに行くと「よし、街に行こう」と言い出す。「えーっ、大丈夫ですか」「この店だけはいいって先生から許可をもらってるんだ」。すでに居酒屋を貸し切っていて、アルコールもかなり入っていた。

 裕次郎さんはビール好きだ。「走れメロス」の撮りに入る前、プロデューサーと撮影所にあいさつに行った。別格の役者さんはそれぞれの部屋を持っていて、スター部屋が集まっている建物がある。裕次郎さんはその上のクラスで部屋ではなく建物丸ごとだった。部屋には初めて見るバカでかい冷蔵庫があった。扉を引き上げるタイプで氷が詰まって中にビールがダーッと…。聞けば、撮影の合間に部屋に来ては、水代わりにビールを飲んでいたそうだ。

 長嶋茂雄さんとは絵画を通じて知り合った。私が自由が丘で絵画展を開いた時、ご夫妻が訪ねてきたのだ。その後、私が司会をする「スター千一夜」にゲスト出演した時「監督就任のお祝いに何か差し上げたいのですが」と言ったところ「君、絵描くじゃない。展覧会に行ったら、女房が君の絵を気に入っちゃってね」。「じゃあ、監督のために描きます」

 ところがである。完成して渡そうと思ったらチームは最下位(75年)で、状態は悪かった。渡していいものか悩み「絵ができたんですが、今の時期がどうでしょう」。球団に相談すると「監督は気にしてませんから、渡していただいて大丈夫です」。後楽園球場に届けると監督は「覚えてくれてうれしいね」と感激してくれた。「柴田これ見ろ。土井も。いいだろう」とベンチの選手に次々と声をかけ、その中には王さんの姿もあった。

 その後もミスターとの付き合いは続く。監督のご子息は私が卒園した田園調布の「小さき花の幼稚園」に通っていた。聖フランシスコ派の幼稚園であんまり浄財が集まらない。守る会を立ち上げた時、会長は長嶋さんで副会長を私が務めることになったのだ。(構成 特別編集委員・国分 敦)

 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督「石坂さんとは長いお付き合いになります。初めてお話しした時に、とても気が合ったのを覚えています。絵が好きだという話をしたら、石坂さん自らが描いた立派な作品を贈っていただきました。ウチの近くにある幼稚園の存続に頭を下げて回ったこともありました。石坂さんはまだまだ若い。たくさんのファンが石坂さんを待っています。ドラマや映画や映画で一層ご活躍されるのを私もファンの一人として楽しみにしています」

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