【石坂浩二 終わりなき夢】(13)浅丘ルリ子のギャップに心揺れた

2016年4月28日10時30分  スポーツ報知

 昭和46年5月に浅丘ルリ子さんと結婚する。私が29歳で彼女が1つ上の30歳だった。きっかけは直近で共演した「2丁目3番地」(日本テレビ)だが、私はそれまで彼女をあまり知らなかった。日活は後発の映画会社で石原裕次郎さんが出てきてから大きくなったせいか、まだ自由が丘に直営館がなくて、見ていたのは大映か東宝の作品ばかり。日活=浅丘さんのイメージもなかったのだ。

 初めて会ったのは加賀まりこの紹介だ。「あなた、(浅丘は)いい女優さんよ。一度会っておいた方がいい」という感じだった。加賀は「本を読め」とかアドバイス好きで、浅丘さんの芝居に対する気持ちを私に伝えたかったのかもしれない。その頃、彼女のレコードもはやっていて、歌手もしているんだという程度の認識だ。3人で食事をしたが、映画スターのオーラはテレビ役者とはやはり違うと感じた。芝居の話を熱っぽく語っていたと記憶している。

 それ以来、彼女のテレビや舞台を注目するようになる。実際に見ると上手で、役者としてきっちり演じられる人だなと思った。それも感性だけでやっているのが彼女のすごみで、理論的なことを聞くと分からないし、そんなものは一切関係ない。台本を読んだ時の感覚だけで演じている、まさに天才肌の女優だ。秀才タイプは加賀さんの方で、ああ見えてかなりの勉強家ですから。違うタイプのお二人だから友人としてずっと付き合っていけるんでしょう。

 それからすぐに「2丁目3番地」で共演が決まる。仕事は楽しかった。演出の石橋冠さんと(義理の母役の)森光子さんが中心になって、出演者で熱海に泊まりがけで旅行に行ったり、実にゆったりしていた。森さんはその後、結婚に当たっても陰になり日なたになり見守っていただいた。森さんと初めてご一緒したのは東映のテレビ映画「大奥」(68年、フジテレビ)。ちゃめっ気があってセットに入った時には「私たちテレビの人間は、真ん中を歩いちゃダメ、壁の所をそっと歩かないと。真ん中を歩くのは映画の人」。わざと壁に沿って歩いては周囲を和ませていた。「2丁目―」でまた一緒になった時もうれしかった。

 熱海の旅行から帰って再び収録に入った時、あることに気づいた。浅丘さんが出演者がスタジオでつまめるようにと、ちょっとした総菜をこしらえて持ってきていたのだ。映画スターながら家庭的で細かく気がつく面を見せられ、激しいギャップに心が揺れた。食事に誘って、そこからはタンタンと事が進んだ。2人で最初に結婚を伝えたのは森さんだ。発表までかなり時間があったが心の中にしまってくださり、一切表に出ることもなかった。(構成 特別編集委員・国分 敦)

 ◆浅丘 ルリ子(あさおか・るりこ)本名・浅井信子。1940年7月2日、満州国・新京(現中国・長春)生まれ。75歳。54年に中学在学中に映画「緑はるかに」のオーディションに応募し、3000人の中からヒロインに選ばれて翌年に銀幕デビュー。小林旭主演の「渡り鳥」シリーズや石原裕次郎のアクション映画でヒロインを務め日活の看板女優に。64年には「夕陽の丘」で歌手デビューしている。映画「男はつらいよ」シリーズでは最多の4回、最後の作品「―寅次郎紅の花」でもマドンナ役を務めた。71年に石坂浩二と結婚し2000年に離婚。89年に東京都民栄誉賞、02年に紫綬褒章、11年に旭日小綬章を受章している。身長156センチ。血液型A。

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