【石坂浩二 終わりなき夢】(5)舞台出演でアイドル化…加賀まりこと交際秘話
昭和41年に「泥棒たちの舞踏会」で初舞台を踏んだが、これは共演した加賀まりこから持ち込まれた話だった。「太閤記」の終盤頃に「“泥棒―”をやるんだけど、相手役はあなたがいいと思うの。(劇団四季の)浅利(慶太)さんが日生劇場にいるから会ってくれない」と電話があり、タクシーを飛ばして行くと「君は慶応で演劇部にいたの。こんなのやるんだけど、やってみる」。あっという間に出演が決まった。
初舞台のプレッシャーはなかった。公演はヒットして追加公演も組まれたほどで、赤字続きの日生劇場にとっては久々の黒字公演だったそうだ。驚いたのは制服を着た女学生が客席を全部埋めていて、劇場の匂いもいつもと違っていた。加賀まりことくっつくと「ギャー、やめて」。悲鳴の度に加賀が「本当にうるさいわね」って怒っていた。まだアイドルという言葉はなかったけど、私はそんな扱いを受け異常な雰囲気だった。
加賀とは舞台が終わってから交際を始め、けっこう長く付き合った。公演中から彼女は厳しくて、毎日ダメ出しの連続。舞台が八百屋(奥が高い傾斜のついた舞台)といって、平らの場所と違って傾斜がきつくてバランスとれない。すると「なんでもっとカッコよくできないの」「はい、頑張ります」の繰り返し。それに彼女は「若いうちに本を読まなくちゃダメよ」と口酸っぱく言っていた。読書は好きだったけど、そのおかげでより本を読むようにはなったかも。ただ、彼女自身はそんなに本を読んでいたかな…。
ある時、女性誌「ヤングレディー」に追っかけられた。「太郎」(66年・NHK)の収録が終わり、僕が加賀とデートの場所に向かっていたら、知らない車がビタっと付いて来たので、予定を変更して一度自宅に戻った。携帯がない時代で、待ち合わせの店に電話を入れ彼女に事情を説明し、店を変えてデートをした。ちょっと不気味に思ったから、後でNHKに相談したら「番組の取材でOKしたのに」とプロデューサーが雑誌社に抗議して、編集長がおわびに一席設けることで手打ちに。ちゃっかり加賀と2人でごちそうになった。
この頃は舞台が当たり、僕自身もアイドルっぽくなっていた。2人とも劇団四季に入所していたからマスコミから目を付けられたのだろう。交際はしていたけど、あまり周りの目は気にしていなかった。加賀とはけっこう会わなかった時期もあったり、お互い違う人と付き合ったりして、なんとなく終わった感じ。今ではいい友人。“石坂浩二”としてのデビュー作「潮騒」からの付き合いですから…。まぁ顔を合わせれば、彼女の方が長くしゃべります。