
いま,「明日のハーモニー」というコマーシャルがTVで流されています.
タモリが環境や人の暮らしについて語るもので,一見,どこのコマーシャルかわかりません.
最後の0.2秒になって,一瞬トヨタのマークが出るというものです.
これ,関連HPでは,同名の
Webマガジンが作られていて,その出来の良さでも注目を集めています.
このコマーシャル,私たち名古屋人には,とても感慨深いものがあります.
私の記憶に間違いがなければ,これは,
タモリが起用された初めてのトヨタのコマーシャル
だと思います.
バブル真っ最中の頃,タモリと名古屋の関係は良いものではありませんでした.
元々は,ラジオ番組「オールナイト日本」のなかで,タモリがいわゆる
「名古屋いじめ」を盛んに行ったことにあります.
曰く,「東京と大阪に挟まれ独特のコンプレックスがある、田舎なのに都会ぶる、人間がずうずうしい、エビフライ(エビフリャー(^ ^;)をごちそうだと思っている、味が濃い,名古屋弁は響きが汚い(みゃーみゃー言う)」等々......
実際,料理については,名古屋料理全般に
味が濃いものが多いと言えるでしょう.味噌カツ,味噌煮込み,赤だしなどの味噌料理,きしめん,ひつまぶし,手羽先,すがきやラーメン 等々.....
味が薄い関西ー特に京都の人からは,「下品だ」とよく言われます.
実はこれには理由があります.
愛知県は,東京などに比べて第三次産業は盛んではありません.むしろ,産業の中心は,トヨタをはじめとする第二次産業です.製造品出荷額は28年連続で一位.品目では,自動車,自動車部品,電子部品はじめ,変わったところでは,デジタルカメラ,段ボール箱など,上位30品目中14品目で1位を占めています.また,意外なことに愛知は全国でも有数の農業県でもあり,多くの農作物出荷高で上位を占める第一次産業の県でもあるのです.
工業製品であれ,農作物であれ,実際に物を作るのは「労働者」(それも,肉体労働者)ですから,愛知県およびその中心の名古屋には,労働者が溢れてます.つまり名古屋は,基本的に
「労働者の街」なのです.
彼らは朝から晩まで,文字通り汗をかいて働きます.従って,デスクワーク主体の第三次産業従事者に比べれば,塩分を多く摂る必要があるーすなわち味が濃くなるわけです.
これに付随して,もう一つ,文化人から不評を買い易いこと.
それは,
「夜の早仕舞い」
夜10時になると飲食店でさえもその多くが店を閉めてしまう.12時を回れば,開いているのは一部の水商売のお店だけ.不夜城新宿は別格にしても,夜遅くまでにぎわっている東京や大阪・札幌・福岡などの街とは大違い.
なぜ名古屋の夜は早いのか?もうおわかりですね.彼らには翌日早朝よりきつい肉体労働が待っています.デスクワークのように,机の前に座ってうつらうつらしてるわけにはいかない.だから,翌日の仕事に支障が出ないように早く帰宅して眠る....
ところが,世論をリードする作家,芸術家,芸能人,学者などのいわゆる文化人は,夜昼は関係ありません.労働者(とくに農業従事者)のように,視床下部ー下垂体系の日内リズムーいわゆるサーカディアンリズムに従って生きることは,基本的に苦手です.
ですから,彼らから見れば
「早仕舞いの名古屋の街はつまらん!」
ということになります.
ついでに言えば,作家や学者などはほとんど肉体労働しませんから,名古屋の味付けは濃すぎて気にくわない.
そんなこんなで,バブル期には,タモリの尻馬に乗って多くの文化人が名古屋を揶揄したものです.村○龍から,椎○誠までも.
でも,彼ら文化人の名誉のために言えば,彼らの言ったことは間違っていません.
一般に
文化は遊びの延長から生まれます.
京都のお公家さんは,殆ど毎日のように遊んでいました.蹴鞠,楽曲,連歌,香道などから,多くの日本文化が生まれたわけです.働いて,食べて,眠ることに人生の多くを費やしている名古屋が,
「文化不毛の地」,「大いなる田舎」と言われるのは,ある意味もっともなことと言えましょう.
さて,ここからが本題です.
なぜあの頃「名古屋いじめ」だったのか?
当時は<
バブル経済の真っ最中.学生の就職先No.1は大正海上火災.若者は皆第三次産業に憬れる一方,製造業は
3Kと言われ忌み嫌われていました.
「汗水垂らして地道に働くことは格好悪い.楽でスマートに生きたい」
こういうポリシーで世の中全体が動いているとき,それとは全く反対の生き方をしている労働者の街とそのカルチャーが浮いて見えるのは当然でしょう.この観点から言えば,名古屋いじめはある意味「必然」だったと言えるでしょう.
時は流れ,バブル経済は弾け散りました.日本は長期のリセッションを経験し,大きなバブル後遺症を抱え込む.「失われた10年」の後,さらに数年を経て,ようやく上向いてきた日本経済.その原動力は,銀行でも商社でもなく,皮肉なことにトヨタを代表とする「製造業」でした.
一連の事象から得られる教訓はなんでしょうか?私はこう考えます.
全ての土地柄が同じである必要はない.むしろ多様だからこそ,様々な事態にも対応できるし,おもしろい.街だけではなく,人も,国も,文化も....
お公家さんも,お百姓が働いて生産していたからこそ,遊んでいられたわけです.生産がないところには遊びもあり得ず,従って文化も育ちません.名古屋みたいな都市があるから,京都や東京があるのです.日本全国が同じで良いわけないのです.
逆から見れば,名古屋いじめの本質は,
「違っている」ことでした.
食べ物が違う,言葉が違う,考え方が違う,価値観が違う.....
これって,学校でのいじめと同じですよね?
人間同士のいじめと同じで,
いじめた方は「軽い気持ち」ですが,いじめられた方はいつまでも鬱屈とした気持ちが抜けません.実際,自分の生まれ育った街とその文化の悪口を聞くのは,大多数の人にとって辛いことです.自分のこれまでの全てがそこで育まれたわけですから.それをテレビ・ラジオを通じて全国的にやられる...
自分が何か悪いことをしたならそれは改められます.
でも,「出身地」を言われても,それは変えられませんよ.
自分の努力で変えようがないことで悪く言われるのは,とても辛いものです.
この点,「差別」と共通するところがあります.
そういえば,「食べ物」と「言葉」は,我が国の差別の定番項目ですよね.
このようなわけで,「名古屋いじめ」の元締めであるタモリが,これまでトヨタのCMに起用されなかったのは当然でした.今回,ほぼ20年ぶりにようやくこのコラボレーションが実現したわけです.
これまで述べたことを踏まえてみると,このCM,色々おもしろいことが見えてきます.
① 従来のように,
タレントが車に絡んで直接アピールする形を採っていません.
一見何のCMか判らないうちに進行し,最後の最後で0.2秒だけ,トヨタのマークが出ます.
これはSpidermanさんが指摘しているように,企業のCSR活動の一環なので当然ではあります.でも,逆に言えばタモリを初めて起用するには絶好のシチュエーションでしょう.
② 環境とエコという
誰もが反対できない項目を取り上げている.
これもCSRとしては標準的ですが,タモリを使うというリスクを冒すには絶好の予防線です.
③ タモリが徹底的に
「紳士的」な態度で出演しています.そこに「オチャラケ」は一切ありません.このため,掲示板などでは,「タモリが牙を抜かれた」という書き込みが見られる程です.
④タモリが「タモリ」として出ていません.
本名「森田一義」名義で出演しています!
もうお解りですね(^^)
名古屋では今でもタモリに対する心情的なしこりを感じている人がいます.迂闊にCMに起用すれば,「何でタモリなんか使うんだ!」という地元からの非難が出る可能性がある.
だから今回のCM,トヨタもおっかなびっくりなんですよ.,出来るだけ非難が来にくい形で企画されたCM,私はそう感じました.
みなさんの感想はいかがでしょうか?
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Posted at 2007/08/22 19:58:02