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御本尊売込み計画 投稿者:正義の走者
投稿日:2016年 7月 7日(木)13時42分5秒 通報
さて皆さん、犀角大先生(笑)の貴重な証言(「ここ5年のこと」)と、私自身が得ている情報とを照らし合わせて、H社グループによる「御本尊売込み計画」の経過と顛末をまとめてみました。
2010年、Pが倒れられたのを、また大誓堂建築計画が具体的になってきたのを機に、T岡、H野のご本尊に関する謀略が始まった。彼らは御本尊入手への手蔓を探るべく、あろうことか、日蓮教団の裏で蠢く宗教ゴロ達にすり寄ってゆく。
まずH野が目を付けたのが、西山本門寺の混乱に乗じて自称坊主になったM本S明(M本K弥)だ。M本とは御存知のとおり元民音の職員で、かつてPに弓を引いて財務返還訴訟を起こした反逆者である。H野はこれに近づき、そこに集った犀角等と親密になる。
M本を口車に乗せ、一応僧形となった彼を仲介者にして各地の真筆本尊所蔵寺院を巡っては御本尊を物色し、各寺の住職を騙して写真撮影・複写制作を行った。そして最終的には金銭で複製の正式権利を得られそうな、西山蔵の建治二年(本尊集32a)と京都本満寺の弘安四年(本尊集107)に絞り込み、それぞれ本部提出用の複写が作成される。
制作にあたっては、2012年夏頃、西山本の写真を元に、なんと犀角が聖筆部の欠損部修正加筆を、日興筆部の修正加筆を表装業者に行わせ、版下を作らせたようだ。つまり犀角大先生監修のご本尊ということだ。制作・表装を請け負ったのはA野市のA柳表装店である。2012年7月頃の証言によればこの時点ではこの複製本尊はまだ表具店にあった。このすぐあとだと思われるが、やはりM本の紹介で京都本満寺の御本尊が複写制作されている。驚いたことに、こちらの文字の修正加工はH野自らがおこなったようで、
「『大聖人の文字は左右のバランスが悪いんだよね。 サインペンを使って直したよ』と、笑いながら話してきた」
と、H野の発言を犀角が証言している。
こうして作られた複製は、2012年の秋ごろ、本部に持ち込まれたが、本部で一蹴される。
このころ、本部は本部で日昇写の師弟会館安置の板本尊を、来る大誓堂に「大御本尊」として安置する計画を進めていたのだ。
しかしT岡はあきらめなかった。執行部がダメならPに直接直訴しようと考えたのである。そしてP直訴用に、今度は板本尊を制作する。しかもその板本尊は従来の木製ではなく、金属製で作成したのだった。陰刻するための原紙作りをまたしても犀角に依頼し、そこにPのお名前までかってに入れ込んだ。完成品は何故か犀角が一時保管をしていたという。開眼でもしていたのだろうか。その後、この板本尊は療養中のPに持ち込まれようとするが、これも寸前でH谷川によって拒否されてしまう。H谷川という男はともかく厄介なことに関わりたくないだけの責任感の無い男で、この時ばかりはそれが役に立った。
こうしてT岡やH野らの計画は失敗に終わったかにみえた。しかし、執行部の大御本尊計画が、当時の教学部の抵抗によって一時頓挫したとみるや、にわかに再燃する。
“2013年11月、大誓堂落成時のT川会長擁立はできなかったが、H田体制2期目の任期が切れる2016年11月までには、T川の会長就任は十分ありうる。そうなれば、まだ可能性はある"
と考えたT岡等は、2014年春頃、元副教学部長のJ内に協力させて本尊導入の教義的論拠を作らせ(「本尊に関する私論」)、再度、本部にねじ込もうと謀る。だが、K林の経営の失敗やそれまでの失策に懲りて、既にH社グループと縁を切ろうとしていたH田執行部はこれも無視したようだ。
このころにはT川もまた、H社との関係は自分に利にならないと判断してか、東大の先輩であるM田・K野に協力をさせて、教義改訂案を作らせ、2014年11月、本部執行部はこれをもとに会則及び教義変更を発表断行する。ところが、T川の期待とは裏腹に、会長の任期切れが1年後に迫った2015年11月、突然、会長任期を5年から4年に変更し、変更した新会則の施行に伴って、H会長は更に3年の任期延命を図るというウルトラCに出た。H田会長体制が3期目に突入してしまったのだ。
こうしてH社グループの、荒稼ぎを目論んだ“本尊売り付け計画“と、T川会長誕生の淡い期待は共に打ち砕かれたのである。
追伸
さらに現場の臨場感あふれる様子を知りたい方は、是非、犀角氏の「ここ5年のこと」(4)(5)(6)を御読み下さい。
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