爆笑問題・太田、不仲な父親と話せなかった代わりに永六輔と話せたことを感謝「永さんと色々話せたことは財産」
2016.07.13 (Wed)
2016年7月12日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『爆笑問題カーボーイ』(毎週火 25:00-27:00)にて、お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、不仲な父親と話せなかった代わりに、亡くなったラジオパーソナリティ・永六輔と話せたことを感謝していた。
田中裕二:永さん、亡くなってしまいましたね。
太田光:まぁ、永さん、ウチのね、親父の2つ下くらいなんですよ。
田中裕二:ああ。
太田光:83歳でしたかね。
田中裕二:昭和8年生まれ。
太田光:ああ、じゃあ1つ下ですね。ウチのおふくろも今、老人ホームにいますけどもね。
田中裕二:うん。
太田光:その年になるとね、色々と…まぁね。それでも、お元気だなぁってね、思ってましたけども。
田中裕二:うん。
太田光:私のようなものが、どうだったとかああだったとか、冗談じゃないですけど。
田中裕二:まぁまぁ。
太田光:舌噛んで亡くなっちゃったんですか?
田中裕二:違います。
太田光:違いますよね。分かるでしょ?
田中裕二:そんなんじゃないです。
太田光:ただ僕は、親なんですよ。親の世代なんですよ、永さんは。
田中裕二:まさにそうだよね。
太田光:僕は、親不孝ですから。親父も死んだのも83でしたから。
田中裕二:うん。
太田光:なんていうのかな。永さんとか、ああいう口うるさい…口うるさい人じゃないとは思いますけど、元々。
田中裕二:うん。
太田光:僕なんか、本当に繋がりと言えば、少ないものでしたけど。
田中裕二:うん。
太田光:ただ、やっぱりね、何回か会って。
田中裕二:うん。
太田光:怒られたよね。
田中裕二:『日曜サンデー』も来てもらったね。
太田光:じゃれ合ってもらいましたよ。こんな息子みたいな年齢なのに。
田中裕二:そうですね。
太田光:親父と何も話せなかった分ね、永さんとかの世代。もっと前で言うと、ハマコーさんとかね。
田中裕二:うん。
太田光:ギャーギャー、ギャーギャー、生意気なことを言って、怒られて。
田中裕二:うん。
太田光:談志師匠もそうですけどね。
田中裕二:うん。
太田光:なんて言うのかな。親父にできなかったような。
田中裕二:ああ、なるほどね。そういう関係とかね。
太田光:文化的なね…不倫は文化ですからね。
田中裕二:それは違いますね(笑)
太田光:そういう意味では、そういうことをお話できて。
田中裕二:うん。
太田光:小沢昭一さんなんかもね、そうでしたけども。
田中裕二:うん。
太田光:まぁ、言ってみればそういう世代の人たちと、交流。こういう番組とかだと、ちゃんと話せるじゃないですか。
田中裕二:うん。
太田光:でも、自分の親だと何も話せない。
田中裕二:そうだね。
太田光:だから、巨泉さんもそういう意味じゃ、心配だし。永さんのこと、報告を聞かれてるのかなぁとか思ったりもするけど。巨泉さんと大喧嘩したりね。親父とできなかったことをね、やってる意識はあったんです。
田中裕二:ほう、ほう。
太田光:やっぱりね、もちろん83歳。そんなにみんなね、悲しむべきことじゃないって、個人的に僕は思ってるんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:あそこまで生きて、最後までラジオをやって。
田中裕二:うん。
太田光:あんなに自由に…自由にっていうのもアレだけども、芸能に残るものをいっぱい作って。
田中裕二:そう、そう。
太田光:『上を向いて歩こう』なんて、これから永遠に歌い継がれるし。
田中裕二:日本の歌の中で、多分、一番聴かれた歌でしょうからね。
太田光:うん。だから、そういう意味では、舌噛んで亡くなっちゃったから…
田中裕二:舌噛んで亡くなってないです。そこだけ違うんだ、太田さん。
太田光:違うんですか(笑)
田中裕二:はい。発表では、肺炎ということになってますけど、ほぼ老衰に近いと先生は言ってるみたいね。
太田光:まさに大往生っていう。ウチの親父なんかね、最後、もう本当に、一人息子である俺にも話してもらえず。
田中裕二:うん。
太田光:最後に交わした会話が、「光、ごめんな」でしたから。
田中裕二:うん。
太田光:「俺、お前に何もしてやれなかった。お前、俺のこと嫌いだろ?」って。
田中裕二:凄いね。それが最期はつらいね。
太田光:俺、ビックリしたんですから。「なんだよ、嫌いだって思ってたの?」って言ったら、「だって、何も話さないしさ」って。病院に入院してたから、「この病室も、個室で高いだろ?迷惑しかかけてないし、何もしてやれなかったし」って言われた時には…
田中裕二:うん。
太田光:俺も、またそこでさ、「そんなことはないよ」って。
田中裕二:それくらいしか言えないよ。
太田光:「学校、出してくれたしさ」みたいな。
田中裕二:まぁね(笑)
太田光:「世話になったよ」って。
田中裕二:言えただけでも良かったよ。
太田光:そう言った時に、親父は凄い嬉しそうな顔をしてね。「そうかぁ、嫌いじゃなかったか、俺のことを。お前にしてやったか?俺」って言ったんですよね。
田中裕二:うん。
太田光:だから、本当に俺は親不孝だなって思ったけども。
田中裕二:うん。
太田光:そういう意味では、永さんと色々話せたことは財産ですね。
田中裕二:うん。
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田中裕二:永さん、亡くなってしまいましたね。
太田光:まぁ、永さん、ウチのね、親父の2つ下くらいなんですよ。
田中裕二:ああ。
太田光:83歳でしたかね。
田中裕二:昭和8年生まれ。
太田光:ああ、じゃあ1つ下ですね。ウチのおふくろも今、老人ホームにいますけどもね。
田中裕二:うん。
太田光:その年になるとね、色々と…まぁね。それでも、お元気だなぁってね、思ってましたけども。
田中裕二:うん。
太田光:私のようなものが、どうだったとかああだったとか、冗談じゃないですけど。
田中裕二:まぁまぁ。
太田光:舌噛んで亡くなっちゃったんですか?
田中裕二:違います。
太田光:違いますよね。分かるでしょ?
田中裕二:そんなんじゃないです。
太田光:ただ僕は、親なんですよ。親の世代なんですよ、永さんは。
田中裕二:まさにそうだよね。
太田光:僕は、親不孝ですから。親父も死んだのも83でしたから。
田中裕二:うん。
太田光:なんていうのかな。永さんとか、ああいう口うるさい…口うるさい人じゃないとは思いますけど、元々。
田中裕二:うん。
太田光:僕なんか、本当に繋がりと言えば、少ないものでしたけど。
田中裕二:うん。
太田光:ただ、やっぱりね、何回か会って。
田中裕二:うん。
太田光:怒られたよね。
田中裕二:『日曜サンデー』も来てもらったね。
太田光:じゃれ合ってもらいましたよ。こんな息子みたいな年齢なのに。
田中裕二:そうですね。
太田光:親父と何も話せなかった分ね、永さんとかの世代。もっと前で言うと、ハマコーさんとかね。
田中裕二:うん。
太田光:ギャーギャー、ギャーギャー、生意気なことを言って、怒られて。
田中裕二:うん。
太田光:談志師匠もそうですけどね。
田中裕二:うん。
太田光:なんて言うのかな。親父にできなかったような。
田中裕二:ああ、なるほどね。そういう関係とかね。
太田光:文化的なね…不倫は文化ですからね。
田中裕二:それは違いますね(笑)
太田光:そういう意味では、そういうことをお話できて。
田中裕二:うん。
太田光:小沢昭一さんなんかもね、そうでしたけども。
田中裕二:うん。
太田光:まぁ、言ってみればそういう世代の人たちと、交流。こういう番組とかだと、ちゃんと話せるじゃないですか。
田中裕二:うん。
太田光:でも、自分の親だと何も話せない。
田中裕二:そうだね。
太田光:だから、巨泉さんもそういう意味じゃ、心配だし。永さんのこと、報告を聞かれてるのかなぁとか思ったりもするけど。巨泉さんと大喧嘩したりね。親父とできなかったことをね、やってる意識はあったんです。
田中裕二:ほう、ほう。
太田光:やっぱりね、もちろん83歳。そんなにみんなね、悲しむべきことじゃないって、個人的に僕は思ってるんですよ。
田中裕二:うん。
太田光:あそこまで生きて、最後までラジオをやって。
田中裕二:うん。
太田光:あんなに自由に…自由にっていうのもアレだけども、芸能に残るものをいっぱい作って。
田中裕二:そう、そう。
太田光:『上を向いて歩こう』なんて、これから永遠に歌い継がれるし。
田中裕二:日本の歌の中で、多分、一番聴かれた歌でしょうからね。
太田光:うん。だから、そういう意味では、舌噛んで亡くなっちゃったから…
田中裕二:舌噛んで亡くなってないです。そこだけ違うんだ、太田さん。
太田光:違うんですか(笑)
田中裕二:はい。発表では、肺炎ということになってますけど、ほぼ老衰に近いと先生は言ってるみたいね。
太田光:まさに大往生っていう。ウチの親父なんかね、最後、もう本当に、一人息子である俺にも話してもらえず。
田中裕二:うん。
太田光:最後に交わした会話が、「光、ごめんな」でしたから。
田中裕二:うん。
太田光:「俺、お前に何もしてやれなかった。お前、俺のこと嫌いだろ?」って。
田中裕二:凄いね。それが最期はつらいね。
太田光:俺、ビックリしたんですから。「なんだよ、嫌いだって思ってたの?」って言ったら、「だって、何も話さないしさ」って。病院に入院してたから、「この病室も、個室で高いだろ?迷惑しかかけてないし、何もしてやれなかったし」って言われた時には…
田中裕二:うん。
太田光:俺も、またそこでさ、「そんなことはないよ」って。
田中裕二:それくらいしか言えないよ。
太田光:「学校、出してくれたしさ」みたいな。
田中裕二:まぁね(笑)
太田光:「世話になったよ」って。
田中裕二:言えただけでも良かったよ。
太田光:そう言った時に、親父は凄い嬉しそうな顔をしてね。「そうかぁ、嫌いじゃなかったか、俺のことを。お前にしてやったか?俺」って言ったんですよね。
田中裕二:うん。
太田光:だから、本当に俺は親不孝だなって思ったけども。
田中裕二:うん。
太田光:そういう意味では、永さんと色々話せたことは財産ですね。
田中裕二:うん。
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