こんにちは、芸術大好きToshiroです。いつもお読みいただきありがとうございます。今回は皆さんご存知のゴッホを紹介しようと思います。
フィンセント・ファン・ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホ(1853‐1890年)は後期印象派を代表する最も有名な画家です。生前は全く売れなかったのですが、死後に評価を高めました。また後世の画家への影響も大きいです。
1853年オランダのズンデルトというところで牧師の家庭に生まれます。ゴッホは小さい頃から癇癪持ちで、親の言うことを聞かなかったりと扱いにくかったようです。1866年、国立高等市民学校(中学)に進学しますが、2年後に中退します。その理由は不明ですが、成績や経済的要因があったと思われます。
69年にグーピル商会という大きな画商で働き始めます。最初はハーグ支店勤務でしたが、73年にはロンドン支店に転勤になります。おそらく人間関係の悪化や女遊びによるものです。ロンドンではある女性に恋をするのですがフラれ、孤独を味わい宗教に傾倒しました。
失恋のこともあり75年、パリ支店に転勤となります。パリでは聖書やキリスト教に関する書籍を読み漁りました。クリスマスの無断欠勤がきっかけで1月に解雇の通達を受け、4月に正式に解雇となります。
76年4月、職を失ったゴッホはイギリスに戻り、小さな寄宿学校で教師となります。しかし聖職者になりたかったゴッホは職を捨て、牧師であった父を訪ねます。が、「お前には無理だ」的なことを言われ書店で働き始めます。
それでも諦めることが出来なかったゴッホは父を説得し、神学部への受験を決意します。懸命に勉強に取り組んだゴッホでしたが、語学で挫折しました。大学への入学を諦めます。
勉強は出来ませんでしたが、聖職者への決意をより強固にしたゴッホは伝導師学校に入ります。しかしその資格を得ることが出来なかったため炭鉱などで独自に伝導を始めました。その熱意が認められ仮免許と資金が与えられますが、熱心過ぎたため後に仮免許が剥奪されます。
どうすることも出来なくなったゴッホはしばらく放浪。その後ゴッホの弟であるテオによる援助がはじまります。またこの頃から本格的に画家として活動を始めました。
一時絵の勉強のためブリュッセルに出ますが、資金が厳しいため実家に戻ります。ここでとある未亡人に好意を持つようになりますが、失恋。想いが強すぎたのか、その女性の両親からしつこいと言われ、またゴッホの父やその他の牧師とも仲が悪くなります。
次にゴッホはハーグに移りますが、ある娼婦(通称シーン)と知り合い、恋に落ち同棲を始めます。このことは家族や親族にも知られ、信用を失いました。
経済的に厳しかったゴッホは再び父の下へ。また小屋をアトリエとして使えることになりました。ここで年上の女性と恋に落ちるのですが、双方の家族から反発を受けます。後にその女性は自殺未遂で倒れ、スキャンダルとなりました。
このスキャンダルがきっかけになったのか、父が他界します。父が死んだのはゴッホのせい、ということで家を追い出されました。ここからは、トラブルがないわけではないのですが、ゴッホの代表作の完成や、巨匠たちの作品に触れ技術を高めていきます。
とはいえ経済的に困っていたゴッホはテオのいるパリへと向かい同居します。家族との関係は最悪でしたが、テオだけはまだ良かった(?)ようです。ですが、テオも不満が募り、後にゴッホを追い出しています。またこの辺りから日本の浮世絵に関心を示し、それに関する作品を制作しています。
テオの下を去ったゴッホはフランスのアルルへと向かいます(テオの援助は続いています)。ここでゴッホは画家の組合のようなものを提案しますが、これに乗ったのはゴーギャンのみでした。ゴッホはゴーギャンと共同生活を始めますが、口論となり共同生活は2か月で終わります。
ゴーギャンとの共同生活では、有名なゴッホの耳切事件が起きています。この事件の後ゴッホは精神病院に入院、ここでは比較的自由な生活が出来ていたようで多くの作品を残しました。ゴッホの代表作の多くがこの時に描かれたものです。
1年の入院生活のあとオーヴェル=シュル=オワーズに移りますが、その約2か月後自殺(諸説あり)。享年37歳。ちなみにテオも翌年亡くなっています。
作品紹介
ジャガイモを食べる人々
ゴッホ初期の代表作です。貧しい家族がジャガイモを食べている様子を描いた作品です。ゴッホは画家以前は聖職者を目指して炭鉱などで伝導をしていたのですが、その時の労働者たちの生活に深く共感していたようです。
靴
ゴッホの代表作です。本作以外にもゴッホは靴に関する作品を残しています。過酷な環境で使われたのか、ボロボロになっています。使用者の苦労が見え隠れしているかのようです。この靴の解釈は様々で、農民のものという説や、両方とも左足の靴に見えるためゴッホと弟テオのものだとする説などがあります。
ジャポネズリー:雨の橋
日本の浮世絵を模写した作品です。歌川広重の『名所江戸百景 大はしあたけの夕立』が元となっています。日本の表現が西洋的に描かれているのが非常に興味深いです。特に、西洋では雨を線で描くというようなことはしないので面白いですね。ゴッホは日本を愛していたのですが、それには宗教的な意味合いがあります。熱心すぎる伝導を行い教会から拒絶されたわけですが、ゴッホにとっては自然(宗教)が心の拠り所でした。ゴッホの目には、日本は完全な自然との調和を果たした理想的存在というような形に見えたのです。
タンギー爺さんの肖像
ゴッホの作品の中では比較的有名な作品だと思います。描かれているタンギー爺さんとは、ゴッホがよく行っていた画材店の店主です。お金の無い若い画家から愛されていたようで、ゴッホもタンギー爺さんにはお世話になっていました。将来はタンギー爺さんみたいになりたい、とゴッホは思っていたようです。また背景には浮世絵が描かれていますが、タンギー爺さんも日本に関心がありました。
画家の紹介が長くなったので今回はちょっと作品数少ないですけど、次回もゴッホ紹介するので勘弁してね(*´ω`)
今回もお読みいただきありがとうございました。
Toshiroでした。それでは、また。
メルマガに登録して頂くと特典をプレゼントしています。
この機会にぜひお受け取り下さい。
特典プレゼントの受け取りはこちら