日本の歴史上、初めて生前に譲位(退位)を行ったのは、第35代の皇極(こうぎょく)天皇とされる。中大兄皇子(なかのおおえのみこ)らが蘇我入鹿(いるか)を暗殺した645年の乙巳(いっし)の変の直後のことだ。この譲位によって、軽皇子(かるのみこ)が即位し、第36代の孝徳天皇となった。

 一方、最後に生前での譲位が行われたのは江戸時代後期、第119代の光格(こうかく)天皇の時だ。三十数年間在位した後、1817年に退位。その後は太上(だいじょう)天皇(上皇)となって、1840年に亡くなった。

 江戸時代以前には、生前に譲位して太上天皇になるというケースは決して珍しくなかった。125代の歴代天皇のうち、神代の9代を除いた残りの半数以上が生前の譲位だったという。

 一方、1889年に制定された旧皇室典範は「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践祚(せんそ)シ祖宗ノ神器ヲ承ク」として、天皇の死去によって皇位の継承が行われるとした。古来の制度では天皇と太上天皇はほぼ同等の権限を持つとされていたため、「院政」による政治構造の二極化を避けようとしたためとも言われる。

 今の皇室典範も「天皇が崩じたときは、皇嗣(こうし)(皇位継承の第一順位)が、直ちに即位する」とし、天皇の意思による譲位は想定していない。昭和天皇の晩年、国会で生前の退位が議論になったことがあるが、当時の宮内庁次長は「(皇室典範の)制定の趣旨として、歴史上見られたような上皇とか法皇とかが弊害を生ずる恐れがあるのではないか」などとして否定している。(編集委員・宮代栄一)