2016-07-12 [映画]『シング・ストリート 未来へのうた』
ステージ上でギターを鳴らし、「これは君の人生だ/どこへだって行ける(this is your life, you can go anywhere)」と歌うティーンエイジャーに対して、年長者が取れる態度はいくつかある。まずはその短絡さをたしなめること。人生の選択肢は限定されており、無限の可能性などありえないのだから、ものごとの判断は現実的かつ慎重であるべきだとアドバイスする方法である。しかしこれはいかにも退屈だ。十代が短絡的なのは当たり前で、それゆえに失敗するものだし、ある局面では、前へ進むために一度失敗しなくてはならない場合もある。かといって、かかるメッセージを信じていないにもかかわらず、ものわかりのいい大人を演じて「君はどこへだって行けるね」とうわべだけの同意を見せる姿勢はさらに耐えがたい。それは不誠実だし、子どもをばかにしている。では、十代の真ん中で夢を見る思春期の少年少女を描いた『シング・ストリート』を前にして、年長者であるわれわれはどのような態度を示すことが倫理的なのだろうか。
『シング・ストリート』は、1985年のダブリンでバンドを組む少年たちの物語である。『ONCE ダブリンの街角で』(’07)、『はじまりのうた』(’13)に続いて、音楽を描いた作品群で知られる監督、ジョン・カーニーの新作だ。過去2作との違いは、初めて十代を主役に据え、彼らの初期衝動から音楽のよろこびをとらえ直す点にある。その試みは成功し、少年たちが音楽を通じて感じる心の震えがダイレクトに伝わり、作品全体を新鮮さに満ちたものにしている。85年という時代設定らしく、バンドの目標がライブではなくミュージック・ビデオの撮影であることもユニークな着眼点だ。ビデオなど撮ったことのない彼らが、ちぐはぐな衣装とメイクでカメラの前に立つくだりには、つたなさと同時にクリエイティビティの萌芽を感じて胸がいっぱいになる。彼らは何かを作ろうとしているのだ、という事実に圧倒されてしまう。
ミュージック・ビデオの撮影場面が、しだいに少年の描く理想と渾然一体となる ”Drive It Like You Stole It” の演奏において、作品のエモーションは極に達する。家庭不和、経済的困窮、理不尽な学校教育など、主人公を取り巻く問題がいっぺんに解決するかのように、両親は仲むつまじく踊り、鬼教師は親愛の情を示し、兄はたくましく頼れる存在へと変化する。体育館はいつの間にかアメリカ映画のプロム会場となり、集まった人びとは演奏にあわせて踊り、バンドの音楽によって世界は完全な調和へといたる。何とうつくしい場面だろうか。むろん、それは演奏が続いているあいだのみで、音楽が終わると同時に、主人公はふと現実へと引き戻されてしまう。しかし、高校生であった私が音楽を聴いている瞬間とは、まさにそのようではなかったかとおもいだすのだ。音楽が流れているそのあいだにだけ現出する、完璧な世界があったのではないか。
劇中のバンド、シング・ストリートがどのような末路を辿るのかはわからない。あるいは観客は、ダブリンの高校でメンバー募集の貼り紙をして結成されたスクールバンドが、世界的なロックグループへと成長していく、その最初の瞬間を目撃したのかもしれない。もしくは、中年になった主人公はダブリンで郵便局員をしていて、ときおり弦の錆びたギターを取り出しては、なぜあのとき俺はロンドンなんかに行こうとおもったんだろうな、と苦笑まじりに考えるのかもしれない。いずれにせよ、主人公はロンドンへ向かう以外に方法がなかった。それは大きな感情の波にさらわれるようなもので、抗う手立てなどないものだろう。このフィルムがうつくしいのは、音楽を通じて主人公が感じた、どうしても拒絶できない未来の輝きにある。彼は音楽のなかに、世界の完璧な調和を見てしまったのだ。小さなボートが不安げに進んでいくラストにいたり、われわれはこのフィルムに対していかに倫理的でいられるのかという当初の問いへ立ち返る。それは、主人公たちのやむにやまれぬ選択を祝福することだろうか。やがて味わうことになる苦い後悔を想像することだろうか。いずれにせよ私は、彼らの存在そのものを肯定したい気持ちでいっぱいになるのだ。