伊集院光、永六輔が亡くなる直前までラジオ番組復帰を切望していたと明かす「亡くなる前日もスルメで顎の筋トレ」
2016.07.13 (Wed)
2016年7月12日放送のTBSラジオ系のラジオ番組『伊集院光とらじおと』(毎週月-木 8:30-11:00)にて、お笑い芸人・伊集院光が、ラジオパーソナリティ・永六輔が亡くなる直前までラジオ番組への復帰を切望していたと明かしていた。
伊集院光:永六輔さんが、亡くなられて、亡くなられてたんですね。我々が知ったのは、昨日ですけれども。
上田まりえ:はい。
伊集院光:やっぱり、思い出深いですね。僕としては、思い出深くて。やっぱり、僕はずっと有楽町、ニッポン放送でラジオのキャリアをスタートさせて、育って。
上田まりえ:はい。
伊集院光:その後に、TBSに来まして。そのTBSに来る時に、やっぱりこの局では…まあ、何人かいますけどね、大沢悠里さんも当然そうなんですけど、永六輔さんが喋ってる局で。
上田まりえ:はい。
伊集院光:もっと言えば、その永六輔さんを見たいし、会いたいし。永六輔さんと言葉を交わしたいと思ってて。多分、最初は『全国こども電話相談室』で共演させていただいたんですよ。
内山研二:ああ、そうですか。
伊集院光:それで、その頃はメールで色んな投稿をいただくように。はがきから、徐々にメールに移ってきた時期で。僕も、ラジオのキャリアをスタートさせた時は、メールないですから。全部ハガキだったから。
上田まりえ:ええ。
伊集院光:たまたま、本番前に実はそれまですでに、10年ぐらいラジオをやってましたから。ハガキは、何となくパッと見た瞬間に、字が綺麗・汚いじゃないんですよね。収まり方とか、文字情報以上に、何か熱量とか。
上田まりえ:ああ。
伊集院光:パッと見た時に、「このハガキ、面白くなる」というような感覚みたいのがあった。だけど、それがメールの印刷したものに関しては、まだ捉えきれてない、みたいな話をしたら、永さんが、「君みたいな若い世代も、そうなんだ」みたいな話をしてくれて。
上田まりえ:へぇ。
伊集院光:それこそ、他の番組でもそんな話をしてくれたのが最初で。あと、当時ね、自転車に乗ってらっしゃって。永さん。まだ、20年ぐらい前じゃないかな。「まだ」っていうのが、僕もおっさんになったなと思いますけど。20年ぐらい前、永さん現役で、わりときちんとロードバイクに乗ってて。
上田まりえ:へぇ。
伊集院光:色んなところ、全国回ってて。正直、「元気なじいさんだな」と思いましたよ、僕は。
上田まりえ:フットワーク軽い。
伊集院光:それでね、なんか「永六輔らしい話だな」と思ったのが、ご家族の話だと、「ラジオに戻りたい」という意識が凄く強くて。「もう1回、ラジオやりたい」っていう意識が強くて。あご周りの強化のために、するめを食べるようにしていて。
上田まりえ:へぇ。
伊集院光:亡くなった前の日も、するめとアイスがお好きで、アイスを食べてするめを噛んで。額関節の筋トレですよ。要はもう、現役復帰のためにバットを振るのと一緒。その話を聞くと、「やっぱり凄ぇなぁ」と思いますね。
内山研二:うん。
伊集院光:内山さんは、だってそれこそ永さんが、番組のプロデューサーの立場で入った時ありますよね?
内山研二:最後の頃は、そうでしたし、後はニュースデスクとしてね、ニュースをお伝えする立場だったんですけども。永さんの番組で思い出しますとね、1991年に『土曜ワイド』が再び始まる初回の時に、今まさに、伊集院さんがおっしゃった、「ハガキ」ですね。
伊集院光:はい。
内山研二:「私の見た東京」だったかな。なん、そういうようなテーマで、延々そのハガキを紹介されるんですよ。ただ、それだけなんです。だけれども、それこそ駅の改札で、紙の切符でパチパチと切るでしょ。そうすると、カスといいますかね、切った後、山になると。「それが私は、初めて東京を感じた時です」とかね。
伊集院光:わぁ。
内山研二:そういう話を、ずっと紹介されていくんですよ。そうすると、「人の数だけ東京がある」と聞こえてくる。やっぱりラジオの想像力というか、伝え方というか、奥の深さというのをものすごく感じて。「やっぱり、この方は凄い人なんだ。本当に言葉を大切にされている方なんだ」と強く思いましたね。
伊集院光:それこそ、お会いした頃に永さん、「何が一番したいですか?」みたいな話をしてて。それで、「できれば土曜日やっていたラジオを、24時間やりたい」って。
上田まりえ:えっ!?24時間?
伊集院光:ラジオが好きで、「24時間、延々と番組をやりたい」とおっしゃってて。まぁ、ラジオが好きだって。2005年、10年ぐらい前。凄いよね、10年前ですよ。もう72~3ですよね。72~3にして、「ラジオを24時間やりたい」と言ってるんだから(笑)
内山研二:はっはっはっ(笑)凄い、凄い。
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伊集院光:永六輔さんが、亡くなられて、亡くなられてたんですね。我々が知ったのは、昨日ですけれども。
上田まりえ:はい。
伊集院光:やっぱり、思い出深いですね。僕としては、思い出深くて。やっぱり、僕はずっと有楽町、ニッポン放送でラジオのキャリアをスタートさせて、育って。
上田まりえ:はい。
伊集院光:その後に、TBSに来まして。そのTBSに来る時に、やっぱりこの局では…まあ、何人かいますけどね、大沢悠里さんも当然そうなんですけど、永六輔さんが喋ってる局で。
上田まりえ:はい。
伊集院光:もっと言えば、その永六輔さんを見たいし、会いたいし。永六輔さんと言葉を交わしたいと思ってて。多分、最初は『全国こども電話相談室』で共演させていただいたんですよ。
内山研二:ああ、そうですか。
伊集院光:それで、その頃はメールで色んな投稿をいただくように。はがきから、徐々にメールに移ってきた時期で。僕も、ラジオのキャリアをスタートさせた時は、メールないですから。全部ハガキだったから。
上田まりえ:ええ。
伊集院光:たまたま、本番前に実はそれまですでに、10年ぐらいラジオをやってましたから。ハガキは、何となくパッと見た瞬間に、字が綺麗・汚いじゃないんですよね。収まり方とか、文字情報以上に、何か熱量とか。
上田まりえ:ああ。
伊集院光:パッと見た時に、「このハガキ、面白くなる」というような感覚みたいのがあった。だけど、それがメールの印刷したものに関しては、まだ捉えきれてない、みたいな話をしたら、永さんが、「君みたいな若い世代も、そうなんだ」みたいな話をしてくれて。
上田まりえ:へぇ。
伊集院光:それこそ、他の番組でもそんな話をしてくれたのが最初で。あと、当時ね、自転車に乗ってらっしゃって。永さん。まだ、20年ぐらい前じゃないかな。「まだ」っていうのが、僕もおっさんになったなと思いますけど。20年ぐらい前、永さん現役で、わりときちんとロードバイクに乗ってて。
上田まりえ:へぇ。
伊集院光:色んなところ、全国回ってて。正直、「元気なじいさんだな」と思いましたよ、僕は。
上田まりえ:フットワーク軽い。
伊集院光:それでね、なんか「永六輔らしい話だな」と思ったのが、ご家族の話だと、「ラジオに戻りたい」という意識が凄く強くて。「もう1回、ラジオやりたい」っていう意識が強くて。あご周りの強化のために、するめを食べるようにしていて。
上田まりえ:へぇ。
伊集院光:亡くなった前の日も、するめとアイスがお好きで、アイスを食べてするめを噛んで。額関節の筋トレですよ。要はもう、現役復帰のためにバットを振るのと一緒。その話を聞くと、「やっぱり凄ぇなぁ」と思いますね。
内山研二:うん。
伊集院光:内山さんは、だってそれこそ永さんが、番組のプロデューサーの立場で入った時ありますよね?
内山研二:最後の頃は、そうでしたし、後はニュースデスクとしてね、ニュースをお伝えする立場だったんですけども。永さんの番組で思い出しますとね、1991年に『土曜ワイド』が再び始まる初回の時に、今まさに、伊集院さんがおっしゃった、「ハガキ」ですね。
伊集院光:はい。
内山研二:「私の見た東京」だったかな。なん、そういうようなテーマで、延々そのハガキを紹介されるんですよ。ただ、それだけなんです。だけれども、それこそ駅の改札で、紙の切符でパチパチと切るでしょ。そうすると、カスといいますかね、切った後、山になると。「それが私は、初めて東京を感じた時です」とかね。
伊集院光:わぁ。
内山研二:そういう話を、ずっと紹介されていくんですよ。そうすると、「人の数だけ東京がある」と聞こえてくる。やっぱりラジオの想像力というか、伝え方というか、奥の深さというのをものすごく感じて。「やっぱり、この方は凄い人なんだ。本当に言葉を大切にされている方なんだ」と強く思いましたね。
伊集院光:それこそ、お会いした頃に永さん、「何が一番したいですか?」みたいな話をしてて。それで、「できれば土曜日やっていたラジオを、24時間やりたい」って。
上田まりえ:えっ!?24時間?
伊集院光:ラジオが好きで、「24時間、延々と番組をやりたい」とおっしゃってて。まぁ、ラジオが好きだって。2005年、10年ぐらい前。凄いよね、10年前ですよ。もう72~3ですよね。72~3にして、「ラジオを24時間やりたい」と言ってるんだから(笑)
内山研二:はっはっはっ(笑)凄い、凄い。
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