心臓が捻り潰されてしまいそうな失恋の衝撃も、会社の評判や将来を左右しかねないほどの責任も、しばらくの時間が経過するとともに不思議と和らいでいるものである。
ところがこうしたヤバいほどヤバい感情やプレッシャーと対峙しているまさにその瞬間には、ほぼほぼ為す術がないように思われる。存在するかどうかも定かでないが、その実体も確認できぬほどの圧迫感には逃げ出そうにも逃げ場がない。
そんな感情たちと向き合う上で役立った、5つの方法を紹介したい。
異性と寝る
この方法は非常によく効く。どんな激しいプレッシャーに苛まれても、異性と肌を重ねている瞬間は脳内を快感物質が駆け巡る。そうして分泌されたであろうホルモンたちは「脳を越え山を越え谷越えて」一気に天界か賢者の里へと己を導くのである。
ここでバッドトリップに陥らずに天界にて精神的な充足と安定を勝ち得たものは良しとしよう。しかし運悪く賢者の里へバッドトリップを果たした者は辛い。
ちなみに女の子にとっては、不安や寂しさを「異性と寝る」ことで一時的にバランスをとるような人が多いかと思う。だいたいナンパについてきたり、その場の流れで体を許してしまう子には、なんらかの「寂しさ」や「満たされなさ」を抱えている場合が多いと思うがいかがだろうか?
外国に行く
あまりに失恋のショックが強すぎて、俺は海外逃亡をしたことがある。とにかく元カノがいた環境を強制的にリセットしなければ、日常生活も憂鬱で仕方なかったほど、俺の未練と業は深かった。
こうした「強引にも海外に場所を移す」という方法はかなり奏功した。話す言語も、食文化も、時間感覚も何もかもが異なる空間に己を置くだけで、かなりの気分転換になったからだ。
海外に逃亡するなんて鼻に付く表現に思うが、結局のところ一種の「自分探し」に相違ない。養老孟司氏が「自分を探している自分は誰なんだ」と揚げ足をとるようにして、そのような無駄な思考や行動はよせと言っていたのを思い出す。
逃亡期間を無事終了させた頃には、気持ちの整理がついていた。金と時間がかかる方法ではあるが効果はあった。
ランニングで体力的に追い込む
もっと現実的な方法はランニングなどの有酸素運動に取り組むこと。これは最近よくやるのだが、どんなに仕事で疲れていても、不思議と体は疲れていないことがある。精神的な疲れが、ありもしない疲労感を生み出している気がするのである。
受験生の頃にとある塾講師が言っていた言葉がある。
「精神的疲労は肉体的疲労によって癒される」
「ただし逆は成り立たない」
21世紀のホワイトカラーに向けられるべき言葉であるはずが、これが受験生に届けられたのだから受験とやらは相当な労力だったのだろう、か?否、過去の経験は誇張されがちでである。いまじゃよっぽどサラリーマンの肩を持ってもらいたいものである。
水中で1分以上息を止める
最近試したこの方法。
不安や不満も見事に処理され、一番よく眠れた気がする。
どうやったかというと、実家の湯船にたっぷりとお湯をはり、鼻をつまんで飛び込むのである。おそらく自分の感じているプレッシャーなんかより、よっぽど水圧のなせる力の方が強大だったのだろう。風呂から上がる頃にはのぼせかえって死にそうであった。
己の感じるプレッシャーなど偉大な自然法則の比ではない。
友達に抱きしめてもらう
なんやかんや持つべきものは友達であるとは、よく聞くセリフ。
俺はあまりに巨大な不安を感じた時には「抱きしめてくれないか!」と依頼する先がある。友達のTくんだ。
Tくんはぶれない男として一定の評価を与えられている。彼には波がなく、落ち込んでいるんだ、と呟く時も全くその様子が伺えない。素でポーカーフェイスを装う特技の持ち主なのだ。
そんな彼との付き合いもそろそろ20年近くになる。
いつも困った時や不安な時には頼りになる。
「抱きしめてくれないか」
この言葉を俺に言わせるだけで、俺は毎度すでに熱く抱擁を交わしてもらえた気になるから不思議である。まさに虚像の抱擁こそ実体を帯びるのである。
そうしてポーカーフェイスにつけられるのはいつも熱いビンタ痕である。彼は皮肉にも人の表情を崩すのも抜群に上手い。表情の崩れは凝り固まった感情にもヒビを放つのだ。
なんだかんだそんなやりとりが一番力を与えてくれるのである。