福島 南相馬 再出発喜ぶ人も すぐに戻れない人も

福島 南相馬 再出発喜ぶ人も すぐに戻れない人も
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東京電力福島第一原発の事故で福島県南相馬市に出されている避難指示の大部分が、12日午前0時に解除されました。対象の住民はおよそ1万800人と、これまで解除された自治体の中で最大です。原発事故から5年4か月を経て、12日、南相馬市では再スタートを喜ぶ住民の姿があった一方、すぐには自宅に戻れない住民もいました。
避難指示が解除された南相馬市小高区では、12日朝、地元の商工会の女性たちが、手作りのカレーでお祝いしようと、中心部にある広場に集まりました。そして、大きな鍋に100食分のカレーを作り、色とりどりの夏野菜と共に1皿ずつ盛りつけると、「お帰りなさい」と声をかけながら、戻って暮らす住民や避難先から駆けつけた住民に配っていました。
カレーは、小高区の出身でサッカー日本代表の専属シェフを務める西芳照さんに教わったもので、会場では西さんも盛りつけを手伝いました。
訪れた人たちは、カレーを味わいながら、5年4か月ぶりに避難指示が解除された地元での交流を楽しんでいました。
小高区の60代の女性は「みんなでカレーを食べようと仲間を連れて来ました。やっとこの場所で5年前と同じ生活ができるのでよかったです」と話していました。
カレー作りをした小高商工会女性部の小林友子さんは「再スタートの日なので、皆さんが来てくれたのがいちばんです。これからも地元のために頑張ります」と話していました。

南相馬市小高区にある老舗のラーメン店「双葉食堂」は、震災と原発事故後、市内の避難先で営業を続けたあと、市の許可を得て、ことし5月下旬に元の店に戻り、営業を再開しました。
60年以上地元で親しまれてきた店には、避難指示が解除された12日の昼前、小高区に戻って暮らす住民などが次々に訪れました。そして、60席ある店内はまもなく満席になり、外には行列ができました。
にぎわう店の中で、店主の豊田英子さん(67)が作った自慢のしょうゆラーメンが運ばれてくると、訪れた人たちはおいしそうに味わっていました。
小高区の職場に通う39歳の女性は「高校生のころから食べていますが、さっぱりしていて、とてもおいしいです。この辺りはまだ食べるところも少ないので、頑張ってほしい」と話していました。
店には、12日朝に地元で運転が再開されたJR常磐線の列車を描いた、豊田さんの孫の絵も飾られています。豊田さんは「小高区は家族や地域の人たちとの思い出が詰まった大事な場所です。JRも再開したので、訪れる人が増えるよう、おいしいラーメンを提供していきたい」と話していました。

南相馬市小高区のJR小高駅前にある老舗旅館「双葉屋旅館」は、ことし1月から、市の委託を受けて、自宅の片づけなどに戻った住民の宿泊を受け入れてきましたが、12日から、5年4か月ぶりに一般の宿泊客の受け入れを再開しました。
本格的な営業を再開した旅館の玄関には、地元の商店街から届けられたお祝いの花がいくつも飾られ、チェックインの時間を前に、おかみの小林友子さんが、部屋にお茶を用意したり布団を敷いたりして、客を受け入れる準備をしていました。
12日夜は仕事で訪れる人など5人が宿泊するということで、今後も、今月下旬に開かれる伝統の夏祭り「相馬野馬追」の見物客の予約も入っているということです。
小林さんは「原発事故の直後はもう営業できないと思ったこともありましたが、これからは1人でも2人でもお客さんが泊まれる宿を続けていきたい。1人で営業しているので大変ですが、できるかぎり頑張りたいです」と話していました。

カレーふるまい祝う 旅館も営業再開

避難指示が解除された南相馬市小高区では、12日朝、地元の商工会の女性たちが、手作りのカレーでお祝いしようと、中心部にある広場に集まりました。そして、大きな鍋に100食分のカレーを作り、色とりどりの夏野菜と共に1皿ずつ盛りつけると、「お帰りなさい」と声をかけながら、戻って暮らす住民や避難先から駆けつけた住民に配っていました。
カレーは、小高区の出身でサッカー日本代表の専属シェフを務める西芳照さんに教わったもので、会場では西さんも盛りつけを手伝いました。
訪れた人たちは、カレーを味わいながら、5年4か月ぶりに避難指示が解除された地元での交流を楽しんでいました。
小高区の60代の女性は「みんなでカレーを食べようと仲間を連れて来ました。やっとこの場所で5年前と同じ生活ができるのでよかったです」と話していました。
カレー作りをした小高商工会女性部の小林友子さんは「再スタートの日なので、皆さんが来てくれたのがいちばんです。これからも地元のために頑張ります」と話していました。

南相馬市小高区にある老舗のラーメン店「双葉食堂」は、震災と原発事故後、市内の避難先で営業を続けたあと、市の許可を得て、ことし5月下旬に元の店に戻り、営業を再開しました。
60年以上地元で親しまれてきた店には、避難指示が解除された12日の昼前、小高区に戻って暮らす住民などが次々に訪れました。そして、60席ある店内はまもなく満席になり、外には行列ができました。
にぎわう店の中で、店主の豊田英子さん(67)が作った自慢のしょうゆラーメンが運ばれてくると、訪れた人たちはおいしそうに味わっていました。
小高区の職場に通う39歳の女性は「高校生のころから食べていますが、さっぱりしていて、とてもおいしいです。この辺りはまだ食べるところも少ないので、頑張ってほしい」と話していました。
店には、12日朝に地元で運転が再開されたJR常磐線の列車を描いた、豊田さんの孫の絵も飾られています。豊田さんは「小高区は家族や地域の人たちとの思い出が詰まった大事な場所です。JRも再開したので、訪れる人が増えるよう、おいしいラーメンを提供していきたい」と話していました。

南相馬市小高区のJR小高駅前にある老舗旅館「双葉屋旅館」は、ことし1月から、市の委託を受けて、自宅の片づけなどに戻った住民の宿泊を受け入れてきましたが、12日から、5年4か月ぶりに一般の宿泊客の受け入れを再開しました。
本格的な営業を再開した旅館の玄関には、地元の商店街から届けられたお祝いの花がいくつも飾られ、チェックインの時間を前に、おかみの小林友子さんが、部屋にお茶を用意したり布団を敷いたりして、客を受け入れる準備をしていました。
12日夜は仕事で訪れる人など5人が宿泊するということで、今後も、今月下旬に開かれる伝統の夏祭り「相馬野馬追」の見物客の予約も入っているということです。
小林さんは「原発事故の直後はもう営業できないと思ったこともありましたが、これからは1人でも2人でもお客さんが泊まれる宿を続けていきたい。1人で営業しているので大変ですが、できるかぎり頑張りたいです」と話していました。

避難中に病気に 医療体制に不安

南相馬市小高区から避難した、杉道晴さん(67)と智子さん(62)の夫婦は、市内の原町区にある仮設住宅で暮らしています。
自宅がある小高区の避難指示は解除されましたが、医療体制に不安があり、すぐには戻れないといいます。
杉さん夫婦は毎日のように仮設住宅から自宅に通って自宅の片づけをしていて、12日も智子さんが午前中から庭の手入れをしていました。雨漏りなどで傷んだ母屋も、ことし春までに修理を終えました。
しかし、避難生活が長引くなかで、夫の道晴さんがおととし、心臓病になったうえ、去年の3月からは脳梗塞で足が不自由になり、医師からは、容体が急変したときのことを考えると、医療体制の整っていない環境で生活するのは難しいと言われています。
さらに、近所の住民もすでに自宅を取り壊して戻る予定がなく、万が一のときに助けてくれる人が近くにいないため、不安が増すといいます。
智子さんは「一生懸命働いて建てた自宅に夫婦そろって元気に帰還できればよかったのですが、まだ医療も十分ではなく、近所に住む人もいないので、不安が大きいです。避難指示が解除されても、復興が進んでいるという気持ちにはなれません」と話していました。