「伊勢うどん」の名付け親…関係者ら悼む
テレビやラジオ、エッセーなどで人気を博した永六輔さん(83)が7日に死去した。東海地方でも足跡を残し、親交があった関係者はその死を悼んだ。
やわらかい麺に真っ黒なタレを絡めて食べる三重県伊勢市の名物「伊勢うどん」。実は永さんがその名付け親で、地元を代表する味として売り出すきっかけをつくったという。
同市麺類飲食業組合の青木英雄組合長(76)によると、1971年ごろに伊勢を訪れた際に初めて食べ、当時は地元で単に「うどん」と呼ばれていた食べ物をラジオや本で「伊勢うどん」と紹介。それを知った青木さんの父で組合長だった光雄さん(故人)が「伊勢うどんに統一しよう」と組合に提案し、定着したという。
青木組合長は7、8年ほど前、伊勢の講演会で初めて会って立ち話をした。「次はゆっくり会いましょうと約束し、手紙ももらった。伊勢うどん談議をするのを楽しみにしていたのに」と悲しんだ。
永さんがよく訪れた同市岩渕の人気うどん店「ちとせ」の店主は「小さな店が知られるようになったのは永さんのおかげ。永さんが愛してくれた本場の伊勢うどんを守り続けたい」と話した。
永さんと20年以上の付き合いがあるというパーソナリティーのつボイノリオさんは「知人の中で心から『偉大』と思える方だった」と振り返る。最初の出会いは95年、つボイさんがパーソナリティーを務めるラジオ番組だった。その後は名古屋に来る度、「遊びに来ただけ」と出演料を受け取らず、番組に突然顔を出したりした。
「永さんが『つボイの番組は面白い』と言ってくれ、『あの永が面白いというのだから』と言って聴いてくれる方も多かった」と述べ、感謝の念が堪えないという。最後に会ったのは3年前。「車いすで涙をポロポロ流しながら『よく来てくれた』と言ってくれた」と静かに話した。
桂米朝や柳家小三治らを招き、1975年から岐阜県郡上市のお寺の本堂で開かれた落語会「郡上八幡大寄席」。永さんは知人の案内で同市を訪れたのが縁で、会が終わる2006年まで32年間、司会を続けた。会の事務局を務めていた同市八幡町の喫茶店「門」の店主、古池五十鈴さん(76)は「『6月に会いましょう』が合言葉で、城下町の町おこしをノーギャラで応援してくれた」と述懐。「郡上を訪れると最初に店に来てお茶を飲まれた。語り尽くせない思い出がいっぱいある。ご冥福をお祈りします」と感慨深げに語った。【月足寛樹、立松勝】