2016.7.11 18:00
今日7月11日は任天堂・岩田聡元社長の一周忌 最後まで関わっていた『ポケモンGO』開発者がいわっちにメッセージ
岩田聡
岩田 聡(いわた さとる、1959年12月6日 - 2015年7月11日)は、日本のプログラマ、経営者。
任天堂元代表取締役社長であり、HAL研究所代表取締役社長なども歴任した
任天堂時代
2000年、任天堂社長だった山内に経営手腕を買われ任天堂に入社し、取締役経営企画室長に就任した。2002年、42歳のときに山内から指名を受け、2002年6月1日付けで代表取締役社長に就任した。任天堂は、1889年に山内溥の曽祖父である山内房治郎が創業して以来、山内家の同族経営であった。そのため、当初次期社長は、山内溥の長男山内克仁か娘婿の荒川実だと思われていた。しかし、他の古参取締役を押し退けて、入社2年目の岩田の大抜擢は、異例中の異例であった。なお、会社の方針決定は、山内の代とは逆に社長一任ではなく、最重要は取締役会となっている。これは「今後の時代に対応するには、集団指導体制にするべき」と考えた山内自身からの提案である。
2009年3月期決算で、任天堂は、業績がピークを迎え、Wiiは任天堂創業以来最大の普及台数(約1億台)を記録した。
2011年より任天堂のゲームに関する情報をゲームファンに直接届ける試みとして「Nintendo Direct」を開始。岩田がプレゼンテーターを務めた。同年発売したニンテンドーDSの後継機となる「ニンテンドー3DS」は、値下げ効果もあり大きく普及したが、2012年に発売したWiiの後継機である「Wii U」が販売台数で苦戦した。特に、世界市場での販売鈍化が目立ち、任天堂は、同年3月期決算より営業赤字に転落した。2013年には任天堂の米国法人CEOも岩田が兼任することとなった。
晩年
2014年6月に胆管腫瘍を患っていたことを公表した。そして、手術及びその後の療養のため、同年6月の株主総会を欠席した。その後、同年8月に復帰。10月の経営方針説明会で公の場に再び登場した。
2015年3月期の決算では、4期ぶりに営業黒字に回復した。体調はいったん持ち直したように見え、同年6月には前年度は欠席した株主総会では議長を務めたが、死去の数日前に体調を崩し入院。2015年7月11日に容態が急変。代表取締役社長に在職中のまま胆管腫瘍のため、京都市左京区の京都大学医学部附属病院で死去した。満55歳没(享年57)。逝去の事実は、同月13日に任天堂より公表された。また、岩田の死は、全世界でも大きく報道された。
今日は岩田聡任天堂元社長の一周忌です。
【【訃報】任天堂社長・岩田 聡さんが胆管腫瘍のため逝去】
[任天堂HP] 「代表取締役社長の逝去および異動に関するお知らせ(訃報)」を掲載しました。http://t.co/3u7PhVts1L
— 任天堂株式会社 (@Nintendo) 2015年7月12日
当社 代表取締役社長 岩田 聡が、平成27 年7 月11 日、胆管腫瘍のため逝去いたしました。
ここに生前のご厚誼に感謝し、謹んでお知らせ申しあげます。
岩田社長が最後まで関わっていた『ポケモンGO』
開発のNiantic川島優志さんからのメッセージ
https://plus.google.com/+MasashiKawashima/posts/9nrAZig9o2j
Pokemon GOが、遂にアメリカで正式公開されました。
このプロジェクトが始まったのは、もう2年以上前になります。きっかけは、2014年4月のGoogleマップのエイプリルフール「ポケモンチャレンジ」。Niantic CEOのジョン・ハンケが「これを現実の世界でできないか」と僕に聞いてきました。現実世界にポケモン! 実現させてみよう、と思いました。ポケモンチャレンジをつくったのは当時マップチームのエンジニアだった野村達雄。二人ともマウンテンビューの勤務だったことで、彼に声をかけてみました。思えばそんなところから始まったのです。彼に間に入ってもらい、ジョンは日本で株式会社ポケモンの石原社長と会います。二人は意気投合して、文字通り、ボールが転がり始めました。
達雄は、その後、Niantic Labsに、二人目の日本人として参画してくれました。そしてPokemon GOプロジェクトのリーダーの一人となってくれました。彼をチームに迎えることができたのが、僕の最大の功績だったんじゃないかと思います。このしばらく後、達雄と一緒にポケモンチャレンジを手がけた須賀健人もNianticに加わり、以降日本でのマーケティング展開を一手に引き受け大車輪の活躍をしてくれています。二人とも加わってくれて本当にありがとう。
その後、Nianticは、Google、任天堂、そして株式会社ポケモンから出資を受け、Google初の規模のスピンアウト。石原さんはこの時も任天堂の前社長岩田さんと一緒に実現に尽力してくださいました。Googleでストリートビューを担当していたもう一人のプロダクトマネージャー河合さんがここで加入。河合さんの日米に渡る豊富な経験抜きには、ここまでたどり着くことはできなかったでしょう。
ポケモン界の「神」増田順一さんはじめ、株式会社ポケモンの方々は何度もアメリカを訪れて、また日々動画ミーティングを重ねながら、ディレクションをしてくれました。長期滞在して慣れないアメリカ生活に四苦八苦しながらPokemon GO PLUSの開発をしてくれた小川くん、本当にありがとう。
そして、岩田さん、ようやくここまで来ました。どうか空からどれだけの人々が外へと飛び出していくか、見ていてくださいね。
Pokemon GOが、現実の世界の捉え方を変えるきっかけになったら。世界が素晴らしい場所であることに気づくきっかけになってくれたら、と願っています。日本とシリコンバレーが力をあわせるよい例になってくれたら、とも思います。
僕は、きっかけづくり以外は本当になんにもやっていないのですが、ローンチのためにチームが集まっている中、CEOのジョン・ハンケに背中を押されて、アメリカ版の「公開」ボタンを押すはめになりました。
「Dreams come true!」
と言って押しました。夢と現実が混ざり合って、新しい現実が世界中でつくりあげられていく、そんな始まりになったらいいな、と思います。
日本の皆さん、もう少しだけお待ち下さいね!
最後になりますが、メインキャラクターの素晴らしいデザインを手がけてくれたコザキユースケさん、石井朋彦さん、感動的なオリジナルの方のPVを作り上げてくれた本山敬一さんにもあらためて感謝します!ありがとうございました!>
【故・岩田社長の偉業を振り返るアニメが泣ける、任天堂の歴史を作ったんだと実感・・・】
あれからもう1年。長いようであっという間。
任天堂の躍進やゲーム人口の拡大とは切っても切れないほどの偉大な人物。
55歳、あまりにも早い別れでした。
ポケモンGOが世界中で遊ばれてる様子、いわっちも空から見ててくれるかな・・・
【【覇権】『ポケモンGO』がアメリカ・オーストラリア・ニュージーランドでAPPランキング1位!!!そして株価が爆上がりwwwwww】