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【芸能・社会】

永六輔さん死去 黒柳徹子「私と結婚話も」

2016年7月12日 紙面から

1992年8月、いずみたく・中村八大追悼コンサートを一緒に司会することが決まり、会見する永六輔さんと黒柳徹子(左)=東京・赤坂で

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 7日死去した永六輔さんの死を悼み、女優の黒柳徹子(82)が11日、コメントを発表した。

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 永六輔さんとは、60年以上のお友達になります。

 その間、一回もケンカをしたことはありません。

 「午後のおしゃべり」「夢であいましょう」で、初めて会いました。「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」など、(中村)八大さんと名曲を作った頃、毎日、渥美清さん、坂本九ちゃん、演出の末盛(憲彦)さんとみんなで集まって、面白いことを話しあっては、笑っていました。

 永さんが、八大さんと世界中の日本人学校を訪問しているときは、一行で全てが分かる絵はがきをくださいました。日本の中を旅したのは、自分で見たり聞いたりしたことを、全国を回って、ラジオで伝えたかったからです。テレビより、最後までラジオが好きでした。

 6月27日、足かけ40年以上続いた永さんのラジオ番組が終わりました。私も終わりのほうに駆け付けて「永さん!ごくろうさまでした!」と叫びました。私が呼び掛けると、目を開けて笑ったりしていたそうです。

 奥さんの昌子さんが亡くなって14年半、よく一人で頑張りました。旅の名人でも、毎日旅先から何度も昌子さんに電話をしていましたから。一人になって、私と結婚の話も出ましたが、主に、永さんからですが、お互い昌子さんのようにはいかないと分かっていました。

 「ゆめ風基金」という障害がある方たちへのボランティアにもすごく力を入れていました。

 お葬式は、実家の浅草のお寺です。

 亡くなる3日前と4日前にお見舞いに行きました。話はできなかったけど、私が「永さん!」というと、必ず、目を開けて私を見て、声を出して笑いました。

 このごろ、お友達が亡くなって、本当に、最後の一撃のような、永さんの死です。

 でも、生きているものの務めとして、当分、仕事を続けます。永さん、永いこといいお友達でいてくださって、ありがとう。アフリカなんかで「上を向いて歩こう」を聞くと、きっと、空を向いて涙がこぼれないようにすると思う。昌子さんによろしく。

◆「徹子の部屋」きょう追悼特番

 テレビ朝日は12日の「徹子の部屋」(正午)を永さんの追悼特番として放送することを決めた。永さんは最多タイとなる39回出演していた。

 追悼番組では、過去の出演回から、亡き愛妻・昌子さんとの夫婦秘話や娘との心温まるエピソード、盟友・黒柳徹子との息の合ったトークなど選り抜きの名場面で永さんを偲ぶ。

 

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